吃音がしんどすぎる
最近、吃音がしんどい。
めちゃくちゃしんどい。
こういう話はなかなか伝わらないので、ここに殴り書きをする。
インスタに書くとメンヘラになるので、noteに殴り書きする。
文字通り何かを殴りたくなるくらい、頭がイライラしている。
俺の吃音の症状は、はたから見たら話すのに何の問題もないように見られる。
しかし、今俺は自分のイメージ通りに話せない。
話そうとすると喉が詰まった感覚になり、頭が重くなり、真っ白になってしまう。
結果的に相手に言いたいことは伝わっているのでコミュニケーションにおいては何ら問題はない。でも自分の中で話すことが本当にしんどい。
大袈裟かもしれないが、そのせいで消えて無くなりたくなることが最近よくある。
こんなことならいっそ喋れなくなった方がいいとか消えたほうがマシだとか思ってしまう。そんなわけはないのに、余裕がなくなり視野が狭くなり、何もかもを放棄したくなる。
でもそんなことは友人や家族には言えない。
なぜなら俺は側から見たら何不自由ない生活を送っていて、人間関係にも恵まれているからだ。それは自分でも認める。俺は確実に恵まれた環境にいる。
だから、人に相談しても「気にすることはない」「毎日充実してるのに贅沢な悩みだ」などと言われてしまう。(直接言われないまでもそういうニュアンスに感じる。)
しかし、俺にとっては「吃音がしんどい」ということが宇宙規模の悩みのように感じてしまい、何も手がつかなくなってしまう。そのギャップがまた俺を苦しめている。本当にしんどい。
でも、俺はまだ自分を諦めていないから苦しむのだと思っている。
諦めて、吃音を受け入れて、自分に見合った仕事を選び、ひっそりと暮らす選択肢もある。でもまだそれはできないし、したくない。
なぜなら俺は一度絶望的な状態から吃音が完璧に治ったことがあり、人と自由に話す楽しさや喜びを知ってしまったからだ。
大学時代、自分の吃音に絶望し社会に出れないと悩みこみ塞ぎ込んでしまった時に思い切って飲食店で接客のアルバイトを始めた。すると周りの人にも恵まれ、どもりながらも必死に接客をすることで、俺は吃音でも生きていける自信がついた。そして就活も成功し、いつしか人に話しかけること、人前で話すことが何も苦ではなくなり、気付けば吃音の症状も全く出なくなっていた。そういう期間が3年ほど続いた。
しかし、とある日の打ち合わせで突如吃音が出た時に、その日からなぜかまた徐々に自信を失ってしまった。また吃音で絶望していた日々に戻るのではないかという恐怖が脳内を侵食した。そして案の定、今絶望の中を彷徨っている。自由に話せなくなってしまった。話すことが極端に怖くなってしまった。
俺は話すことが大好きなので、今の状態がしんどくて仕方がない。
喉が詰まり頭が重い。
仕事は自分のためだけにするものではないし、もう大人だから自分に諦めをつけて、できることをやればいいという考え方もある。
それは百も承知だが、今は諦めることもめちゃくちゃしんどい。
吃音に挑んでもしんどい、諦めてもしんどい。八方塞がりだ。
でも、「諦めてもしんどい」という感覚がある以上、諦めずに挑み続ければいい。
あえて人と話して、どもりまくればいい。
そうすることでまた未来が切り開くかもしれない。
自分が絶望的な状態に陥ると、世界や社会や周りの人を妬み恨んでしまう。
自分の問題なのに、コミュニケーション力が高いことが良しとされる世の中や、フロアの電話を取らないといけないというルールや、何不自由なく喋れている周りの人たちに、怒りの矛先が向いてしまう。その状態はとても不健康で誰も幸せにならない。
それはわかっている。でも、孤独の中で戦って負け続けている今の状態だと、そうなってしまっても仕方がないとすら思ってしまう。
自分が心身ともに健康じゃないと周りの人たちに優しくなれない。
自分のことばかりじゃなくて、いつかはもっと人のことも考えられる優しい人間になりたい。
友達や家族が大好きだからこそ俺はまだ諦めずにもがいていく。
書いて少しスッキリした。
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