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「いいんだよ」って自分に言ってあげて

1月末に始めたクラファンへのご支援が、50%を超えました。
今日、改めてお知らせで投稿したら、数名の方がポポポンっと入れて下さいました。ご支援してくださった方々、本当にありがとうございます。

クラファンを通して、ずっと自分の内側に起きてくる反応を見る、というプロセスも同時に辿ってきたなぁと思いながら、今日は今までと明らかに違う感覚が自分にあることに気がつきました。

深さのある応援を感じる

人を応援するといっても、いろいろな感情やエネルギーが乗るものです。
いいものばかりではなくて、エゴからくるものだってあるでしょう。
ご支援してもらっているのに、支援者のエゴを指差すのか?と言われそうですが、そうではありません。だって、人間だもの。いろんな感情、いろんな感覚があって当たり前。大事なのは、どう受け取るかじゃないか?と、今回のクラファンを通して思いました。

今日まで、応援を受け取ることに関して、自分の中にあるさまざまなブロックに向き合ってきました。ですが、今日はどういうわけか、すごく深いところで純粋に、本当に応援されているのを感じたんです。
そうしたら、子宮が痛くなりました。愛を受け取らないとしていた、自分が持っている愛を認めないとしていた、私にとってそんな臓器だった子宮。
愛に触れることで、ブロックされたエネルギーに流れが起き、溶ける時の痛みがあるのがわかりました。

それもあり、「受けとらなきゃ」ではなく、この深い応援のエネルギーを、ただ自分に受けとらせてあげよう、どう感じるのか?感じさせてあげよう、と思い、ゆっくりと呼吸しながら、子宮やハートまで届けていきました。

罪悪感でもなく、ただ、純粋に応援されているエネルギーを受け取ります。

甘えてもいい

私は、昔から甘えるのが苦手な子どもだったと思います。
孫世代では一番年齢が上だし、夫婦の中も悪く、存分に甘えたという体験はパッと思い出せません。

幸い、大概のことは自分でできるようになりました。
勉強もある程度頑張ってきたし、部活も、大学も、留学も、就職も…
どれも親に相談したことはなく、全部1人で決めて、やり抜いてきました。

出来ることが多いのは、いいことかもしれないけど、でも、本当は支えてもらえたらどんなにホッとしただろう、という心細さもずっとあったと思います。

ある程度なんでも、自分1人で出来てしまうが故に、「助けがいらなさそうだよね」なんて言われることもよくありました。自分でも、自分でやった方が早いと感じたり、「1人でできるし。」と反発して立ちあがろうとする私もいました。

だけど今日はなんだか違っていて。
「ご支援してくださってありがとうございました。」と、支援してくださった方に連絡を入れた時、なんだか自分が子どもに戻ったような感覚になったんです。

「助けてくれてありがとう。嬉しいの。えへへ」って感じ。

「もっと頼っていいんだよ」と、親や親戚に言われると、なんだかとても重たい感じがして、とても相談できませんでした。
だけど、今日感じたのは、「応援するよ」という相手の気持ちで、私には私のスペースが尊重されているように感じました。

これはもしかしたら、お相手がそのように期待や要求のない応援をしてくれているからなのかもしれないし、私自身も、期待や要求以外の、応援だけを受け取れるようになったかもしれなくて、ここは、相互作用的なものもあるように感じます。

そして、今日思ったのは、「甘えてもいいんだよ」とか、「ここまで本当によく頑張ってるよね」と、私が自分自身に愛を向けていなかったということです。

だって私、本当にこの世界がもっと優しくなったらいいとか、みんなが対等だったらいいとか、そう思って、自分のエゴではない場所から動こうとしてるって、本当はものすごい尊いことだと思うんです。誰にでもできることでもないし、ましてや、まだ30歳になったばかりの女子(?)が、自分の自己中心的な部分に真剣に向き合って、次世代の子どものことを考えてるんです。普通に、すごいことだと思う。

だから、そんな自分に、せめて私自身が優しくなろうよって思いました。
優しい人たちからの、温かい応援があるということは、それを私が受け取れる分、私も周りも優しくなっていける。世界を愛したいなら、自分を、そして自分の身近にいる人たちを、愛そう。

これからも、この気持ちを忘れないように。むしろ、こういう気持ちをさらに深めていけるように。もっともっと歩みを進めていきたいです。


私の切望している世界、夢に、共感してくださる方へ
どうぞクラウドファンディングへのご支援、よろしくお願いします。


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