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ハワイタイムマシーンZ/太平洋のど真ん中で 16.カメハメハ1世は織田信長みたいでした

ハワイの白檀がどんどん無くなっていきます

キャプテンクックに「発見」されてから、いろんな国の船がハワイに立ち寄るようになりました。この時代のアメリカ西海岸はイスパニア(スペイン)領土です。当然ですが、パナマ運河もまだ開通していません。じゃあ、イスパニアの船が多かったのか?というとそうではありません。この頃は、イギリス、フランス、アメリカ、ロシアの船が多かったそうです。

ラッコの毛皮を持って中国へ向かっていた船たちは、停泊中に、ハワイに白檀(びゃくだん)があることを知ります。その価値がよくわかってないハワイアンにとって、白檀はその辺に生えている樹木です。英語ではサンダルウッド言われている、とてもいい香りがする樹木です(白檀を使ったセンスの写真を上の地図に入れてます)

記録によると、1791年に、ハワイの白檀が商品として認められています。お金になり始めたのです。

船乗りたちはお金にしたんでしょうが、ハワイアンはどうやったのか。当時のハワイアンがお金を上手に使えていたかどうか、わたくしは調べきれませんでした。すいません。これは物々交換やったかもしれません。とにかく、西洋人が、いろんなものと交換してくれるので、ハワイアンは白檀を伐採しまくり始めました。その結果、ハワイから白檀はほとんど消えてしまいました。

そうそう、現在、ハワイの中国人観光業者のバスに「檀島観光」と描かれていたりすることがありますが、これはその時の名残りやそうです。当時、中国ではハワイのことを檀島と言われていたとか。


異国から学ぶべきものを学びまくったカメハメハ1世

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カメハメハ1世は、この頃、すごい勢いで西洋からいろんなものを吸収しています。吸収しますが、織田信長と同じで、得るものは吸収しますが、ハワイの文化は守っていたようです。

ハワイ諸島へ初めてやってきたと言われているキャプテンクックが殺された話は、第12話で紹介させていただきました。そのキャプテンクックの船の乗組員だったバンクーバーは、船長となって再びハワイを訪れています。キャプテンクックの後を継ぐ、太平洋探索を任命されたのです。で、ちょうど、カメハメハ1世がハワイ島を制覇した頃、再びハワイ島へやってきています。

カメハメハ1世は、バンクーバーと会って、とても仲良くなります。っていうか、得るものがいっぱいあったんでしょう。領土の統治方法や異国との接し方みたいなことまで教えてもらったそうです。

いやしかし、18世紀末といえば、西洋の国の領土取得合戦は続いています。仲良くなったと言っても、バンクーバーはハワイ諸島を奪うつもりやったんちゃうか?と思ってしまいますが、何とも微妙です。カメハメハ1世は、ハワイ王国の国旗にイギリス国旗をそのまま使おうとしています。

ちなみにこれがハワイ王国の国旗▼

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※左の国旗は当時のイギリス国旗です。まだアイルランドが加わっていないので、国旗も現在のものとは違い、斜めの赤い線が入っていません。

ハワイ文化を守りつつ、西洋文明を取り込もうとしていたカメハメハ1世が、騙されるなんて考えにくいです。ハワイ文化をキープしたまま、イギリスの仲間になった方がいい、と思っていたんでしょうか?

ちなみに、バンクーバーは、航海中、何度もハワイにやってきています。そして、ハワイ島に牛を5頭プレゼントしています。牛です。ビーフです。でも、すぐに食べずに育てよ、と言ったそうです。商売としての牛の価値まで説明したようです。イギリス領土にしようと思っている相手に、そこまで教えるでしょうか。バンクーバーも、カメハメハ1世を騙すつもりはなく、頑張ってる異邦人に友情を感じ、応援しようと思ったのか。

そうそう、牛はどんどん増えましたが、カメハメハ1世はこの牛たちを食べることはしません(できなかった?)でした。そのまま放置し、ハワイ島は牛だらけになります。牛たちがどうなったのか。それは、ハワイ王国が誕生した後の話なので、またその時に書かせていただきます。


1795年、カメハメハ1世はオアフ島軍を滅ぼします

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第14話に書きましたが、カメハメハ1世はマウイ島の軍隊をイアオ渓谷で倒しています。が、ハワイ島の異変に気づき引き返してしまったので、マウイ島からオアフ島までの島々は、まだカヘキリ王の領土やったみたいです。

1794年、カヘキリ王が亡くなり、カラニクプレという長男が後を継ぎました。カメハメハ1世はここぞとばかり、兵を出します。カラニクプレは、カメハメハ1世には全くかないません。マウイ島、モロカイ島、ラナイ島、カホオラヴェ島は、あっという間にカメハメハ1世に奪われてしまいます。

銃や大砲を持っていたカメハメハ1世の軍は、めっちゃ強かったみたいです。まあ、当然ですね。原始的な刀が、飛び道具にかなうわけがありません。

1795年、ついにオアフ島へ攻め入ります。カメハメハ1世の軍隊は1万人もいたそうです。

上の写真の左は、ハワイ島キングカメハメハホテルのロビーに飾られている絵です。カメハメハ1世の軍隊がワイキキへ攻め入ってるところが描かれています。カメハメハ1世の軍隊は、ダイヤモンドヘッドが見える海から攻め入り、現在のワイキキのど真ん中に本陣を構えたと言い伝えられています。

銃や大砲を持っている大軍に勝てるわけありません。オアフ軍は逃げまくります。

オアフ島には、パリハイウェイというダウンタウンからカイルアに向かう幹線道路があります。ちなみに、ハイウェイと聞いて、日本の高速道路を連想される方がいらっしゃるみたいですが、高速道路はフリーウェイです。ハイウェイは日本でいう国道みたいなもんでしょうか。

その途中に、ヌウアヌ・パリ展望台という観光地があります。それが右の写真です。コオラウ山脈の途中にある絶景ポイントで、目の前は断崖絶壁です。オアフ島のカラニクプレ軍はここで全滅させられます。

現在、ヌウアヌ・パリ展望台といえば、カメハメハ1世がオアフ島の軍隊を全滅させた場所として有名です。が、当時のハワイアンは、文字を持っていませんでした。西洋人が登場するあたりは記録が残っているのですが、ハワイアンだけの出来事はすべて語り伝えでした。なので、このヌウアヌ・パリでのオアフ軍全滅も、後からやってきた西洋人たちは、最初は作り話だと思っていたそうです。まあ、戦いはあったとしても、敵軍を崖っぷちまで追い詰めて全滅させるなんて、そんな劇的な展開はないやろ、と。

それが実話として認識されるようになったのは、ずっと後の1898年のことです。ヌウアヌ・パリの道を幹線道路にする工事が行われていた時に、800人もの頭蓋骨が見つかりました。ああ、あの言い伝えは本当やったんや、と、なったわけです。

第14話で紹介した、ハワイ島マウナケアの噴火でケオウア軍が滅びた話も言い伝えでしかなかった頃です(溶岩の中から全滅したケオウア軍の足跡が見つかったのは1919年


ヌウアヌ・パリ展望台からの風景

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わたくしがハワイで仕事をするようになったのは2000年のことです。当時、旅行会社のツアーなんかでハワイへやってきた場合、到着日は小型のバスで近場の観光地を回るオプショナルツアーへ連れて行かれることが多かったように思います。その中に、ヌウアヌ・パリ展望台もありました。

そのツアーに参加したことがあります。
「その昔、カメハメハ大王がここでオアフ島軍を全滅させました」
みたいな簡単な説明があって、展望台に案内してもらいます。カメハメハという名前は聞いたことがありましたが、ハワイ王国を作ったとか、その前にハワイ島でいろいろあったとか、そんなことはもちろん知りません。だいたい、オアフ島軍って誰の軍なんや?分からないまま、駐車場から展望台まで歩きました。

そこに広がっていたのは、なんとも不思議でキレイな絶景でした。緑いっぱいなのですが、中心には建物が並ぶ街が広がっていて、その街の向こうには真っ青な海が見えています。めっちゃキレイですが、ハワイへ上陸したばかりのわたくしはひねくれていました。わざわざお金払って、オプショナルツアーで来るほどでもないかも。最初のうちはドライブのついでに行っていましたが、そのうち素通りするようになってしまいました。

わたくしが再びヌウアヌ・パリ展望台へ行くようになったのは、歴史を知ってからです。


。。。。つづく

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