ハードルを下げる

2024年の目標は、自分自身に課すハードルを下げて生きること。
今年に入って2ヶ月少し経ったタイミングで目標を立てていること自体、
早速ハードルを下げていることに成功している。

仕事では思い詰めず日々の業務をこなすこと
プライベートでは楽しいと感じることをたくさんすること

もうこの2つができていれば全く問題ないと思ったらいい。
真面目に与えらた仕事をして、楽しい休日が過ごせていれば上出来だ。
仕事の意義や充実なんかはあるに越したことはないが、今はそれが無くても幸い生きていける状態だ。人生は長く別に今仕事が充実していなくても、ずっとそういう状態だとは限らない。とにかく今をしっかり生きることが一番大切だ。

去年までは本当に仕事で成長しないといけないという焦りが凄まじかった。
クソみたいな大学時代を過ごした自分が色々改革をして何とか潜り込んだ会社で、とにかく自分のスキルを上げまくらないといけないと仕事に付いていけなくなると思い込んでいた。必死に色々と頑張ったつもりだけど、耐えれないものは耐えれないし、興味のないものは頑張る気が起きない。周りからは焦らなくていい、仕事が回っているから十分だと言われていたけど、なぜか自分の脳内でハードルを上げまくって、壊れてしまう夜が何回もあった。ホワイト企業だし周りの同期が忙しく働いているのを見ていると、自分が壊れていることにすら嫌悪感を抱いてしまい更に壊れた。会社が明らかにブラックだったり上司がクソだったりしたら、自分が壊れることに説明がつくけど、自分の場合はそうではないという事実が焦りや不安を増幅させた。頑張ろうとするけど何をどう頑張っていいか分からないというゾーンに入ってしまい、最終的に元の自分を見失ってしまった。

周りからは求めているものが高いとよく言われた。でも、どうしたって「これでいいんだ」と思うことができない。だって吃音を抱えた昔の自分では実際にどうにもならず大学に通えない時期もあったが、そこから必死にもがいた先に就職や恋人ができたという明るい未来があったことを知っているからどうしても「頑張らなくてもいい」がはら落ちしない。当時求めていた明るい未来が今現実となりそしてその現実が時間経過と共にだんだん暗いものになっていっても、また自分の頑張り次第で光が見えると思い込んでしまうのは当然といえば当然だと思う。でも、大学の時と違うのは、就職などといったゴールがないからいつまで経っても理想には届かない。それどころか自分の成長よりも、環境の変化のスピードのほうが圧倒的に早く、少し成長したはずの自分が簡単に置き去りにされる。そもそも理想が何なのかも分からなくなる。仕事だけが全てではない、結婚がいいとは限らない、自分らしく生きることが大切だと、あまりにも抽象的な価値観に自分の脳や身体が吸い込まれ自分が消えてしまう。今までテストの点数や部活のレギュラー、会社のネームバリューといった外側の評価によって俺は生きて来れたんだと最近になってようやく気づいてきた。だから、今このタイミングで「俺はこう生きれれば満足だ」というのが分からない。俺は何がしたいのか?何を求めているのか?そんなことを考えては分からなくなって、日々が無意味に過ぎていくだけの毎日になった。

しかしそんなことを2年くらい繰り返していると、最近何となく、自分という人間のキャパシティの狭さと能力の低さを認めてあげることができるようになってきた気がする。今を健康に楽しく生きていればとりあえずはいいのだという思考になりつつある。周りの人の言う、求めているものが高いというのを心から理解できそうな状態にいる。自分の脳内で勝手に上げたハードルを飛べずにこけているより、ハードルを下げておいてそれを一つず超えていく方が長い目で見ると圧倒的に良い。ハードルの高さは自分で自由に調節していい。ずっと高いハードルを越え続けるのが大人だと思っていたけど、自分のジャンプ力や走力としっかり向き合って飛びやすい高さにハードルを調節するのが大人だということで良いかもしれない。まあ、ハードルを下げたからといって走るのをやめたり低くジャンプしたりするのじゃなくて、そのハードルを軽々飛びこえながら生活しておこう。2024年はそういう年にする。

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