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ハワイタイムマシーンZ/太平洋のど真ん中で 08.どうしてカウアイ島にカメハメハ1世はいないのか

カウアイ島には、昔のハワイ史が残されています

カウアイ島はどうしてカメハメハ1世を拒んでいるのか?

カウアイミュージアムでは、複数の王(リーダー)の絵が飾られています。一番最初は、ポリネシアンがカウアイ島に到着した時代のリーダーで、この人はまだ王ではないみたいです。なんだかとっても長い名前で、カマヴァエルアラニ(Kama-wae-lua-lani)と書かれています。西暦310年ごろにやってきたそうです。

ちなみに、カウアイ島の歴代王の名前を紹介しているwikipediaのページ(英語)がありますが、そこに、カマヴァエルアラニという名前はありません。 wikipediaのページ(英語)で紹介されているカウアイ島の一人目の王はモイケハ(Moikeha)です。カウアイミュージアムでは3番目か4番目に紹介されている王です。

カウアイ島の王を紹介するwikipediaのページ(英語)▼
https://en.wikipedia.org/wiki/Alii_nui_of_Kauai

ハワイアンは文字を持っていませんでした。なのに、そのWEBページには、西暦1000年ごろからスタートしているカウアイ島の王の名前が23人書かれていました。まず、それに驚きました。ハワイアンは文字を持っていませんでしたが、いろんなものを語り継いできました。いやしかし、23人もの名前を覚えておくなんて! わたくしには出来ません。

そして、カウアイミュージアムには、それより昔のカウアイ島のリーダーが紹介されていることに驚きました。カマヴァエルアラニは、カウアイ島に王が誕生するよりもっと昔の人物です。ってことは、カウアイ島のハワイアンたちは、それより昔のリーダーの名前を覚えていたわけです。文字として記録せず、語り継いでいたのです。ううむ、すごい。

オアフ島に、このような展示物はありません。どうして、オアフ島やマウイ島には、カメハメハ1世より昔の王の名前がないのか?

と、思ったんですが、実は英語ではいろんなところで紹介されていました。Wikipediaの英語ページには、ハワイ諸島の歴代王を紹介したページが島ごとにありました▼
https://en.wikipedia.org/wiki/Alii_nui_of_Oahu
https://en.wikipedia.org/wiki/Alii_nui_of_Molokai
https://en.wikipedia.org/wiki/Alii_nui_of_Maui
https://en.wikipedia.org/wiki/Alii_nui_of_Hawaii

それぞれの島のハワイアンは、それぞれの島の歴代王を語り継いでいたのです。

基本的なハワイ文化を作ったのはマルケサスからの移民?

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でも、オアフ島で語られるハワイの歴史といえば、カメハメハ1世がハワイ諸国を統一(1810年)し、ハワイ王国をつくるところから始まります。どうして、カウアイ島の歴史は、それより1500年以上前のポリネシアンがやってくるところから始まるのか。人々が団結して何かをはじめ、カウアイ島の王が誕生し、そして、ハワイ王国に屈するところまで続くのか。

西暦700年代後半、タヒチから、ウルとナナウルという兄弟がやってきました。彼らはタヒチの王族の息子たちでした。タヒチは人が増えていたので、新天地を求めて海を渡ってきました。彼らはタヒチで学んだやり方でハワイの島々を制していきます。

ウル/マウイ島、ハワイ島
ナナウル/カウアイ島、オアフ島、モロカイ島

彼らがやって来てから、ハワイにはいろんな文化というかルールが作られていったそうです。それぞれの島に王が生まれ、秩序が出来ていきました。簡単に言えば、島々を制している王様たちのルーツは、ウルかナナウルやったわけです。

サモアからパアオというカフナがやってきた

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西暦1000年ごろから、今度はタヒチ方面からの移民がやってくるようになります。文字の記録がないのに、こんなことまで調べられててすごいです。その中にパアオという男がいました。パアオは、大神官のふりをしてハワイ島に上陸しました。パアオはサモアからやってきたみたいです。

当時ハワイ島の王は、ちょっとした暴君でした。パアオは、苦しんでる人々を助け、軍隊を作ってその暴君をあっさりとやっつけます。ハワイ島の人々は、パアオに「王になってくれ」とお願いしますが、パアオは自分が大した身分ではないことを分かっています。それを断り、タヒチから身分の高いピリという人物を連れてきて、彼を王にしたそうです。

つまり、それまでのハワイ諸島は、タヒチからやってきた移民、ウル&ナナウルの子孫が仕切っていましたが、パアオがやってきてから、ハワイ島だけはちょっと変わってしまいました。

※このあたりのことだけでなく、古代ハワイの歴史が分かるWEBサイトをご紹介します▼
https://www.legendaryhawaii.com/

※パアオの話はこちら▼
https://www.legendaryhawaii.com/ancient/p05

このピリ王朝系の末裔がカメハメハ1世です。だからどないやねん!と思われるかもしれませんが、カウアイ島以外の島々で、カメハメハ1世以前の王の話があまり出てこないのは、どうしてなのか?と言う疑問の答えがここにあると、わたくしは思います。

どうしてそう思ったか、次に書いてみます。


ウル&ナナウル系の王を倒していったカメハメハ1世

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カメハメハ1世は4人以上の奥さんをもらっています。その中に、ケオプオラニという奥さんがいます。カメハメハ2世と3世のお母さんです。奥さんなんですけど、カメハメハ1世はケオプオラニの前では「常にひれ伏して」いました。なんと、ケオプオラニは、カメハメハ1世よりも位が上やったそうです。ウル&ナナウルの子孫やったんでしょうね。いやしかし、奥さんと普通に接することができないなんて。

位が上とはどういうことか?

古代ハワイには身分に階級がありました。

・アリイ(王族)
・カフナ(神官)
・マカアイナナ(平民)
・カウヴァ(奴隷)

オアフ島には、バースストーン(クカニロコ・バーストーン)という、王族が出産のために使う石があります。この石は、カウアイ島にもマウイ島にもあります。このバースストーンは、アリイが使う石でした。じゃ、アリイ階級の人はみんなバースストーンを使えたのか、というと違ったみたいです。アリイの中にもランクがありました。簡単に言えば、バースストーンを使っていたのは、ハワイに階級社会を定着させた、ウルやナナウルの血を引く王たちでした。

カメハメハ1世は、オアフ島を征した後、ケオプオラニにここで出産してもらおうとします。が、出来ませんでした。王なのに、バースストーンを使えなかったのです。理由は簡単です。カメハメハ1世は、ウルやナナウルの血を引く王ではなく、サモアからやってきた、パアオの系列の王やったから。

カメハメハ1世は、それは何となく分かっていたように思います。でも、ウルやナナウルの地位まで成り上がろうとして、地位のあるケオプオラニを奥さんにもらった。でも、それは叶わなかった。

王なんやから、無理やりなんとかしたらええやんか!と思われるかもしれませんが、当時のハワイアンにとって、しきたりは何よりも大切でした。カフナに断られ、カメハメハ1世は大人しく引き下がりました。

カメハメハ1世にとって、彼が制するまでのそれぞれの島の王たちは「位が上の人」でした。そんな王たちの歴史を語り継ぐなんてことはしなくていい。カメハメハ1世は、他の島々を征するにあたり、それら王たちの歴史を公に語り継ぐことをやめさせたのではないでしょうか。

カウアイ島だけは征することができませんでした。なので、カウアイ島は、カメハメハ1世が現れるまでの歴史を守ることができました。

以上、わたくしの考えです。

。。。。つづく


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