川西移住記 きゃめろんはこの土地でついにお店を始めた
突然 川西に引っ越した。なんで川西?とよく聞かれるし、自分でもなんでだろうと考えてみて、まとめてみた。
ひとことで言うと、「過去と現在が交差する場所だから」である。
1.懐かしい土地のおとなりさん
今から10年以上前、阪急宝塚線池田駅に、週1ペースで通っていた。ハンググライダーをやるためだ。阪大のサークルにインカレで参加させてもらっていて、サークル所有のグライダー倉庫が池田駅付近にあった。そこが集合場所だった。車に乗り合わせて鳥取へ行って活動をしていた。
池田駅は川西能勢口より1つ梅田側の駅。こんなに近かったのに、大学生当時、川西まで来ることはほとんどなかった。とはいえ私にとって阪急宝塚沿線は懐かしい路線。今現在、電車に乗って梅田に行く時や、国道176号線・173号線を走る時は1人で心の中で「超エモい!!」と叫んでいる。
おい大学生の私、15年ほど経ってまた宝塚本線沿いに居るぞ。今は兵庫側に住んでて、行き帰りのホームが逆になってるぞ。慣れ親しんだ道の近くに住んでるぞ、しょっちゅう176(イナロク)と173(イナサン)走ってるぞ!信じられないだろう!!
頻繁に出現していたあの頃から長い時間が経ったけど、池田周辺は いまだにハングつながりの知り合いが多い。先輩も後輩もたくさんいる。阪大のハング・パラサークルもちゃんと続いていて、後輩は増え続けているし(学生との交流は なかなか機会が少ないけれど)。
てことで、「川西にいれば『みんな』に会えるかな~あわよくばお店来てくれたりして~」なんて めちゃくちゃ漠然と期待していた。そんな漠然が申し訳なくなるくらい、実際『みんな』は温かかった。
そうは言ってもキッチンカーの営業は月曜だけだし、来れる人がいると思えない。実店舗を出したからといって、わざわざ電車に乗って来てくれるとも思えない。そう言っている間に、いったいどれだけの人が会いに来てくれただろう。どれだけの祝福をもらい、どれだけ私の提供する料理を食べてもらっただろう。キッチンカーの営業は合計13回。ほぼ毎回、誰かが来てくれた。私はこのことを忘れないだろう。
前に大阪に住んでいた時はしょっちゅう ごはん会を開催して集まって飲んでいたけれど、今や このご時世「集まりましょう」と声をかけることも はばかられ、まあ気軽に会うなんて無理だわな~と思っていたのに、店をやってたらみんなに会えたなんて、まさに夢のようだ。
ゆくゆくは現役の学生後輩も来てくれれば、なんて思ってる少しの間に、もう何人も来店してくれた。川西に来て以来、私の夢はすごいスピードで叶い続けている。
こうして私の懐かしい土地のおとなり川西は、今なお良くしてくれる皆さんのおかげで、現在につながった。
(タイトルとはズレるけど、この辺りで一緒に活動していたわけでないような、ハング関係以外の学部の友人とか元職場の先輩とかも来てくれる。ハング関係でも遠いのに来てくれる人もいる。偶然兵庫に住んでたり、近くに来る用事を見つけて応援に来てくれたりわざわざ会いにきてくれたり。みんな優しすぎる)
2.心強い同業者がたくさん
現在の川西には、小規模起業コミュニティがある。小さな飲食店を経営している方・その飲食店に力を貸している方が、たくさんいる。その小規模起業の名を、ツイッターでは「しょぼい起業」という。東京でイベントバーを経営する店長(通称えらいてんちょう)さんが命名したと聞いている。その理念を継承したお店は、全国にたくさんある。
そんな しょぼい起業、川西にはそのノウハウを蓄積・伝授する達人がいる。くきたふみやさんだ。くきたさんがオーナーをつとめるお店は複数あるが、そのうちの2件、ケプリ(カレー屋)・川西麺業(ラーメン屋)は隣接していて、その道は「しょぼい起業ストリート」となっている。
しょぼい起業の名で展開される小規模起業のコミュニティは前述のとおりツイッター由来なのだが、川西に来るとそうでもない。地元の実業家の方からも、その言葉を耳にする。ケプリのある道を「しょぼい起業ストリート」と呼ぶのだと教えてくださったのは、そんな川西の実業家の方だった(むしろ当事者の間では「ケプリタウン」とか、そういう呼ばれ方の方が主流だったりする。周囲から呼び名がつくくらい、地域に馴染んでいるのだと感じる)。
この小規模起業コミュニティの存在について、起業に興味のある友人に聞かれた時などに、よく話す。川西に居れば、相談しながら同時進行で起業に向けて活動することができる、と。「そのコミュニティ、どうやって知ったの?」と聞かれると私は得意げに「ツイッター!」と言ってしまう。その回答に びっくりされると嬉しくなってしまう。(ツイッターは私の家です)
てことで「川西に行けばお店出すのなんとかなるかな~あわよくばお友達増えたりして~」なんて めちゃくちゃ漠然と期待していた。そんな漠然が申し訳なくなるくらい、実際とてつもなくお世話になっている。
駅前をフラフラすれば、知ってる人がやっているお店がたくさんある。それは想像以上に心強いことだった。必要な資材をちょっと分けてもらったり、お店をやるにあたって分からないことがあれば質問を聞いてもらったり。何より、美味しいものを出してくれるそのお店の人が知り合い・友人であるということにテンションが上がる。私はそういうのが好きで楽しいのだと、改めて感じた。「知り合い・友人がやってるお店」って響き、ニヤニヤしてしまう。だけどそんなの、実際には そうそう存在しないと思うのだけれど、ツイッターやってて川西に居ると近くにたくさんあって、なんか感覚がバグってしまう。
お店を出して以降は反対に食べに来てもらうこともある。これもとても心強い。店に来て美味しいと食べてくれたり、アドバイスをもらったり。
誰かのお店に行くか、自分のお店にいれば、自然と会える。まるで小学生に戻ったのではないかというくらい、いつでも。「ランドセル置いて後でね」くらいのノリで集合できる。
全く知らない土地だと、地域のお店の人とお友達になるまでに、どれくらいの時間がかかるのだろう。最初からそこに入れてもらえるのは大きなアドバンテージだった。寂しくない!
もちろん、「知ってる人だから」「身内だから」のひとことで済ますわけにはいかないくらい良くしてもらっているのは間違いない。書いてみたら「楽しい」の方が全面的になってしまったけど、経験者が集っている場所というのは間違いなく、「強い」。何がどう強いのか、今の私にはほとんど具体的に書けないのが悔しいけれど、それくらい自然に助けてもらっているのだと思う。1つ言えるとしたら、日々会話している そのひとことひとことに、経験値が詰まっていることが多い。会話がそのまま参考になって自分のお店の運営に活きている、そういうことはよくある。(このテーマはまた別の機会に別の記事で考察しよう)
こうして現在につながった私の川西の暮らし、いや皆さんにつないでもらったという方が感覚的にしっくりくる。これからどんな未来につながっていくだろう。
3.移住して以降の出会い
生活面では、町の栄え具合が私の性に合っている。ほどよく畑があって、ほどよくお店がたくさんあって便利で、住みやすい。
川西にはしょぼい起業由来じゃない起業応援体制があるし、実業家の方も多い。起業応援体制で私がお世話になったのはキッチンカーシェアリング。この取り組みはなんと行政が主体で成されており、これを通して同じくお店をやってみたい皆さんと交流できたのはとても良かった。(実はキッチンカーシェアリングを教えてくれたのも くきたさんなのだけど)
そしてシェアリングじゃない自前キッチンカーのお店もたくさんあって、そちら方向でもご挨拶できたし、キッチンカーではない店舗も含め、地域のお店同士の交流もとても多いのだというのを感じている。とても友好的に迎えてくださった。土地柄・人柄、皆さんの現在までの努力があって、地域ぐるみで実業家同士がつながっているんだなぁと強く感じる。
また、来てくれるお客さんも素敵な人が多い。キッチンカーから店舗になっても引き続き来てくれたり、私が妊娠していると言えば応援してくれたり。ふと思えば、自分のお店に食べに来てくれてお知り合いになるという経験は私の人生において まだまだそう多くは無い経験で、こうやって接してもらえるのは、とても嬉しいものだ。
4.ということで、夢の叶った土地になりました
これは自分では言わないようにしていることなんだけど、出産を控えているのに開業するなんて無理がある、というのはずっと思っていた。でもそれを気にしないふりして実際にどんどん突き進めているのは、こうやって現在進行形で優しく関わってくださる皆さんのおかげだ。
こうして、信じられないくらいたくさんの方が いろいろ良くしてくださって、昔の楽しかった思い出を身近に感じながらも、さらに素敵な思い出が増えていて、過去・現在・そして未来へとつながっていくのを感じる。
総じて、楽しくやらせてもらってます。ありがとうございます。がんばります!!
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