「〜のために」の暴力性




「〜のために」この言葉を向けられると、不愉快でしかない。
頼んでもいないことや相手が勝手にしたことを、何故かこちらがお礼や謝罪を言わなければならない状況にさせるから。
また「〜のせいだ」と言われているようにしか聞こえない時も、ある。




わたしの母はくも膜下出血で倒れた。
母の家系は、そういった血管系の病気になることが多かった。
だからか、そういった母の背景を知っている人が、四人の娘がそう言った病気にならないように全てを背負って母がくも膜下出血になったみたいなことを言ってくる。



そんなわけがない。
まるで母が選んで、くも膜下になったみたいに。
まるで娘が頼んで、くも膜下になったみたいに。

まるっきりそういった意図で発した言葉でないことは、わかっている。
けれど、それはあんまりにも無神経ではないか。
母が選んでも娘が頼んでもない。ただ、そうなってしまったことだけのこと。
それ以上でも以下でもない。
当事者でない人間が起きたことを意義づけするのか、どの面下げて意義づけられるのか全く理解できない。



「〜のために」という言葉の不快さ嫌悪感は、相手の物差しや考えを一方的に、かつ拒否できない形で、押し付けられるからなのかな。


今度そういったこと言ってくるおばさんやおじさんがいたら、思いっきり顔を顰めよう。


もちろん母が以外のことでも、そんな暴力みたいな意味合いを持った「〜のために」が向けられたなら、痛みに我慢せず、痛いとはっきり言えるようになりたい。


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