noteがあることで生きている今

本当に自分が分からなくなると、生きることに全く希望を持てなくなる。喜怒哀楽が消えてしまう。RADWIMPSじゃないけどまじで喜怒哀楽の全方位が消えてしまう。起承転結の転どころか全てがどうだってよくなる。厄介なことに自分がそうなってしまった原因も分からない。原因を突き止めようと色々考えて自分なりに分析してみるけど、段々と答えが無いことが分かってくる。でも答えが無いという結論をどうしても受け入れきれず、毎日毎日その答えに辿り着くために頭や体を動かしては、結局見つからず暗闇の中をどんどん彷徨っていく感覚になってしまう。自分の無気力を解決して元の自分を取り戻すということが、円周率を割り切ることや、ネッシーを見つけることみたいに、達成できたら全世界から称賛を得られるくらい難易度の高いミッションに思えてくる。

何を食べても特に何も思わない。食を楽しむという発想なんて全く無く、ただ明日死なないために食べているだけ。出かける時の服や髪型もどうでもいい。ただクローゼットにある服をなんの感情もなく手に取り身につけ外に出る。髪のセットなんてどうだっていい。会社に行っても特に気に入られたい相手もいないし取引先とも関わらないので、不審社員と思われない程度の身だしなみで充分だ。
去年は本当に8割くらいそんな感じの毎日だった。

しかし最近は本当に週に何度か心が満たされていると感じる日がある。生きていることが面白いという感覚、自分の存在が好きだという瞬間が、少しずつ戻ってきている。

少し解決に近づいている気がするのは、原因を探すことがナンセンスだということが腑に落ちてきたからだ。「自分はこんなもんじゃ無い」という自惚れを取っ払い、無気力状態と正面から向き合えるようになった。無気力の原因を探すのではなく、日々の中でとにかく自分の心が闇の中に消えていく時間の割合を減らすことに集中することにした。

そのためにこのnoteは必要不可欠なものになってきている。
毎日無気力になっていないか記録をつける。
どうしょうもない自分の気持ちを外に出す。
自分の無気力やイライラが形になっていなくても、とにかく外に出すことが大切だ。もはや文章として形になっていないことが今の僕の形なんだと殴り書きをする。自分の内ではなくインターネットという外の世界にぐっちゃぐちゃの感情を醜いフォームでもとにかく投げつけることが、自分にとって無気力からの脱却に効果がありそうだという手応えを感じ始めている。

今日は気分が良いからこれを書いた。
気分が良い時には、なぜ気分が良いかを考える余裕がある。考えているとnoteに結構助けてもらってるという答えが出てきた。
今は、適当に書いてるだけだけど、いつか自分が完全に立て直せたら、本当の意味で形のあるエッセイみたいなものをnoteに書きたいなあ。


自分が未来に対する希望を書いている。
今日は本当に良い日だ。
でも、調子に乗らずにとりあえず本当に元に戻るまでは心の闇もしっかり書き出していく。

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