【小1】皆みたいに話せないという自覚

僕が初めて吃音の症状を自覚したのは小学校1年生の頃である。

もちろん当時は吃音という単語は知らなかったが、自分が話す時明らかに「お、お、お、おはよう」という風に吃音の症状(連発)が出ていた。しかし、吃音の症状に気付き始めた最初の頃はそれが苦しいという感覚はほとんど無かった。それは多分、その当時人と話すことが好きになり始めていたからだと思っている。

幼稚園の頃の僕は母親以外の人と接するのが大嫌いで、家以外では全く話さない子供だった。話さないどころか、幼稚園の友達や先生と接するのが怖くて基本的に一人で教室の机に座っていた。しかし、小学校に入学するくらいのタイミングでポケモンのアニメやゲームが好きになり、それがきっかけで友達と会話したいという意識が急に芽生えてきた記憶がある。友達との会話の中でも吃音の症状が出ていたが、自分がスムーズに話せない違和感や不安よりも、伝説のポケモンのカイオーガを捕まえたことの感動やポケモンリーグがどうしてもクリアできないもどかしさを友達に伝えたいという気持ちが勝っていたので、最初の頃は吃音の症状を指摘されても特に気にせず言葉に詰まりながらも話を続けていたのだと思う。

そんな僕が吃音を苦しいと思い始めたのは、僕の話し方に対する周りの人たちの反応を鋭く感じるようになってきてからだ。
小学校生活が進んでいくと性格の強い子たちに明らかに自分の話し方をからかわれるようになっていく。同級生が「お、お、お、まえ、あ、あ、あした、あ、あ、あ、そべる?」とわざと僕の喋り方を真似してきたり、ジャイアン的な上級生に急に呼ばれて「『あいうえお』って詰まらずに言ってみて、言えるまで帰ったらあかん」とか言われたりだ。また、母親や先生も僕の話し方を心配に思い始めたのか「落ち着いて喋りなさい」とか「喋り方の練習しよう」とか僕の吃音を治すための言動が多くなった。子供というのは好奇心旺盛で自分の知らないものや変わってるものに対して過剰に反応するものだと思うので、今考えると友達に吃音をからかわられるのはある程度仕方ない事ではあったと思う。母親や先生といった大人たちも今ほど吃音に関する情報が少なく対応が難しかったと思うので、僕の吃音を治してあげたいと思い症状を指摘するのは自然なことだ。とはいえ、当時の僕は友達から吃音の症状をからかわれたり、大人から話し方の指摘をされる度に、自分の話し方を治さないといけない、言葉に詰まってはいけないという気持ちが強くなっていった。大人になった今では例え吃音が出て言葉に詰まったとしても自分の好きなことを好きなように話せばいいと思えるが、その考え方は聞き手の方にある程度の理解や気使いが無いと成立しない。ましてや(当時の自分も含め)子供は良くも悪くも他人の持つ少し気になる特徴に対し容赦なく土足で足を踏み入れ攻撃してしまうところがあるので、僕が話せば話すほど吃音の症状をからかわれてしまう。僕は皆みたいに話せないという確固たる自覚を持ってしまい、そういう自分がどんどん嫌いになっていった。

小学校一年生夏頃の僕はポケモンリーグは頑張ってクリアできるようになっていたが、友達にからかわれないように話すこと、大人に注意されないように話すことは、何回頑張ってもどうしてもできなかった。それどころか僕の吃音の症状は更に酷くなっていった。そして僕は、国語の時間一人ずつ立って教科書を朗読していく「本読み」の授業が始まると、自分の吃音に対して更なるコンプレックスを抱くようになってしまう。

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