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ハワイタイムマシーンZ/太平洋のど真ん中で 37.カラカウアがやったことで有名な話3つ

1. フラを復活させた王

カラカウアが王になった頃、ハワイはキリスト教に仕切られていて、フラは禁止されていました。キリスト教信者にとって、古代宗教的なフラは許せなかったんでしょうね。ちなみに、ハワイにキリスト教宣教師団が到着したのは1820年です。これ以降、フラが禁止された、と書いてある本があったりしますが、それはちょっと違います。

偉大なカメハメハ1世を失い、ハワイ王国を守るためにカアフマヌ(カメハメハ1世の奥さんの一人)がキリスト教に入信したのは1825年。実際にフラが禁止されるようになったのはその後のことです。1830年って書いてある資料もあります。

その後、フラは禁止されますが、ひっそりと伝えられてきたそうです。カラカウア(ハワイ王国7代目の王)は禁止されてきたフラを復活させます。ハワイの文化を取り戻そうとしていた、と伝えられています。

それがいつだったのか、いろんなところで書かれていますが、はっきりしません。結構バラバラです。多い説が以下の3つ。

・1874年 これはカラカウアが王に就任した年。就任していきなりは無理ちゃうかなあとわたくしは思っております
・1883年 イオラニ宮殿で行われたカラカウア戴冠式。この時に大々的にやったようにわたくしは思います
・1886年 カラカウア50歳の誕生日に行われた記念式典。この写真はいっぱい残っています

根拠がある、はっきりした情報をお持ちの方は教えてくださいまし。

2. イオラニパレスを造った王

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イオラニパレスという建物は、カメハメハ3世がホノルルに首都を移転させた時にはすでに造られていたそうです。ただ、それは儀式用のスペースがあるだけの木造の建物でした。いろんな勉強をして西洋文化について知っていたカラカウアは、そんなものではない西洋の王国が持っているような、城を造ろうとします。

1879年から工事は始まり、1882年に完成します。3年がかりの大工事。よく紹介されているのが、当時、イギリスのバッキンガム宮殿にさえなかった電気設備を持っていたこと。こういうお話は、イオラニパレスで行われている宮殿ツアーで聞くことができます▼
https://www.iolanipalace.org/

イオラニパレスは、わたくしも何度が取材へ行っていますが、行くたびに驚きます。例えば、調理場は地下にあるのですが、配膳用エレベーターがあって料理を2階まで運んでくれます。1882年といえば、明治15年。当時の日本人が見たら驚いたと思います。未来の風景やったでしょうね。

ちなみに、太平洋に浮かぶ小さな国が、こんなにすごい建物を建てたのですから、とんでもないお金がかかりました。その後、ハワイ王国の財政を追い込んでいく事になります。

3. 世界一周した王

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1881年、イオラニパレスが工事中の時に、カラカウアは世界を一周しています。単にぐるっと回っただけでなく、本当にいろんな国を回っています。しかもその旅行期間は10カ月!

・ホノルル
・サンフランシスコ
・東京
・神戸
・上海
・天津
・香港
・バンコク
・シンガポール
・ペナン(マレーシア)
・ラングーン(ヤンゴン/ミャンマー)
・カルカッタ(コルカタ/インド)
・ボンベイ(インド)
・カイロ(エジプト)
・シチリア(イタリア)
・ローマ
・ロンドン
・ブリュッセル(ベルギー)
・ケルン(ドイツ)
・ベルリン
・ウィーン(オーストリア)
・パリ
・リスボン(ポルトガル)
・マドリード(スペイン)
・グラスゴー(スコットランド)
・ニューヨーク

遊びに行ったように思えますが(半分遊びかもしれませんが)、カラカウアはいろいろ考えていたそうです。

・アメリカ勢力に対抗する
・ハワイの労働力不足への協力要請

そうそう、カラカウアは、この世界一周の始めの方で日本にやってきています。この時、日本の皇族、山階宮定麿殿下にカイウラニ(カラカウアの妹リケリケの娘)との縁談を持ち込んでいます。この縁談話を知って、ハワイは日本の領土になっていたかもしれない!なんて言ってる人がいますが、いやいや、カラカウアはハワイ王国を守りたかったのです。

ちなみに、当時の日本は西洋文明を取り入れたばかり。首相も現れていません。

・1881(明治14)年3月 カラカウアが日本にやってくる
・1885(明治18)年12月 伊藤博文首相に就任

山階宮定麿殿下とカイウラニの国際結婚は実現しませんでしたが、もうひとつの提案は実現する事になります。それが、サトウキビ畑で働く労働者を日本から移民として受け入れる「官約移民」です。

そして1883年、イオラニ宮殿でカラカウア戴冠式が行われます

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イオラニパレスが完成した翌年の1883年、戴冠式が行われました。戴冠式というのは、国王が聖職者から公式に王冠をもらって王位就任を宣言するもの。カラカウアが王になったのは1874年なので何で今頃?って感じですが、1874年当時ハワイでは暴動が起きていてそれどころではありませんでした。

が、その後のカラカウアは大活躍しています。

アメリカ合衆国に対する砂糖減税交渉を成功させ、カピオラニ公園とイオラニパレスをつくり、世界一周で各国との関係を深めました。その上での戴冠式です。カラカウアは、世界中にハワイ王国をPRしたかったのでしょう。いろんな国から、いろんな人々が、ハワイ王国の戴冠式を見るためにやってきたそうです。ちなみに、王冠やドレスは全てイギリスから取り寄せています。

さてさて、このあたりで知っておかねばならないことがあります。

カメハメハ1世~5世は、ハワイ王国をつくった王の家族なので、王としての財産をいっぱい持っていました。何をするにもカメハメハ王家のお金を使うことができました。が、カラカウアは違います。カラカウアはカメハメハ王家のようなお金は持っていません。なので、カラカウアの出費は、ハワイ王国が負担する事になります。そして、カラカウアの時代のハワイ王国の閣僚は欧米人がたくさんいました。彼らは、カラカウアのお金の使い方についてかなり否定的だったそうです。

戴冠式のカラカウアは顔色がすごく悪かった、という記録をいろんなところで見かけます。裏でいろいろあったのかもしれません。


。。。。つづく


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