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ハワイタイムマシーンZ/太平洋のど真ん中で 18.クジラと牛の話

パーカーランチのルーツ

ここでいきなりですが、ハワイ島のパーカーランチについても書いておきます。ハワイ島のワイメアには、一時期アメリカ国内でも最大規模と言われたことのある大きな牧場があります。ビーフにするための牛を育ててるところですね。

パーカーランチという名前がついていますが、「パーカー」は名前です。パーカーさんがやってきたのがちょうどこの頃、1809年のことです。若いパーカーさんは捕鯨船の船乗りとしてハワイ島へやってきました。が、何を思ったか、ハワイ島で船を降りています。どうやって知り合ったか、とか、細かい話を見つけることはできなかったんですが、カメハメハ1世に気に入られたみたいです。

で、船に乗りどこかへ渡り(中国へ行ったと書いてあったりします)、1812年に最先端のマスケット銃を持って帰ってきたそうです。ちなみにマスケット銃は、アメリカの南北戦争でも使われた銃です。南北戦争は1861年~1865年ですから、1812年に当時最先端のマスケット銃を手に入れるなんて、なかなかのやり手やったと思われます。あ、こんな銃です▼

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その働きを認められてか、カメハメハ1世の孫娘をお嫁さんにもらっています。それだけではありません。ハワイ島で繁殖している牛たちも手に入れています。バンクーバーさんがカメハメハ1世にプレゼントした牛第16話ご参照ください)の子孫です。最初は5頭やった牛が、とんでもない数になってたそうで、そんなものまで手に入れるなんて、パーカーさんはよっぽどカメハメハ1世に気に入られてたんでしょうね。

ただ、このあたりのことは書いてある資料によって、微妙に違います。本当にやり手で、いろんな商売を成功させて大金持ちになり、それが認められてカメハメハ1世の孫娘をお嫁さんにもらった、とか。

お金持ちになったから、じゃなくて、カメハメハ1世の戦力拡大を手伝ったから、の方が正しいんちゃうかな?とわたくしは思っております。

パーカーランチへ言ったら、ビレッジバーガー・ワイメア

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ちょっと脱線します。

個人的な話ですが、わたくしはハワイ島へ行ったら、自然を体感したり、風景を眺めたりすることに徹しております。なので、ハワイ島でどうしても食べに行きたいお店っていうのはそんなにありません。パーカーランチがあるワイメアは、ハワイ島北部の中央にある町ですが、絶対行かねばというお店はありませんでした。ちなみに、ワイメアは高度があるため、そんなに暑くなかったりします。

絶対行かねばというお店はありませんでした。と、過去形なのは、最近、好きなお店ができたから。

ワイメアの町の中心に、パーカーランチセンターというショッピングセンターがあります。広い敷地に、1階建の建物がドカーンと並んでいるショッピングセンターで、その建物の大きさが分からなくなるほど、駐車場もだだっ広いです。

その中に、ビレッジバーガー・ワイメアというバーガーショップがあります。オーダーカウンターしかないお店としては大きい方やと思いますが、まわりのお店がもっと大きいのですごく小さく感じます。

ここで、今やブランド扱いされているパーカーランチのビーフを使ったハンバーガーを食べることができます。っていうか、わたくしは2002年ぐらいからハワイ島へ行きまくっていましたが、その頃は、パーカーランチのハンバーガーなんて食べたことはありませんでした。初めて食べたのは2017年のことです。なんと、そんなことを始めたのはこのお店が最初みたいです。

いろんなメニューがありますが、ビッグアイランド・ビーフ・バーガーです。トマトも挟まっていて、めっちゃボリュームあります。アメリカのハンバーガーって肉肉しくてあんまり好きじゃない、という方もこれはハマると思います。オーナーは日系人です。


ちょうどこの時代、太平洋は捕鯨船でいっぱいでした

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パーカーさんは捕鯨船に乗ってきた、と書きました。捕鯨船とはクジラを捕まえる船です。

ハワイ王国ができたばかりのこの時代、太平洋は、植民地を拡大中のイギリス、フラン ス、アメリカ、ロシアの戦艦や商船がうろうろしていました。特に増えていたのがアメリカ式捕鯨の捕鯨船です。

アメリカ式捕鯨とは何か?

調べて驚きました。イギリスで産業革命が始まってから、先進国では工場やオフィスの照明用として、ランプの需要が高まっていました。その燃料として使われていたのが、マッコウクジラの鯨油です。現在の石油のような使われ方ですね。

アメリカ式捕鯨では、クジラを捕まえて、その身体から油だけを採取します。そして、後は捨て去っていました。石油のような使い方がメインだからでしょうか、クジラの肉は捨てられていました。なんということでしょう。 最初にそのことを知った時は驚きました。

日本の捕鯨は、クジラを無駄なく利用します。

鯨油 → 灯火用の燃料、除虫材
鯨肉、軟骨 → 食用
骨やヒゲ → 手工芸品の材料
ヒゲと歯 → 笄(こうがい)髪を掻き揚げて髷を形作る結髪用具、髪飾り
毛 → 綱
皮 → 膠(にかわ)接着剤のように使うもの
血 → 薬
脂肪 → 鯨油
採油後の骨 → 砕いて肥料

そんなところまで使うのか!かわいそうすぎる!と思われる方もいらっしゃるみたいですが、灯火用の油を搾られるためだけに殺されるほうがよっぽどかわいそうです。

クジラは北の海で生活していますが、冬になるとハワイ周辺にやってきます。捕鯨船団もそれを追いかけて南下してくるので、ハワイの海も、冬になると賑わうようになっていました。

その後、捕鯨船の寄港地として、ラハイナがどんどん賑やかになっていくんですけど、まだこの頃はそれほどでもなかったみたいです。が、パーカーさんは捕鯨船に乗ってやってきたんです。ちょっとずつかもしれませんが、ハワイに異国の船が寄港するのは当たり前みたいになってきてたようです。

ちょっといろいろなことが起こりすぎているので、もう一度

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西洋人がやってきたあたりから、ハワイではいろんなことが起こり始めます。ちょっとややこしいと思うので、もう一度箇条書きにしてみたいと思います。

1778年 キャプテンクックがカウアイ島上陸
1779年 キャプテンクックがハワイ島上陸、殺される
1782年 ハワイ島の王、カラニオプウ死去/ハワイ島分裂
1790年 アイザック・デービスとジョン・ヤングがカメハメハ1世の側近に
      マウイ島イアオ渓谷でマウイ軍を倒す
      ハワイ島ケオウア軍がマウナロアの噴火で全滅
1791年 ハワイ島にプウコホラ・ヘイアウができて、ケオウアが生贄に
      ハワイの白檀が商品として流通し始める
1793年 バンクーバー船長とカメハメハ1世が仲良くなり始める
1795年 カメハメハ1世オアフ軍を倒し、ハワイ王国建国を宣言
      カメハメハ1世、位の高いケオプオラニと結婚
1796年 カウアイ島1回目の攻撃(嵐で撤収)
★ハワイ島でちょっとした反乱(いつなのか分からなくてすいません)
1802年 カメハメハ1世がマウイ島ラハイナに住み始める
1803年 カウアイ島2回目の攻撃(ペスト流行で中止)
1809年 パーカーさんがハワイにやってくる

簡単ですけど、並べてみました。キャプテンクックがやってきてから、たった16年でハワイ王国が誕生しています。

ちなみに、日本に黒船がやってきたのは1853年。明治維新は1868年。これもたった15年です。新しい文明との出会いは人を動かすということでしょうか。

。。。。つづく

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