自然相手、風相手は、運・不運の不条理ゆえに ドラマが生まれる

YACHTING 98年4月号  

今回は、「風」をキーワードに、ヨットの周辺に話を追いこむ魂胆でしたが、桶屋が儲かる方向へ進んできたので、皿まで食ってしまいます。
 ドーム球場の話です。ドームには風がありません。空調も整っていて、選手も観客も快適に観戦できるわけです。まあ、ドーム球場は新しいので、グラウンドが広い(といっても、野球規則のほぼギリギリ程度)ので、非力な下位打者の凡フライが風に乗って(風はないんだけど)ホームランになるということはなくなりましたが、逆にいうと、それがあってもいいじゃないか。
 今日は10メートルの強風が吹いている。打者にとって追い風なら小打者の生涯四本目のホームランが出てもいい。向かい風なら、大打者だけが逆風をついてホームランを打てる。投手にとって逆風なら、変化球ピッチャーはキレまくって、追い風なら速球投手がトンでもないスピードで打者を襲う。高く上がった内野フライを野手がオデコにぶつけたり、野手どうしが衝突したりお見合いしたり。面白いじゃないですか。たまにはあってもいい。
 こういった風のいたずらは、まあ、許せるわけです。この場合は、「運が悪かった」と泣いたり、「ラッキー」と喜んだりできますよね。ジャンプって泣くに泣けないんじゃないかな、ねえ、斎藤選手。
 ただ、斜め読み第一回コラムにも書いたけど、ジャンプ競技もヨットと同じで、日本人にとってはオリンピックの期間だけ盛り上がる種目。もっと地道に毎年盛り上がっているらしいヨーロッパでは、ワールド杯の連戦のなかでの優秀な選手を、もっとまっとうに評価してあげてるらしいですね。オリンピックの成績がどうあれ、暮れから正月にかけてドイツで行われたジャンプウイークなどの活躍で、船木選手が現在の実力一位であると、ヨーロッパ人のジャンプ好きなら、だれもがはなから認めているそうですから。
 今年は六月からサッカーのワールド杯がありますが、一カ月の長丁場とはいっても、やはり、ノックアウト方式には違いありません。実力ダントツといわれ続けながら、94年の
アメリカ大会までなかなか勝てなかったブラジルを評して、かのジーコは(ようするに彼が勝てなかったのだけど)、「今のワールドカップのシステムでは実力は分からない。本当の実力一位を決めるなら、一年かけてリーグ戦を行うべきだ」といってのけた。
 そりゃそうだけど、それもあんまりだ。やっぱりラッキーはあっていい。
 さて、ラッキーで思い出したけれど、卓球で球がネットにひっかかって相手側に落ちたとき、私たち素人は「ラッキー」っていうんですが、競技をしている人は「失礼」というんですね。ホントにそう思ってるのかな。
 でまあ、卓球で思い出したけど(失礼)、卓球やバドミントンの競技は、体育館で窓を締め切って行います。夏だったりしたら、暑いのなんのって。もちろん、風の影響をなくすためです。これなら話は分かる。だけど、野球を室内でやる必要はないでしょう。
と、ここまで書いてきて、私の論調だと、ジャンプは室内でやるべきだ、という結論にならなければいけなくなった。しまった。
 炎天下で連戦する夏の甲子園大会を不条理だっ。イヤ、それがゆえに、選手の技術はヘタクソでも、見ている側にはけっこうなエンターテインメントになるんだ、という論争に近づいてきました。
 スポーツ(原義はバカ騒ぎ、らしい)と合理性の係わりはむずかしいですね。
    × × ×
 このコラムの話題が戻るべきヨットではどうなんでしょう。
 アメリカス杯なんて、フネひとつとっても、各論では技術的合理性の固まりで、総論は不条理の権化みたいな気がします。ヨット界の某御大が(某なんて奥歯にナントカのものいいでゴメンナサイ)、「あんなディンギーレースなんて…」といったとかいわないとかという話を聞きましたが、たしかに、あれだけの大金をかけて、太平洋を横断できるわけじゃなし、ボートスピードがどんな型式のヨットより速いというわけでもない。
 じゃあ、逆に、大冒険的外洋レースはどうなんだ、と考えると、これはこれでやっぱり不条理の固まりですよねえ。でも、いいんです。ボーケンだったら、不条理じゃなくちゃ。
 それにしても、ヨットとは、風がなくてはただの箱船。トランスポートが目的なら、パワーボートの方がよっぽど合理的。日本人がそう感じて、だから、ボートショーでヨットの出展が少なくなったのだったらとしたら、日本人は、不条理という名の、でも底知れない魅力的をもった愛人との同衾はあきらめて、援助交際でもしてればヨロシイということになるのかな。
  

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