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どこでも住めるとしたら

 私の趣味は天体観測だ。世の中の『天文宇宙好き』の人の中には「どこでも住めるとしたら、どこに住みたいか?」と問われて、地球以外の天体を上げる人は多いだろう。例に漏れず、私もそのうちのひとりだ。
さて…どこに住もうか?いろいろ悩んだ末、やはり私は月に住むことを決めた。

   これは私の空想と現実の狭間の物語… 

 よしっ!思い立ったら即行動だ。さっそく月移住のための準備を始めた。

 まずは『月移住支援プログラム』に参加。地球の6分の1の重力下での生活を擬似体験する。ここで特に重要なのが、歩行訓練だ。地上と同じように歩いたら、たちまち転倒してしまう。半世紀前のアポロの飛行士たちも、月での歩行にはきっと苦労したことだろう。
「月面ではウサギのように、ぴょんぴょん跳ねるように歩くんだよ」
とインストラクターが教えてくれた。

 訓練が終了し、明日はいよいよ出発。月での住居の心配はいらない。全て支援プログラムに含まれている。月までは3泊4日の旅だ。着替えやおやつ等、必要最低限の荷物をトランクに入れ、あとは現地調達すればよい。

「いたたた!」
簡単な荷造りの途中、腰が痛くなり軽くストレッチをする。
私には腰痛があるが、湿布は持っていこうか?月の低重力下では、私の体重は僅か10kg程度になる…腰痛の心配は無くなるだろう。湿布は置いていく事にした。

 一夜明け『スペースポート 大分』に到着。これまで宇宙に行く手段は、垂直にロケットを打ち上げるという方法しかなかったが『スペースポート 大分』は母船に搭載したロケットを空中で水平方向に発射するアジア初の水平型宇宙港だ。
月周回軌道ステーション行きのスペースシップに乗りステーション到着。月着陸船に乗り換え、月面着陸後は、いよいよ月の住人となる。

 月での生活は毎日が新たな発見と希望に満ちていた。幸い天体観測が趣味だった私は、月面で様々な天体を観測するという仕事に就く事ができた。地球だと大気の層に邪魔されて、鮮明に見えない星たちも、月面ではどこまでもくっきり綺麗に見える…夢のような仕事だ。

 本来ならば月の低重力で低下した筋力や骨密度を、日々のトレーニングや食事で補わなければならないのだが、私はもう地球に戻るつもりはない。月の住人となった私にはトレーニングは必要ない。

 幸いな事に私の家は、あのアームストロング船長が月面に第一歩をしるした『静かの海』の一等地にある。私の家からは常に同じ場所に青く美しい故郷が、約1ヶ月の周期で満ち欠けを繰り返しながら輝いている。(新地球の時を除いて…)
毎日地球を見ていれば、ホームシックになる心配はないだろう。

…2023年に月に移住して、38年の歳月が過ぎた。私は85歳になっていた。おかげさまで腰痛もなく、この歳になっても腰は曲がっていない…月の低重力のおかげだろうか?

 この38年間、私は自由気ままに月面生活を満喫した。何事もなければ、私の人生はまだあと数年は残っているはずだ…

 2061年7月…私が月移住を決心した最大の目的は、この時を迎えるためだった。
約76年の周期で地球に帰ってくる大彗星。前回の回帰は1986年2月。私は大興奮で夜空を見続けたが、なんの知識もない当時小学3年の子供の私は、その大彗星を見る事ができなかった。
今度こそ見逃さない。今の私には、天文の知識も、大きな望遠鏡もある…そして何より私は今、月面にいる。昼も夜も、天気も大気の揺らぎも関係ない、頭上にはただ真空の空があるだけだ。私を宇宙に夢中にさせた大彗星『ハレー彗星』を迎える準備は整った。

『ハレー彗星』が最も月に近付く日、私は月面彗星観測基地『LCO(lunar comet observatory)』にいた。
巨大な望遠鏡の前に立つ…望遠鏡の角度は完璧に『ハレー彗星』をとらえている。大きく深呼吸をして、接眼レンズを覗いた………

………カーテンの隙間から差し込む朝日の眩しさで目が覚めた。
「夢…か…」
状況を受け止めるのに少し時間がかかった。
「あと少しで『ハレー彗星』が見られたのに…」
しかし、不思議とがっかりはしていない。むしろ希望の持てる夢だった。『ハレー彗星』の回帰まであと38年。宇宙開発が今のスピードで進めば、38年後は月旅行が当たり前になっているかもしれない。月には月面彗星観測基地があって様々な観測、研究を行っている事だろう。

 あと38年…なんとしても元気で生き続け、月面で大気のフィルターを通さず『ハレー彗星』を見る事が今の私の夢だ。


※土曜日の21時ごろ更新予定です。

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