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高野秀行は傘をささない

前回記したミャンマー辺境映像祭で物販した『辺境の旅はゾウにかぎる』は僕にとって初めて編集した高野本だったのですが、出版から3年後に集英社文庫で改題され『辺境中毒!』として文庫化されました。その文庫解説がなぜか僕に依頼があり、今読み直してみると、いやはやとんでもない書き出しで笑ってしまいました……が、高野さんの作品に関しての想いは変わりませんので、ここに集英社の許可を得まして転載させていただきます。ちなみにこの『辺境中毒!』には、前回オンラインイベント「辺境チャンネル」で大盛り上がりとなった「アヘン王国」から帰ってくる顛末を記した「アヘン王国脱出記」が収録されてます。(辺境チャンネル隊員:杉江)

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 高野秀行は、傘をささない。
 この文庫解説の依頼を受けて、一番最初に思い浮かんだのがこの文章である。こんな文章から始めていいのかどうかわからないが、思いついてしまったものは仕方ない、始めてみようと思う。
 私は高野秀行の担当編集者兼営業マンであり、さすがに世界の探検・冒険に同行は無理だとしても、打ち合わせや取材、単に暇つぶしなどで行動をともにすることが多い。
 その際、何に一番驚いたかというと探検家なのにしょっちゅう道に迷うことや、携帯電話の使い方もろくに知らないことではなく、高野秀行はどんなに雨が降っていようと傘をさそうとしないということだ。
 初めは四ツ谷にある上智大学での授業後のことだった。当時高野秀行は大学生数十人を相手に辺境での破天荒な生き方について講義していた。ある日、校舎の外に出ると雨がぽつりぽつりと降り始めていた。その日は朝からどんよりとした曇り空で,天気予報では雨が降ると注意していたのだった。私はカバンから折りたたみ傘を取り出し、雨降る空の下にパッと広げたが、高野秀行は雨など意に介さぬ様子で、そのまま歩き出してしまった。
 駅までは確かにそう遠くない距離であった。しかし私たちが向かっているのは駅を越えた先にあるファミリーレストランだった。私は高野の後を追いかけ、その頭上に傘をさし出した。担当編集者として当然のことをしたはずだったのだが、振り帰った高野秀行はきっぱり「いいから」と断ってきたのである。その断り方があまり毅然として態度だったため、私は何か悪いことをしてしまったような気分に陥ったほどだ。
 この世の中に傘が嫌いな人というのがいるのだろうか。いや大人になってもUMA(未知不思議動物)を真剣に探す人が存在するくらいだから、もしかしたら傘が嫌いな人もいるかもしれない。あるいは探検家というものは傘をささないのだろうか。相合傘に悲しい思い出があるのかもしれない。
 じわじわ雨が染し出したアスファルトの歩道に立ち止まって考えていると、高野秀行は濡れることをまったく意識せず、歩いていってしまった。そしてファミリーレストランに着くとリュックからタオルを取り出し頭を拭い、何もなかったかのように生ビールを注文した。
 それ以来、何度も高野秀行とともにいて、雨が降ったことがあるのだが、一度たりとも傘をさしている姿を見たことがない。最初から雨が降っているいる日でもパーカーのフードか帽子をかぶるくらいで待ち合わせ場所に現れる。三畳間時代ならいざしらず、いまや500円程度の傘が買えないこともなかろう。
 いったいなぜ高野秀行は傘をささないのか。
 ずっと気になっていたのだ、あるとき答えがわかったのである。傘が嫌いなのではなく、水に濡れるのが好きなのだ。高野秀行の趣味は水泳で、『ワセダ三畳青春記』で河童団を結成し、杉並区の水泳大会に参加するまでの熱の入れようだったが、いまだにその趣味は続いている。週に何度も区民プールに出かけてはきちんとした指導を受け、立派な大会に参加し、タイムを競い合っているそうだ。その水泳のおかげで、長年悩まされていた腰痛も治ったようだが、その模様は『腰痛探検家』に詳しい。
“水泳好き→水が好き→傘をささない”は考えられる理由であるが、ならばなぜそこまで水が好きなのか? そうして私はもうひとつの仮説を思いついたのであった。
 高野秀行はカッパなのではないか?
 そうなのである。高野秀行の顔はどことなく川沿いに立てられている「泳ぐと危険!」の看板に描かれているカッパに似ているし、ニタニタと笑うその笑顔もカッパっぽいし、詳しく見たことはないけれど、手と足に水かきがついていたような気がしないでもない。そうなるとUMAを真剣に探している理由もよくわかる。おそらく世の中にはほとんど生存していない同類を求めての行動なのだろう。
 高野秀行自身が、UMAだったとは!
 もしかしたら英国人かもしれないが……。

 さてそんな風にして高野秀行と行動をともにしていると、高野ファンと称する人たちとたくさん出会うことになる。トークイベントやサイン会はいつも満員で、私はそこに居並ぶ高野ファンに出会う度、必ず訊いている質問がある。それは「高野秀行の著作でどれが一番好きですか?」だ。
 ある二十代前半と思われる女性は「それはもう『アジア新聞屋台村』です。最後のシーンでぐっときました」と答えた。てっきり青春小説ならば『ワセダ三畳青春記』かと思っていたのだが、その続編が人気があろうとは……。驚きながらその隣に立つモデル風の女性に訊ねると「私は『西南シルクロードは密林に消える』です」とこれまた意外な答えが返って来たのである。確かに『西南シルクロード~』は高野作品のなかでも一、二を争う探険ものであるが、まさかこんなスラッと背の高い女性がハードなルポを好むとは。「高野さんは等身大のヒーローなんですよ」とのことであった。そこから少し遠くにいた小柄で笑顔の素敵な女性に話を聞くと「『異国トーキョー漂流記』です」と、またもや意外な作品があがったのである。
 三人中三人とも違う作品を挙げる。たいていの作家は代表作が一作あって、それを頂点に他の作品が並んだりするのであるが、高野秀行の場合、どの作品も満遍なく人気があり、そして代表作なのであった。いったいどんな作家なのだと頭を悩ましていると、高野秀行はあのカッパのような切れ長の目で私をにらんでいるのであった。どうも私が高野ファンをナンパしているように見えたらしい。担当編集者兼営業マンとして市場調査をしていたのだが……。
 それにしても、この多彩さこそ高野秀行の特徴である。
 探険本はもとより、紀行文、エッセイ、青春小説、どのシャンルにおいても水準以上の傑作ばかりであり、しかもジャンルを超えて高野印の作品に仕上げているのだ。ではその高野印とは何だろうか? それは著作のタイトルにもなっている「間違う力」を全開にして、誰もが想像のつかなかったこと、あるいはあきらめていることを真面目に実践することがひとつなのであるが、ここではその書き方に言及しておきたい。
 高野秀行がことあるごとに口にしたり、書いたりしているモットーがある。それは「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをやり、誰も知らないものを探す。そして、それをおもしろおかしく書く」だ。「誰も行かないところへ行き」の部分は、すでに述べた「間違う力」によるものだが、実はその後半部分の「おもしろおかしく書く」が大事なのである。
 高野秀行は「おもしろおかしく」書くことによって、それまでのやたらシリアスに語ることを良しとしたノンフィクションの書き方を変えてしまったのだ。後に高野はそういった作品を「エンターテインメント・ノンフィクション」と名付けるのであるが、多くの読者が誤解しているのは、その「エンターテインメント」を、笑えることだと思っていることである。
 実はそうではなく、いやそれも半分正しいのであるが、高野が言いたかった「エンターテインメント」は、笑いだけでなく、おもしろおかしくの〈おもしろ〉の部分が重要だったはずだ。
 おもしろいとはなにか?
 それこそが高野秀行がノンフィクションに持ち込んだものである。すなわちストーリーなのである。本来であればノンフィクションと一番相容れないであろうストーリーを、高野秀行はノンフィクションに持ち込んだのだ。
 処女作品『幻獣ムベンベを追え』からして、出発からテレ湖到着、食糧危機、仲間の体調不良、そして帰国とまるで一編の映画かと思わされるほど美しい流れで構築されている。注意して欲しいのは、だからといって高野秀行はノンフィクションに嘘を持ち込んだわけではない。探険や旅の間に手に入れたトラブルや偶然という手札を、ポーカーさながら並べ替えたり整理して、ロイヤルストレートフラッシュやフルハウスのストーリーを作り得ているのである。その技こそが高野作品の中心だと私は考えている。

 そんな高野秀行の多彩さが詰まっているのが、本書『辺境中毒!』だ。
 ここには前に述べたジャンル以外で高野の隠れた才能ともいうべき「聞く力」を存分に発揮した対談が収録されている。角田光代、大槻ケンヂ、船戸与一など、それぞれキャラが立ちまくった相手に、辺境地の取材というよりは、そこで生き抜くために発揮された「頼る力」によって手に入れたインタビュー能力を尽くし、相手の一番面白い部分を自然に引き出しているのである。高野のこの「聞く力」は、高野の友人・知人の破天荒な生き方を訊ねた上智大学の授業を書籍化した『放っておいても明日は来る』で最大に発揮されているので、ぜひこちらも合わせてお読みいただきたい。
 それともうひとつ高野の隠れた才能は、書評である。
 高野秀行のブログ「辺境・探険・冒険ブログ MBEMBE ムベンベ」を読めば明らかなとおり、彼は狂のつくほどの活字中毒者であり、現代小説はもちろんミステリー、SF、時代小説、ノンフィクションと幅広く読み漁っている。そしてそれらを的確な表現で読者に紹介するのが上手なのである。ここに収録されているの高野のお墨付き作品は、高野ファンが高野本を読み尽くした際には、最強のブックガイドになるであろう。
 もちろんノンフィクション部分である「アヘン王国脱出記」や「テレビの理不尽」などは、高野秀行の本線である笑えて面白いエンターテインメント・ノンフィクションであり、先行作品の後日談として楽しめるものだ。
 高野秀行の代表作はなんだろうか?
 先日行なわれたトークイベントでは、逆にファンから「自作で一番好きな作品は何ですか?」と訊ねられていた。高野秀行はしばらく悩んだ後、『アヘン王国潜入記』と『ミャンマーの柳生一族』と答えていた。前者はその冒険のハードさから、後者は作家として作品の質からの選択だった。
 帰り道、私はそっと伝えた。「私が一番好きなのは『怪獣記』です」と。
 その日は35度を超える晴天で、傘の必要はなかった。前を歩く高野秀行はさっと振り返ると「ビールでも飲んで帰る?」とニタリと笑った。
 高野秀行は傘をささないが、酒は大好きだ。
 この文庫解説の依頼を受けて一番最後に思いついたのが以上の言葉である。
(集英社文庫『辺境中毒!』より)


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次回、辺境チャンネル配信のお知らせ

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 辺境チャンネル第2回のイベント内容が決定しましたので、お知らせさせていただきます。

日時は、2020年8月1日(土)午後2時から午後4時半
「謎のアジア納豆」でネバネバトーク

と題してお送りする予定です。

チケットはこちらSTORESで販売しておりますので、みなさまぜひまたご参加いただけましたら幸いです。
https://aisa005.stores.jp/items/5f0008c713a48b766579d7fe

本に書いてないエピソード、掲載されていない写真などを中心にまたまた2時間半高野さんの話をたっぷりお届けいたいます。どうぞお楽しみに!

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