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ポピュラー音楽を遡ると見えてきた“普遍的郷愁”の世界。遠藤卓也さん|グッド・アンセスター・ダイアローグ

『グッド・アンセスター わたしたちは「よき祖先」になれるか』ローマン・クルツナリック著/松本紹圭訳)を巡る対話「グッド・アンセスター・ダイアローグ」。第二回は、お寺の音楽会というジャンルを確立し、現在はお経や聖地の音など”お寺のフィールド・レコーディング”ともいうべき領域へと足を踏み入れている、”えんちゃん”こと遠藤卓也さんとおしゃべりしました。遠藤さんにとって「これがなければ今の自分はいない」と感じる、グッド・アンセスターから贈られた"恵み”とは?

(聞き手・構成執筆:杉本恭子)


JBは「グッド・アンセスター・オブ・ソウル」ですよ

ーー今日は、えんちゃんのグッド・アンセスターについて聴いてみたいと思います。

遠藤 僕が「これがなければ今の自分はないな」と思うのはやっぱり音楽なんです。じゃあ、僕の場合は「グッド・アンセスター」から受け取っている「恵み」は音楽なんだなと考えていたら、よく音楽雑誌とかに載っている、「このミュージシャンが音楽シーンに与えた影響」を表す、ファミリー・ツリーを思い出したんですよ。

これは、ジェームズ・ブラウン(以下、JB)の伝記映画『Get On Up: The James Brown Story』の宣伝でユニバーサル・ピクチャーズが制作&公開したものなんだけど。

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ーーあー、こういうのあるね!

遠藤 「The Family Tree of James Brown The godfather of soul」って書いてあるけども、まさにJBは「グッド・アンセスター・オブ・ソウル」ですよ。根っこには、JBが影響を受けた「ゴスペルの偉人」「ブルース創始者」「ポップ・スター」の名前があります。いろんな音楽を聴いていると、この木の根っこを掘るようにどんどん遡りたくなるんですよ。ただ、僕らが好きなポピュラー音楽に関して言えば、これよりもっと遡っていこうとすると、あるところで「名もなき人たちの歌」みたいなところにたどり着くのかなと思っていて。

ーージャズのルーツには、ニューオリンズのアフリカ系アメリカ人のコミュニティの音楽と西洋音楽がある、とか。

遠藤 そうそう。ブルーズは黒人霊歌やワーク・ソング(労働歌)にルーツがあって、もとはやっぱり名もなき人たちの歌なんですよね。「じゃあ、黒人霊歌を聴いてみようと」なると、いろんなアーティストが演奏していて、僕はチャーリー・ヘイデン(Bass)とハンク・ジョーンズ(Piano)が黒人霊歌を演奏している90年代のレコードが好きなんだけど、なんとも言えないなつかしさを感じるんですよね。

生まれ育った日本の民謡に郷愁を感じるのはさもありなんという感じがするじゃないですか。でも、行ったこともない国の歌や音楽、メロディを聴いて故郷を思うような気持ちになる。たぶん、僕はそういうものに触れたくていろんな音楽を聴いているんです。

ボブ・ディランは「生ける音楽のグッド・アンセスター」

遠藤 そういう意味で、アメリカはもともとネイティブ・アメリカンがいるところに、ヨーロッパが植民地化してアフリカから奴隷を連れてきたので、それぞれの人たちの懐かしい歌が集まってきて坩堝(るつぼ)になっていったというか。

その坩堝から、さまざまな人たちの記憶を掬い上げて音楽にしてきたひとりに、ボブ・ディランがいるなと思います。アメリカ音楽史的にも、黒人音楽にすごく影響を受けたポピュラー音楽を全世界に流通させた、象徴的な人物だなと思います。そう考えると、ボブ・ディランは生ける音楽のグッド・アンセスターなのかな、とかね。

ーー「生ける音楽のグッド・アンセスター」!ってすごいフレーズですね。

遠藤 そのボブ・ディランの楽曲を「another」と呼ばれる地域のアーティストがカバーした「From Another World : A Tribute To Bob Dylan」というコンピレーション盤がありまして。キューバやインド、オーストラリアのアボリジニなどのアーティストが、ディランの楽曲を自分たちなりに解釈して演奏しています。1960〜80年代のロックやフォークを、それぞれの国や地域の言葉と民族楽器で奏でられると、また普遍的な郷愁がすごく感じられるんですよ。

ーーもはや原曲がわからないところがなんとも言えずにいいですね…。

遠藤 普遍的郷愁は、必ずしも古くから伝わっている民族音楽と言われるものだけにあるわけじゃなくて。いろんな音楽を吸収してつくられた、すごく現代的楽曲を、民族の言葉と楽器で演奏することによって、普遍的郷愁が増幅される現象もあるんだと思いました。そんなこともあったので、自分がグッド・アンセスターだと思っているのは、ボブ・ディランなのかな、と。

失われてしまいそうな音を記録して伝える人たち

ーー文学、漫画などでも、好きな作家が誰に影響を受けたのか知りたくなりますね。「今、ここ」を深く知ろうとすると歴史を遡ってしまうのは、アンセスターとのつながりを求める感覚とも言えそうな気がしました。

遠藤 ディランにもファミリー・ツリーがあるんだろうなと思うと、今度はそこに含まれる名もなき人たちの音楽を聴いてみたくなって。最近、とあるお坊さん(小山田和正さん)に教えてもらったフィールド・レコーディングの作品がありまして。チベットやフィリピン、マダガスカル……。羊の毛刈りの歌や乳搾りの歌、綿摘みや収穫の歌など、生活に密着した歌があって。酒飲みの歌(合唱)とか。

ーーあはは、そこは(合唱)なんだ。

遠藤 グッとくる感じのタイトルだよね。ボリス・ルロンというフランス人のアーティストが録った音を編集して、文章を書いて、写真も撮っています。いわゆるフィールド・レコーディングは、興味がある人じゃないと退屈に感じられてしまいます。でも、彼はアンビエント音楽のアーティストでもあるので、興味深く受け取れるようにしっかりプロデュースしているんですよね。それがすごいなあと思って。

失われてしまいそうな音を録音している人もグッド・アンセスター的だなと思います。日本では久保田麻琴さんが阿波踊りの音を録った作品をつくられていますが、ただきれいに録音するだけでなく、みんなが聴いてくれるようにちゃんとプロデュースするセンスのある人が作家として存在しています。そういう人たちがいるから、「名もなき人たちの音楽を聴いてみたい」と思ったときに手を伸ばすことができるわけで。古い音源が残っていることも、非常にありがたい恵みだなと感じます。

身延山の水行の音にも感じた普遍的郷愁

ーー今、えんちゃんがやっている「音の巡礼」もフィールド・レコーディングじゃないかと思います。「音の巡礼」をはじめた背景に、聴いていたフィールド・レコーディング作品の影響はあったんですか?

遠藤 いや、それは後で接続された感じです。そういう意味では、お経はすごく長い時代を経て読まれてきたし、作法などとも共に伝えられてきたわけで、すごいなあと思います。「音の巡礼」をはじめたのは「Temple Morning Radio」というポッドキャスト番組のなかでお経を配信してみたのがきっかけでした。リスナーから「気持ちが落ち着いて仕事に向いている」「お経の多様性がわかって新しい世界を感じた」など良い反応をいただいて。「お経をこうやって聴くのはありなんだ」と思ったんです。

そこで、祈りのある場所に行ってみようと、日蓮宗の総本山・身延山の朝の法要を録らせてもらいに行きました。宿坊に泊まって早起きして本堂に向かうとき、遠くから水行の音が聴こえてきて。水行のお経は、僕たちがふだん聴いたことのあるお経とは違う、独特の歌みたいな節回しなんです。それこそ普遍的郷愁を感じて、思わず手に持っていたマイクで録音しました。

日本でも、宗教的聖地やローカルな地域・場には、継がれている音、歌、音楽があるんですよね。そういうものを音として記録しておきたいと思ったのはそのときです。水行の音だけじゃなくて、山のなかの自然の音……風の音、風がおこした木々のゆらめき、水の流れる音とかね。そういう音を残して、人と共有したいと思いました。

なんで共有したいのかわからないけど、普遍的郷愁を確かめ合いたいのかもしれないですね。もちろん、どんな音に郷愁を感じるかは人それぞれのはずなんですけど、聴かせてみると「なんかわかる」みたいなものがあると思うんです。なぜ、この日本で生まれ育った私たちが、ブラジルのミルトン・ナシメントの音楽を聴いて「サウダージ*……」とか言ってしまうのか、みたいなね(笑)。
(*saudade;ポルトガル語で、郷愁、切なさ、失ったものを懐かしむ感情、などの意味をもつ)。

つないでくれる音楽というものを僕は大事にしている

ーー今日のお話を聴いていて、遡っていくということは、自分を見つけていくことにも近いなと思いました。えんちゃんは「普遍的郷愁に惹かれる自分」を見つけて、それを録音しはじめている。そうやって役割を見つけて、えんちゃんという新しいアンセスターが育っていくイメージをもちました。

遠藤 そうですね。自分も他者も、音楽がつないでいるなって感じはあります。誰かがつくった音や歌、録音された音がひとつの言語であるかのように、自分のなかで非常に重要なコミュニケーション手段なんです。音が残されているってすごいなと思います。だから、大量の音が溝として刻まれた盤を残してくれている世界中の中古レコード屋さん、そこで売り買いしている人、聴き続けている人もみんなグッド・アンセスターですよ。

ーーたしかに。仕事で出会うお坊さんたちとの関係性も、音楽を通じてぐっと深まっているし。そもそも、お寺やお坊さんとのご縁もお寺の音楽会「誰そ彼」からはじまっているし。音楽がえんちゃんの人生の大事な道筋をつくってきた感じもしますね。

遠藤 やっぱり、すごくたくさんの音楽を聴いてきたので、音を情報として認識する能力は高いと思うんです。コミュニケーション手段としての音楽を考えたときに、その変換処理能力みたいなものは役に立っているんだろうと思います。直接的に音楽が仕事に役立っているわけではないけど、少なくともこの人生を、人と関係性を保ちながら楽しく歩んでいく大きな助けになっています。「音」に「楽しい」で「音楽」なので。楽しいから、ずっと関わっているんでしょうね。

えんちゃんがお経や聖地の音を録音して共有する「音の巡礼」についてはこちらで紹介されています。ぜひ、一緒に音の巡礼路を歩いてみてください。

気がつけば、えんちゃんと知り合ってもう10年。毎年「夏の音楽」「今年の音楽」を選曲してCDRを送ってくれたり(最近はプレイリスト化)、共有するのが好きだし、また上手な人だなあと思います。仕事仲間としてはじまった関係も、音楽を通じて友だちへと変化してきていて。「音楽がつないでくれた」というえんちゃんの言葉は、彼を知る人ならきっと「ほんとにそうだよ、遠藤さん!」と思って読まれていたはず。

アンセスター(祖先)について考えていると、すでにこの世を去った人たちと同じく、今を生きている人たちも「アンセスター見習い」として人と人をつなぎ、時を超えて伝えていく大切なものをつくっていることが見えてくる。過去も未来も現在のなかにあるのだと気づき直せることが、実は一番大事なことかもしれないなと思います。

みなさんのグッド・アンセスター、そして受け取っている「恵み」とはどんなものですか? 小関優さんとわたしとのグッド・アンセスター・ダイアローグも併せて読んでいただけるとうれしいです。では、最後に改めてえんちゃんという人を紹介しましょう。

遠藤卓也さんはこんな人です

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えんどう・たくや 1980年生まれ。立教大学卒。2003年より東京・神谷町 光明寺にて「お寺の音楽会 誰そ彼」を主催。 地域に根ざしたお寺の「場づくり」に大きな可能性を感じ、2012年より「未来の住職塾」の運営に携わる。寺院運営にまつわる講演・執筆、お寺の広報物・イベント制作などを行なう。現在、最も力を入れているのは音にフォーカスした新しい巡礼の形「音の巡礼」プロジェクトと、Podcast番組「Temple Morning Radio」の編集・配信。共著書に『お寺という場のつくりかた(学芸出版社)』、『みんなに喜ばれるお寺33実践集:これからの寺院コンセプト(興山舎)』。
Webサイト http://taso.jp


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