中学1、2年生
無理言って進学塾に入れてもらい、お受験までさせていただき、なんとか大阪教育大学教育学部附属池田中学校に入学出来ました!
大阪教育大学教育学部附属池田中学校を『池附(いけふ)』とみんな略してましたが、入学した中の人間たちは『附中(ふちゅう)』と略します。
倍率で言うと約6倍、偏差値は60いくつとかやったかな?
周りは『賢(かしこ)』だらけです。
グループはだんだん出来ていくのですが、最初は大阪教育大学教育学部附属池田小学校から上がってきた『内部』と、その他外から受験した『外部』でうっすら分かれていました。が、もちろん不良やややこしいやつはいませんので、すぐにみんなと馴染みました。
この二年間についてはあんまし書くことがないのよ・・・
部活はサッカー部。
1学年上に賢い人だらけの中ではちょっと突っ張ってるかな?ぐらいの先輩は怖かったですね。
竹村先輩という方が一番怖かったかな。
怖いと言ってもタバコを隠れて吸うとかではなく、背が高く、腰パンで不良っぽいオーラなだけです。この人がやってる一番悪いことと言えば、みんなが寝そべったりするグリーンマット(芝生っぽいビニールのやつ)の上に唾を吐いていたことぐらいです。
の人にいじめられたりするわけでもなく、ビビリながら一緒にサッカーをやっていました。
書くことはないとおもってましたが、人生の挫折第一弾は間違いなくこの中学生期ですね。
中間テスト、期末テスト、全然ダメなの。
もちろん継続して親にはたっかいお金払ってもらいながら塾にも毎日のように通いました。
でもダメ。周りはバケモンだらけ。
というか、バケモンだらけという状況を言い訳にしていただけかな。
まず何がわからないのかわからないという感じですね。
優等生で、天才と言われていた小学生時代の子安君はもう見る影もなくなるわけです。
でも明るくはありましたので、ムドメーカー的なところにはいたかな。
カーストは上位の方なのか、いやいや、いじめもないですし、カースト上位下位というよりもグループがただ違うというニュアンスなだけな素晴らしい学校であり、友人たちでした。
運動部寄りか文化部寄りかぐらいの差かな。
おかっぱで絵に描いたようなまるメガネの女子大野さんという子がいて、勉強一筋みたいな子もみんなから尊敬されてたし、わからないことは聞きに行ったりもしてました。
ただニックネームが『OT(オーティー)』で、
『OT、ここ教えて!』
と聞きにいくと、
『OTはやめてよー笑 で、どこ?あぁこれは・・』
みたいな感じで、ニックネームは気に入ってはいない様子ではありましたがちゃんと教えてはくれました。
クラスはABCDの4クラス。
ただ読み方が『D』を『ディー』ではなく『ダー』と呼んでました。
なんでも、『ビー』に似てて間違えるから、出そうです。
英語を真っ向から否定してました。
チャイムも『キーンコーンカーンコーン』ではなく、『キーンコーンカーン・・・』と一音少なかったです。
音楽の田中先生こと『タナリュウ』のオリジナルだそうです。
この学校は大学の附属なので、もちろん高校も同じ敷地内にあります。
この高校に進学するには成績が全体の3/4に入らないとまず内申点がもらえないというボーダーがありました。
これは国立の内申点がもらえない=公立高の内申もないに等しいということになります。
つまり附属池田高校の内申はもらえないから公立校に入学しようとすると試験でほぼ満点をとらないといけないという事態になります。
そんなことができる生徒はそもそも内申点は落としていません。
つまり私立に入学するという選択肢、ほぼ一択になるわけです。
入学費も何もかも費用はバカになりません。
なのでみんな必死で食らいつこうとするわけです。
しかし子安君、先ほども言いましたが、しっかり落ちぶれてしまうわけです。
2年の夏ぐらいになると、もうこいつは無理だろうみたいなやつはなんとなくわかってくるので進路に悩み始めます。
先生たちは発破をかけるために二年生集会を開き『まだ間に合う!』という言葉を投げかけてました。
全体にはわからないように、でも、落ちこぼれ組に目を合わせながら・・・
それで奮起して、僕より成績の悪かった同級生は最終京都大学に進学したと噂を聞きました。
僕ですか?
奮起、しなかったww
どうしようかなぁ、私立にいくお金なんかないよなーと呑気に考えてると、母親が
『裕樹、自衛隊の学校があるって知ってる?』
と話題を持ちかけてきました。
人生の分岐点となる一言ですね。
『自衛隊って立派やな。災害があったら災害派遣でみんなを助けて、貧しい国にはPKOに行ったり。な、立派やな』
と、直接的に
『行け!』
とは言わなかったものの、ひしひしと伝わってくるものがありました。
そんな時同級生もなぜか
『やっくん(僕のニックネーム)、こんなん街でもらったで!』
とポケットティッシュをくれました。
そこに書かれていたのは『自衛官募集』という言葉。
彼は体が大きいので目に止まり配られたのでしょう。
優しくていいやつでめっちゃ好きやったんですけど完全に名前忘れたごめん・・・
何も言っていないのに別方面から自衛隊という選択肢を勧められ、なんとなく興味を持ち始めた僕は、そっちの進路にベクトルが向き始めます。
そして三年生へと進級します。
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