こだわりがない人間の方が良く思えて来た。

書くことが珍しくあるので更新。
最近、20年以上も無駄に続けて来た喫煙とゆう行為から卒業した。
吸いたいかと言われれば吸いたい、けど吸わない自分になりたいとゆう欲求の方が今は強いのか禁煙記録を更新中であります。
辞めたいな〜みたいには最近思っていた。理由はなんか複数あって、どれも決定的みたいなものではないのだけれど…。
1番の理由は多分これである。
「拘りがある人間は面倒臭い」
なんてゆうか、例えば、コーヒーが好きだとして「僕はこのコーヒーじゃないとコーヒーと認めない」みたいなこと。
コーヒーが好きでなおかつ特定の「コレ」でないとダメな人。よく言えば拘りがあって…みたいだろうが最近はこの手のことが足枷に見えて仕方ない。もしこのコーヒーが手に入らない環境に一時的になったとしたらこの人はどうなんだろう?不幸な気持ちになるのか?それはひとにもよるのだろうけど。そう考えた時に思ったのは「こだわりなんてない方が幸せ度は高めにキープ出来そう!」である。
だから現在いろんな縛りやルールの中で許されているタバコ、喫煙とゆう行為から開放された方がメリットがありそうだ、とゆう結論になった。経済的にも健康的にもメリットの方がありそうだ。ただ、喫煙していた時間がポッカリ空いてしまった為何をして過ごせば良いか?問題が代わりに浮上してきた。これは読書とかにあてている。身体に無理がきかなくなって相当な年月が経った。身体能力はどんどん衰えていく、これは個人差があるのかもしれないけれど夫婦生活も危ぶまれてしまうレベルに達してしまいそうな僕にとってはやっぱり今回の禁煙は必要な対策とも思う。これについては食生活も改善中である。生物学的には僕の人生はもう立派にロスタイムに入っていていろいろ考えてこの辺で生き方を「ガラッと」変えてみたくなった。いろんな転機の作り方を探していたんだと思う。今まで何度か失敗して来ただけに本人的にもどうかな〜?と思っていたけれど始めてみれば思ったよりすんなり禁煙出来ている。辞めた方が良いとゆう方にメリットをたくさん感じているからだと思う。今まではそうゆう認識ではいなかった。
けれど思うのはよくいる「禁煙者になった途端に喫煙者がタバコを辞めれないのは全く意志が弱いよね。」みたいに罵りがちなおっさんにはなりたくないな〜と思う。てゆーかなんなら今でもタバコを吸っていられる自分でいたい、とゆう気持ちすらある。ただ、吸える場所が限られているせいでそれによるストレスを感じやすくなって来ている。吸える場所はどんどん減って来ている。いつしか探すのが面倒になって来た、でも吸いたいし、みたいな負の連鎖も面倒臭い。結果身体にも良くない、経済的にもどんどん負担増える…吸える場所は減る…喫煙とゆう行為自体を継続することに違和感を感じ始めていた。これから開放されたら楽になるかもな、…ならなかったとしたらまた復活させればいいしな。である。多分辞めた方にメリットが多そうだ、だから辞める方向で考えている。今のところ継続出来ている自分が実は誇らしく思っている。意志弱々人間だと思っていたからである。頑張ってこれをキープしよう💪🏻

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