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sep.

キッチンにはハイライトとウイスキーグラス
どこにでもあるような家族の風景

私の大好きな歌、ハナレグミの「家族の風景」の歌詞。
両親がよく聴いていた気がしていて、文字通り私の思い出の、家族の風景。
私にとっての「家族」への向き合い方と、執着とその変容の話。

私は両親が20のときに生まれた子で、両親のその若さと共に私も育ってきた。
最初はきっと大変で、裕福でもなく安定もしていないはずだったから、少しばかり大変な幼少期だっただろう。私も両親も。
それでも決して貧困家庭ではなく、今現在の父親に至っては見たくもないほど稼いでいる。

私にはもう一人、同じ両親を持つ弟がいるが、その家族四人の思い出がこれといって一つもない。
理由は単純で離婚しているからだけれど、これも別に特段珍しいことではない。
それでも、その事実に気がついたときは少しショックを受けた。

私は15.6の時から家を出て一人で暮らしている。
高校で東京に来た時、初めて自分の家で寝た時、その家を離れる時。
色々と節目というべきタイミングがここ東京でも数多くあったけど、よく考えてみればそれまでも同じような人生だった。
生まれてから同じ家に2年以上住んだことはないし、いわゆる「地元」だって無い。
昔から知っている友達だって一人か二人くらいだし、かといって家族との繋がりも切れそうなこともあるくらいだった。

私はどうも地に足がついておらず常に浮いているような気がしている。
その奥深くには、この「家族」との関わり方があるはずだと思っている。
けどこの問い自体は無限回繰り返した。
それでも私の浮力については、掴めていない。

ここ一年ほどで、どうしても両親と話す機会が増えていた。増えたといっても一年に二回ほどだったのが五回になった、ぐらいのレベルだけれど。
けれどそれだけでも、何か変わったような気がして、何度か思いを伝えたことがある。仲良くしたいと。

それでいい気がしている。両親と、私は仲良くしたい。
今までの「家族」への憧れと、それをただ追い求めるようにやってきたことは、全然間違いだったかもしれない。
どうしても私は受け入れられなかった。いつだって歩み寄ってくれたのは二人の方だったのに。
一番近くにいて欲しかっただけで、「家族」とはそういうものなんじゃないの?みたいな幻想をぶつけて、それでも実際近くはなかったから、ずっと遠く離れた存在だと思ってた。
私が離れるのをやめてみようと思う。
だってもう十分引っ張ったでしょう。ちぎれそうなくらい。

今だって理解できないことはたくさんあるけどね。
どうか私を、地に戻してくれることを信じて。

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