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46才のババアに何が出来る?自立への挑戦!!〜まだ見ぬ東京新都知事へ!ゆかりぃからのお願い~㊹話

皆さまごきげんよう。
沖縄はここ2日雨が酷くて土砂災害警報でよく携帯が鳴っていました。
雨の上がった陽気を待ち遠しく思います。

東京都知事選ですね。
都民の為に働いて下さる方ならワタクシはどなたがなられても良いと思います。

まだ見ぬ東京都知事さま~ゆかりぃからのお願い~

ワタクシは去年の8月まで東京都民だったこともありますから、今回の都知事選は人ごとでは無い様に感じています。
余計なお世話かもしれませんがお願いがあります。

東京の小学校(出来れば幼稚園も)に
ご定年を迎えられた方始め、高齢者の方たちを再び学校に呼び戻してもらえませんか?

実はワタクシは結婚する前の2か月間ある自治体で英語指導助手を経験したことがありました。
(元々は友人の従姉さんがされていた仕事でした。その方のご主人が仕事で上京するからと、人を探していて…私に話が来ました)
その町の4つの小学校を廻りました。

英語指導助手、助手ですからネィテイブの先生と生徒の間に入って通訳をするのかと思いきや。
蓋を開けてみたら、
ワタクシが主体となって、生徒たちに英語を教えなければいけなく。汗。
今でもブロークンイングリッシュのワタクシ、けれど25才のワタクシは英語よりも日本語さえ覚束ない人間だったので…
2か月とはいえども当時ワタクシと会った生徒の皆さま本当申し訳なかったな~
ごめんなさい。

私はこちらで何度か述べましたが、
若い頃の私は結婚して立派な母になる!ことが夢でした。
そして子育てが落ち着いた頃に自身の店を持てたらと…

けれど、北谷に引っ越す前、嘉手納にいた小さいゆかりの夢は教師になること。
今でも覚えています。
幼稚園年長の私は
「おおきくなったらわたしはせんせいになりたいです」って言ったことを。

でもその後、北谷に引っ越してからは。
育児放棄の母、本当に最悪で。

教師になりたい!
から、
幸せな家庭を築く!
という夢に変わっていきました。

短大生の頃のゼミ、あれは教育学概論だったかな?
教授に夢は何ですか?と聞かれた事があって。
「お母さんになることです」って私が言うと。
クラスメイトの一人が「プっ!」って噴き出していて。

それを聞いた教授は
(ジャン ジャックルソーのエミールという書籍を元に展開される授業だったから。)
「とても良い夢です!
そしてこの本はお母さんになる人たちにとってとても良い本だから。
是非読んでもらいたい!」
と私の夢を肯定する言葉をもらえたのが今でも嬉しく記憶に残っています。

結婚を決めて留学先から日本に戻って来た時。
結婚は決まっているし、2か月とはいえ教師になる夢も叶え、私の25才までの人生。
私が望んだ事全て叶えてきたと分かった時。
幸せ過ぎて怖くなりました。
死を覚悟しました。
だから
「私が何かあった時の死亡保険金の受取人はお母さんの名前にしてあるからね!」
って言ったことがあります。
考えなくお金を使う母と分かっていたし、あなた(母)が私に出してくれたお金はこれで返したからね、って思いがありました。

話は脱線しましたが、
だから私はたった二か月だったけれど実際の教育現場を自身の目で見た経験がありました。
今の私(息子を成人まで見てきた私)が思う事、
担任の先生一人だけでは子どもたちは豊かに育たない。
子どもたちの個性は小さければ小さいほど純粋な物で。
家庭環境、
出会う人たちによって、
純粋なものが次第に変化していきます。

私の子ども時代、沖縄県民のほとんどの人たちは小学校から受験をして私立に入れるという概念はほとんど無かったように思います。

だからどこの小学校へ行っても同じだと思っていましたが、4校廻ると違いがある事が分かったし。
学校によっては公務員が家系にいるという事で仲間意識を持つ先生方もいたり。
浅はかな、と思いながらも。
笑ってスルーしました。

子どもたちは本当に十人十色、一人として同じ子どもはいなかった。

それをただ一人の先生に任せて、クラスをまとめるとなると
ルールや常識でコントロールするしかない。
でも、それでも
難しいのが生の教育現場。

そしてこれは私の主観ですが、
子どもを見れば、
その子どもがどういうご両親、ご家庭に育てられているのか大体想像がつく、
と思いました。

ある女の子がいて、
名前は古風で可愛らしい名前をしているのに。
とても暴力的な女の子でした。
目もギラギラしていて、
椅子を持ち上げて男子を威嚇したり。
日頃から怒りに満ちていました。

私はどうしてそんな事をするんだろう?
と不思議で仕方無かったです。

そして
もう一人、
学校に来ているだけでやっと、っていう怯えている女の子がいて。
私が彼女の手を触ると震えていて。

その二人の女の子の記憶は忘れられない。
これからもずっと忘れないと思います。

けれど、娘を育てていく中で。
同じように暴力的に振る舞う女の子に出会う機会がありました。

お姉ちゃんと仲が悪くしょっちゅう喧嘩をしていて。
お姉ちゃんは手を出すことがいけない事だと思っているから口では言い返す、けれど涙を溢しながら必死に耐えていて。
だから妹はやりたい放題でした。

その姉妹のお母さんは
「いい加減にしなさい!帰るからね!」
とは言うけれど。
脅しとばかり、何回もそれを言って来たんだろう。
子どもは見透かしている。
暴力を振るう下の子には通じないから益々エスカレートしていく。
それを(暴力)幼稚園でも他の子にしている、ってそのお母さんは私に言った事があって。

その家族と旅行する機会がありました。
旅行は楽しかったけど、兄弟喧嘩が始まるととても不愉快で仕方なかった。

お父さんは取り敢えず、車内で席を離す手段を取って。
お母さんも苛々しながら
「だから言ってるでしょ〇〇はサル!野生児だから!」って。

流石に私はその言葉を聞いた時に
「そんな事言っちゃ駄目よ!」って私は半ば怒りでその一言をうのがやっとだったけど。

私の胸の中で。
あなたは野生児よ!って認めているから子どもが野生児になってエスカレートしていくのが分からない?
言葉の暴力に思いました。

そして、その子の暴力を許していると、
力(心無い言葉や暴力)で他者をコントロールする大人になりかねないと思いました。

間違った事を小さいうちから誰かが正さないと、子どもはこれで良いんだと。
勘違いするのでは?
勘違いした子どもがまた誰かを傷つけたら?

負の連鎖だと私は思います。

小さい喧嘩なら私も静観する。

体罰はいけないって、今(現在)言われている世の中だけど。

私の子どもたちがそんな喧嘩をしたら、私は手を出した方を容赦なくぶん殴る。
オマエがやった痛み、オマエこそ知れ!とばかりに。

子どもを叱る時に感情的になってはいけません、ってよく聞くけど。
間違っている事に対して親が必死に向き合う必要がある時は感情を出さないと子どもには伝わらないと私は思う。

そして私は子どもたちに問いかける。

お互いを罵り合い、手を出すまでする喧嘩は良い事なのか?

兄弟同士仲良く出来ない事こそ悪いことじゃないのか?


だから手を出していない方も連帯責任。

二人に罰を与える。

学校にクレームを出す親たちよ!

体罰はいけません、だとか。
今(現在)は色々な法律の規制!
昔とは違って先生個人の個性が出し辛い面白みのない教育になってきているんじゃないのか?

そして、一人で30名近くまとめる教師の立場になって考えてみたことがあるか?
(クレームをだしている親!)オマエが教師をやってみろ!!
感謝してこそでは無いか!

沖縄のことわざにやーなれーばふかなれーってことわざがある。
家で出来る事は外でも出来る。って意味。
裏を返せば、家で出来ていない事は外でも出来ていませんよ。って事!

分かる?
そもそもあなたの子どもやあなた自身が出来ていないから外で学ばせざる終えない過程を辿らされている。

だから子どもに何かあった時は先ず、わが身(親自身)を顧みないといけない!

起きている現実を学びとして受け止められるかが試されている!!


相談なら良いけど、

全ての責任を学校にぶつけるな!

イジメがありました!
確かにあります。
大人の社会でもあるだろ!!
(常識、法律、打算…間違った環境で育てられて来た人たちだから心が豊かじゃないんだろ)

だから、一人の教師に任せては駄目なんだよ!!

お年寄りたちが授業に参加することによって、
・お年寄りは再び学べる環境に感謝するだろう。
・給食も共にしたら良い。
年金だけでは生活出来ないと働くお年寄りたちにとっては、一食浮くだけでどんなに助かる事か。
・人たちと交わる事で心身ともに健康になり、ホームやデイケアにお世話になるリスクも減るだろう。

そして子どもたちは
・お年寄りと言えども、弱いものを労わる心、優しさが次第に芽生えるのでは?
・多くの大人の目があるから子ども同士で何か起きた時に誰かしらが注意するだろうから、次第に円満な人付き合い(協調性)が学べるのでは?
・お年寄りたちから話を聞くことによって日本文化の尊さも知れるのでは?

働く親たちにとっても
・〇〇さんならお願いしても(預けても)大丈夫ね、だとか。
残業になった場合は特に助かるのでは。
・持ちつ持たれつ、健全なコミュニティーが形成されていくのでは?

東京は核家族化していて、人口は多くても健全なコミュニティーが形成されていないと私は思いましたから…

逆に沖縄は、車社会で足腰、膝が弱っているお年寄りをよく目にする。
だから沖縄の高齢者たちは動いて足腰を鍛えなければならない。

そして沖縄でも中高一貫教育を謳う学校が出てきて。
中学受験戦線。
勉強が好きな子どもであればさせたら良い。

私は東京で生活している時に同じように子どもの為を思って、お受験お受験と頭にあったから。
気持ちは分からないでも無い。

けれど、今は強いてまで競わせる事こそしてはいけない事だと思う。



成人年齢が18才とされた今、私的にはそんなに早く大人にならないで良いよ、って思う。
だって18才超えたら死ぬまでずっと大人なんでしょう。。。

今の日本社会だったら、競わせる社会だから
生まれた時からずっと競っていかなければいけないのか?

子どものうちは、
この環境が心地良い、楽しい、って知っている子どもこそ。
社会人になった時に世の中に良い形で貢献している大人になっているのだろうと私は思う。

勉強しなければ!
って子ども自身でスイッチを入れた時の子どもこそ伸びる!

親たちは子どもを甘やかすな!
自ら考えない子どもにするな!

でも厳しくし過ぎると、
平気で嘘をつく、その場凌ぎで誤魔化す子どもになり易い。
或いは自分がいけないんだと自己肯定感が低い子どもになり易い。

だから、親は飴と鞭を上手に使い分けなければいけない。

私は私の子どもたちに会えていないけれど、
私が自立出来て、私の子どもたちと生活出来たとして教えたいとしたら、

人としての在り方は勿論。

男の子でも女の子でも家庭的になる事が先ず勉強よりも大切って事を教えたいな。

でもいくら自分の子どもであっても、私一人で教える(向き合う)ことは苦しい。
多くのお年寄りたちに自然に甘えられる環境が私は欲しい。笑。

社会全体、

皆の手を借りて子どもたちを育てられたら!

末尾になりますが、
新東京都知事、ご当選おめでとうございます!!
輝く未来!期待しています!
出来ましたらご検討よろしくお願い致します。

46才のババアに何が出来る?自立への挑戦!!㊺話につづく



























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