【自己紹介】

初めまして。26歳 会社員 男。
小学校一年生の頃からずっと吃音(きつおん)を持っている。
今日から自分の経験を基にした吃音エッセイを書いていく。

吃音とは

まず、吃音というのは「話し言葉が滑らかに出ない発話障害」のこと。
症状としては「連発」「難発」「伸発」の3種類がある。
連発:「あ、あ、あ、あ、ありがとう」と最初の言葉を何度も繰り返してしまう症状。
難発:「・・・・・・・ありがとう」と最初の言葉を出そうとしても出てこない症状。
伸発:「あーーーーーーりがとう」と最初の言葉が伸びてしまう症状。
これは一般的な吃音についての説明だが、このエッセイでは一般論というよりは自分の体験談、考え方を綴っていく。ちなみに僕は時と場合によるが難発と連発を持っている。

吃音エッセイを書く理由

僕は物心がついた小学校一年生の頃から吃音を持っている。国語の本読みの時間、新クラスでの自己紹介、部活の声出し練習、卒論発表、飲食バイトでの接客、就活の面接、会社でのプレゼン・・・数えあげればキリがないほどこれまでの人生で自分の吃音と対峙しなければならない場面を経験してきた。そしてそういう場面に立ち会う度に苦しみ、悩んできた。

考えすぎる性格も相まってか僕にとって吃音でこの世の中を生きるというのはとてつもなく難しいミッションだと感じている。
吃音の症状を隠し続けてきた小中学生時代、吃音からただただ逃げ続けた高校生時代、吃音と初めて真正面から向き合い治すことだけを考え続けた大学生時代、吃音が完全に治ったと思った社会人1、2年目、やっぱり吃音に苦しみ死にたくなった社会人3年目。
その全ての瞬間は今振り返ってもほとんどが苦しかったし、その苦しみをその時と同じ解像度で今も頭に映し出すことができる。そしてこれからもこの世界で生きる以上とてつもなく苦しい瞬間が山ほどあると思う。吃音というある種の重荷を背負いながら自分なりに一生懸命生きていてもその部分を褒めてくれる人はほとんどいない。むしろ自分の頑張りとは裏腹に周りからは所詮話す時にどもる人という不本意なレッテルを貼られたままである。しかし、二十数年間色んな経験を経て、今はようやく自分なりに吃音と折り合いをつけながら、死ぬまで続くであろうこのミッションをなんとか攻略する自信が湧いてきた感覚がある。

ずっと吃音の無い自分をイメージしながら必死にもがいてきたが、その先で辿り着いた、吃音の無い自分なら絶対に書けなかったであろうエッセイを書こうと思う。どん底だった過去の自分を救う気持ちとこれからも吃音と戦うであろう未来の自分を励ます気持ちで書く。頑張ってきた自分の経験をエッセイとして形に残すことで、自分を真正面から肯定する。それがこのエッセイを書く理由だ。全ては自分のためだが、もしもその副産物としてこのエッセイを通して同じような経験をしている誰かを励ますことができるようなことがあれば最高だと思っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?