大人になって勉強するということ
「間違った恋をしたけど間違いではなかった」なんて歌詞だ、天才か…あ、天才だった。間違った恋、わたし、したことないけど思わず曲をとめて歌詞を改めて見てしまった。間違った恋だけど間違いじゃない、なんて歌だ。なんて人生だ。
芥川の『藪の中』全部読みおわる。藪の中、羅生門、地獄変、蜘蛛の糸、杜子春、鼻、の6つの短編はどれもおもしろく、それでもやっぱり1番は藪の中だった。杜子春はすこしだけ香取慎吾の『西遊記』を彷彿とさせた(きっとわたしだけであろう)。点と点が線になりそうな瞬間がなにより最高だよね、このためにわたしはいろんなことを見聞きしてしたんだと思うと、本を読むのがたまらなく楽しい。本に限らず、映画も、美術も。
のめり込む、ということがどれほど貴重なことか。オタクになれる、ということがどれほど尊いことか。のめり込めること、オタクになれることは一種の才能。その才能は集中力の真骨頂。脇目も振らず没頭できるということ、なんて素晴らしいんだろう、とつくづく羨ましくなる。わたしにコンプレックスがあるとするならそれは「オタクになれない」コンプレックスです。
大学時代の友人であるたまちゃんが、中国語を猛勉強している。タイマー計ってめちゃくちゃ勉強している。チャイ語検定まであと190日だとかなんとかいって、めちゃくちゃ勉強しまくっている。それを見るたび、じんとくる。きっとなにかにハマっているんだろう。そのエネルギーを学ぶということに昇華している彼女を、尊敬せずにいられない。
大人になってから学ぶことって義務じゃなくてもはや趣味だ。自発的に行うものだ。資格を取るのも自分の意志だ。勉強しつづけた者だけが得られるモノがある。大人は自由なぶん、その代償もある。大人になって語学を学ぶということ、並大抵のことじゃない。だけど彼女は好きでやっているんだろうし、脳科学者の中野さんが「正しい正しくないで学ぶより楽しいかどうかで学んだほうが1番脳にいい」と言っていたみたい。
わたしもソムリエの勉強をしていたときは、楽しかった。わからないことだらけで意味不明だらけだったけど、覚えられなくて大変だったけど、そのぶん楽しかった。絶対に1発合格してやるぞという気合いもあった。いま、日々お店をしていて、なにかの資格をとるより本や映画からなにかを吸収したいという思いのほうが強くて、なかなか学びたいことがない。わたしもなにか手に入れたいな。いろんなことを知りたい。ハマれるなにかを見つけたい。
嬉しい!楽しい!だいすき!