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続【窪田七海さんに出会って推し活が変わった話をしよう】-ハロプロについて語る-

■まえがき

実に9ヶ月ぶりのnote投稿となる。消息を経っていたわけではなく、現場の予定が忙しすぎて、note執筆にリソースを割く時間を確保することができずにいたのである。珍しく現場のない週末の時間を活かして、ようやくタイピングを進めることができた。以下、駄文に付き合ってほしい。

さて、昨年(2022年)の秋ごろに、私は次の記事をアップロードした。

内容としては、私が愛するアイドルである窪田七海ちゃん(以下、七海)に出会って、好きになるまでの過程と、彼女を好きになってから自分の中で変わったところを書き殴ったものである。

当記事を執筆してから約一年が経つ。いま、私の七海に対する愛情は当時の比ではない。はっきり言ってしまうが、ガチ恋であることを自認している。

私はアラサーくらいの男であり、七海は19歳(2023年10月時点)である。10歳近くも年下のアイドルにガチ恋感情を抱いてるなんて、世間一般の目から見れば、いわゆる「ドン引き」案件なことであろう。それは私もわかっている。

だが、私はどうしようもなく彼女のことが好きだ。これまで生きてきた人生の中で、これほどまでに誰か一人の人間に固執したことはない。七海に会いたい気持ち、応援したい気持ち、彼女の夢の一部として在りたい気持ち、そのどれもが私にとっては新鮮な感情であり、いま私が感じている全てを形として残しておきたい。そんな想いで、今このnoteをタイピングしている。

前回書いたnoteについても、私の個人的な感情が丸出しの、正直なところ世間一般の目に触れてよいのか悩ましいような内容であった。今回はそれを優に凌ぐほど、私のエゴに塗れた内容をアウトプットしていこうと思っている。

予め一言断っておくと「ガチ恋気持ち悪い!」と思ってしまうような方については、本記事を読むことはオススメしない。そのままブラウザバックするのがよいだろう。

恐れ多くも、このnoteを読んでくださる皆様については、私がどれほど七海のことを愛してるのか、それが伝わればいいなと思っている次第である。当然のことながら、読んでいる途中で、内容に抵抗を感じることもあるかもしれない。そのときは、そっ閉じすることを止めはしない。私に皆様を止める権利はない。しかしながら、どうか寛大な心で読み進めていただけるのであれば、大変嬉しい限りだ。

さて、本記事の構成は次のようになっている。まず、■加速するガチ恋 では、私が全通生活を決め込んでから、彼女に対する好きな気持ちをどのように深めていったか、ライブや個別イベントでの出来事を紹介しながら語っていく。次に、■愛を伝えたくて では、七海への愛情を現場でいかに爆発させていったか、私の感情の揺れ動きを描いている。続いて、■大好きな窪田七海ちゃん では、私が思う窪田七海というアイドルの魅力と、そして、これから彼女とどう向き合っていきたいか私の決意表明を記している。最後に、■おわりに では、私から七海へ個人的に伝えたい想い・メッセージを綴っている。

長い文章になるだろうが、最後まで付き合っていただければと思う。


■加速するガチ恋

●全通生活

前回記事では、現場に通う回数が激増したこと、七海を単推しする決意をしたことで、内容を締めた。それが昨年末(2022年末)までの私の姿であった。

ここから更に私は七海に対する想いを強めていく。

年が明けると、冬のハロコンがスタートした。このハロコンの話題については、すぐ後で記すことにしたい。私はこのハロコンを境に自分の生活に大きな変化をもたらすことにした。実を言うと、ちょうど2023年が始まってから一人暮らしを始めたのである。

当時はコロナが騒がれていた時期でもあり、実家に暮らしていた頃は同居人の目が気になって、満足に現場に通うことができない時もあった。正直言って、私はその状況が我慢ならなかった。七海のいる現場には全て行きたいというのが本音であった。であるならば、それが可能になるよう環境を整備しなくてはならない。

こうして、私はいわゆる全通をポリシーとするオタクに変わっていった。昨春までは月一で現場に通えればよいと思っていた私がである。それほどまでに、七海に会いたいという気持ちが私の考え方・行動を全て変容させたのだ。

私は七海と過ごす時間が好きだ。まず、私は彼女がステージでキラキラに輝く姿を見ることが楽しくて幸せだと感じている。また、個別イベントに行けば、七海の方から「この前はあの辺にいたよね?」「全部のライブに来てくれてありがとう」と言ってくれる。それが嬉しいのはもちろん、何より七海に直接会えて「好きだよ」「愛してるよ」と言えることが、たまらなく幸せに感じるようになった。

ちなみに、私だって普通の恋愛経験はある(いきなりなんだ)。だからこそ、七海に対する想いがそれと等しいもの、いや、それ以上のものだと気づいてしまった。いわゆるガチ恋というやつである。オタクを始めた数年前、このような気持ちをアイドルに抱くとは露ほども思っていなかった。だが、今はっきりと、私は七海のことを自信を持って愛してると言える。

さて、現場の話に戻ろう。

以下では、私が今年の1月〜2月にかけて通いつめた冬のハロコン(Hello! Project 2023 Winter 〜TWO OF US〜、以下TWO OF US)および同時期に行われた2ndシングル発売記念個別イベントの思い出について語っていく。

先にも記した通り、TWO OF USは、私が全通を決め込んでから臨む初めてのハロコンツアーであった。私はメンバーたちと一緒に、中野をスタート地点として、全国各地を巡ることになった。

本ツアーでは、名古屋の次は大阪、大阪の次は広島といったように、毎週のように、立て続けに地方公演に行くことになった。私にとって、このような生活は初めてであり、毎週末に遠征に出かけることが楽しみでならなかった。

現場の数は昨年末から更に増加した。遠征時には新幹線代を浮かすために、慣れない夜行バスに、かなりの頻度で乗るようになり、タフな生活スタイルへと変わっていった。しかしながら、七海に会いに行くためと思えばそれも我慢できた(たまに心が折れて新幹線に甘えてしまうこともあるが…)。


TWO OF USの地方公演では、名古屋・大阪・広島・福岡・札幌・仙台を回った。以下では、私が人生で初めて訪れた広島と札幌での公演について、印象に残ったことや思い出を綴っていくことにする。

【TWO OF US 広島公演】

1月28日に開催された広島公演であるが、本公演に際して、私は二つの「初めて」を経験することになった。

・初めて広島に訪れたこと
・初めてオタTを着てライブに参加したこと

まずは一つ目の初めて(初広島)について。

関東在住の私からすれば、広島はそうそう行く機会のあるような場所ではない。何しろアクセスのしづらさがある。新幹線で行くにも東京から4時間程度要するし、飛行機で行くにも広島空港で降りてから広島駅まで行くのに時間がかかる。広島での公演はそういったこともあり、オタクが集まりづらい傾向にあるようだ。しかしながら、それでも私は七海に会いたくて、広島に行く決意をしたのであった。

七海と一緒に広島に降り立った私


そして、次に二つ目の初めて(オタTデビュー)について。

私は本公演からライブや個別イベントに行く際は、必ずオタT(以下、窪田T)を来ていくようになった。

初めてのオタT、現場での相棒的存在


この窪田Tを着ていると、私は魂が燃え上がるような気がして、より強い気持ちで七海を応援することができるのだ。広島公演翌週の個別イベントで、七海は、私が窪田Tを作ったことについて、すごく嬉しいと言ってくれた。そういう意味でも作って良かったと思っている。

数年前にオタクを始めた頃は、オタTを着るなんて他人事のように思っていたけれど、いつの間にか自分でそれをやっていたのである。七海という存在が、それまで自分はやらない・できないと思っていたことを、全て実現していくのだ。それほどまでに彼女の存在は、私にとって特別なのである。

また、広島公演の日は公演後にも楽しい思い出があった。それはオタク仲間と一緒に夜通しで推しについて語ったり、カラオケでバカ騒ぎしたりできたことである。なんだか学生時代に戻ったようで、アラサーになっても、こんな青春ができるんだなぁとしみじみと感じた。

オタク仲間とカラオケでオールした後、早朝、まるでゾンビのような足取りで広島駅まで歩いていったシーンを今でも鮮明に覚えている。そしてそのまま始発の新幹線に乗って東京まで帰ったのである。体力・気力の全てを使い果たしたおかげもあり、新幹線では気持ちよく寝ることができた。

こうして、広島公演は私にとって記念すべき、「デビュー戦」となり、また格別の思い出を得られたものとなった。


次は、同じく人生で初めて訪れた札幌公演の思い出について語っていこう。

【TWO OF US 札幌公演】

正直に言って、ここに書く内容は単なる札幌紀行に過ぎない。だが、このような文章が書けるのも、七海が私を札幌に連れていってくれたおかげである。日記みたいな内容かもしれないが、読んでいってほしい。

札幌公演は2月18日に開催された。人生初の札幌探訪、せっかくなので前乗りしたいと思ったため、公演前日の仕事は早々と切り上げ、空港へと足を運んだ。そして飛行機に乗り込み、新千歳空港を目指した。

この日、私は初めて北の大地に降り立ったのである。

人生初の北海道に心震える私


冬の北海道は、関東に住んでいる私からすると、なかなかお目にかかれないような雪景色を見ることができた。

自分の背より高い雪の塊


自分の身長を越えるような雪を見たのが人生で初めてで、まるで子供のようにはしゃいでしまった(もちろん声を出して騒いでいたわけではない)。

また、札幌ではグルメも堪能することができた。とは言っても、ひたすらに札幌ラーメン巡りをしていただけであるが…私が訪れた店を一部紹介しよう。

2つ目の写真のお店(信玄 南6条店)については、夜遅く雪が降るなか、1時間半ほど外で並んで待っていた。めちゃくちゃ美味しくて、並んだ甲斐があったな〜と心の底から思ったのである。

このように、公演前日から札幌で遊ぶことができて、翌日のライブに向けてモチベーションが更に高まっていったのである。

そして公演当日、札幌公演ということで、OCHA NORMAメンバー石栗奏美さんの凱旋公演であった。当時はまだ着席かつ声出し禁止スタイルでの鑑賞ではあったものの、石栗さんオタクたちの熱い波動をヒシヒシと感じ取ることができ、コンサートは大盛況のうちに幕を閉じた。

この日、私は窪田T一枚しか着ていなかったにも関わらず、公演後は汗ビッショリになってしまった(暖房が効きすぎていたせいもあるだろうが)。もともとインナーを着た状態でライブに臨もうとしたところ、開演前に知り合いの石栗さんオタクから「そんなもの着てていいのか?暑くなるぞ?」と煽りを喰らったため、男らしく脱ぎ捨ててみせた。正しい判断だった。

そして、公演が終わり、私は札幌を後にし東京へと舞い戻った。

札幌公演の翌日は個別イベントがあり、七海から「昨日も来てくれてありがとう」と言ってもらえて、こちらが嬉しくなってしまった。さらに、私が「人生で初めて北海道に行った、七海のことを好きになってなければ有り得なかった」と伝えると、彼女はまたすごく喜んでくれたのである。

この時点で、TWO OF USの公演は、仙台での1公演を残すのみであった。私は、個別お話会で、七海に千秋楽公演に向けての意気込みを聞いてみた。以下、その時のやりとりである。

こんなことを言われてしまい、俄然燃えてきた私は、翌週の仙台公演、それは千秋楽公演であったが、そこでも可能な限り、OCHA NORMAの時間で盛り上がる姿を七海に見せる努力をした。そして、翌日には個別イベントがあり、そこでも七海から「来てくれてありがとう」と伝えてもらえた。この時の話は後ほど改めて記すことにする。


先にも記したように、七海に出会わなければ、私は人生で北海道に行くことはなかっただろう(私に旅行の趣味はない)。ライブだけはなく、そこに至る過程・出来事も私にとって目新しいものだ。いつでも、七海が私に数多くの初めてを経験させてくれる。そのどれも楽しくて幸せな時間なのだ。


続いて、以下では、TWO OF US公演と並行して行われた2ndシングル個別イベントについての思い出を語っていくことにする。この個別イベントは、私がガチ恋を自認してから、初めて臨むものであり、それまでとは異なる気持ちや言葉で、七海とコミュニケーションすることになる(ここからの内容は人によって抵抗を感じるかもしれないので悪しからず)。

●重い想い

上で記した札幌公演から、年初まで時は遡る。

1月9日、私は2nd個別イベントの初回に参加した。私はここで思い切った行動に出ることにした。それは

七海に「ガチ恋でも良いか?」と聞いたこと

である。以下、その時のやり取りである。

興奮するな


七海は聖母のように優しい心を持った女の子なので、このような気持ち悪いオタクも寛容に受け入れてくれたのである。

ただ、私としては、そういう真っ直ぐな(?)気持ちで貴女と向き合っている、応援しているという意図を持って、このように伝えたのである。そして多分、彼女もそれを理解してくれている、と信じている。いや、信じたい。

この日は、チェキ撮影会でも、ポーズ指定を工夫することで、七海に愛を伝えた。私が指定したポーズは

結婚指輪を見せるポーズ

であった。その時のチェキが次の写真である。

2023年は卯年ということもあり、この日、メンバーは兎コスであった。とにかく七海が可愛かった。

この日の私は相当気持ち悪かっただろうに、七海は笑顔で対応してくれた。ありがとうという気持ちしかない。ちなみに上のツイート内のカメラマンのセリフは創作であり、実際に放たれたものではない。でも、脳内では言ってたはず(言ってない)。

先にも記した通り、2nd個別イベントはTWO OF USと時期を同じくして開催されていた。そのおかげで、ライブの感想をすぐに七海とシェアすることができたのである。私が「ステージで輝いてたよ!」「〇〇のダンスかっこよかったよ!」と伝えたときに喜んでくれる七海の笑顔が何よりも愛おしかった。

この期間を通じて、私は七海への想いをどんどん深めていった。七海がステージにいても、いなくても、私はずっと七海のことを考えるようになった。次は七海のどういうところに注目しようか、七海に何を伝えようか、それを考えている時間が幸せだったのだ。

時は進み、2nd個別イベント最終回の話に移ろう。最終回は、TWO OF US千秋楽公演の翌日に行われ、ハロコンツアー・個別イベント共に一区切りが付く節目の回であった。

次の章で詳細は記すが、今回の個別の翌週には、OCHA NORMAにとって初めての声出しが解禁となるライブを迎えることになっていたのである。そして、そこを皮切りに、OCHA NORMAは外部の対バン・フェスに出演し続ける運びとなっていた。

個別お話会の最後、私は七海に対バン・フェスに向けての意気込みを聞いてみた。以下、その時のやり取りである。

実は、このとき私は七海に初めて「愛してる」と言ったのである。衝動的に言いたくなってしまった。

TWO OF US・2nd個別の期間を経て、私は七海を好きだという気持ちが本当に高まったと思っている。いま(執筆時点:2023年10月)、これだけ七海のことを好きでいられるのは、このときがあったからこそだと私は信じて疑わない。とても愛おしくて幸せな時間だった。


次の章からは、この高まった、重い想いをライブやイベントの現場で、全身全霊を込めて七海にぶつけるという話に入っていく。これ以降は、現場での声出し解禁・3rdシングル発売といった記念すべき出来事が続いていく。

■愛を伝えたくて

●七海ィイイイイイ!

去る3月5日、OCHA NORMAの歴史に間違いなく刻まれる出来事があった。それは外部主催のライブではあったが、初めてライブにおいて声出しが解禁されたというものである。

2020年初から世界はコロナ禍に見舞われ、我々はライブ中の声出し禁止を余儀なくされた。それから、オタク達は3年間もの間、声出し禁止を守り続けてきたのである。

OCHA NORMAは、2021年12月に結成したグループだ。当時はコロナ禍の真っ只中であり、メンバーはオタクの声援を聞いたことがなかった(※)。だからこそ、3月5日に行われた初めての声出し現場は、メンバー・オタクどちらにとっても緊張と興奮でいっぱいだったはずだ。

※ 研修生ユニット、研修生時代の活動期間は除く。


ライブの場所は渋谷O-EAST。奇しくもOCHA NORMAメジャーデビュー日のリリースイベントの会場と同じ場所であった。OCHA NORMAにとっては運命の場所なのだろうか。

ここからは当日の様子を振り返ってみたいと思う。

この日は数多くのアイドルグループが出演するなかで、OCHA NORMAの出番は二番目であった。かなり早い出番と思ったが、どうやら同日の午後には研修生発表会のリハーサルがあったようだ。いつも彼女たちはタフなスケジュールをこなしている、というわけだ。

最初のグループ(Devil ANTHEM.)の出番が終わり、いよいよOCHA NORMAの出番直前となる。

私にとってアイドル現場での初めての声出し、いったいどうなるのかと思っていた矢先、どこからか凄まじい絶叫が聞こえた。

きららぁあああああ!!!米村姫良々ぁああああああ!!!

後に親睦を深める米村さんオタクの絶叫により、会場のボルテージは一気に高まった。他のオタク達も続いて、自らの推しの名前を叫んでいく。そして、それは私も例外ではなかった。そのときから私は次のように、七海の名前を叫ぶようにしている。

七海ィイイイイイ!七海ィイイイイイ!窪田七海ィイイイイイ!

窪田七海絶叫おじさんが爆誕した瞬間である。

私は七海の名前を叫ぶ声の大きさには、それなりの自信がある。そして、大きな声で彼女の名前を叫ぶのには理由がある。それは、七海のことを好きになってから、次のことを知ったからである。

研修生発表会では歌割りがないだけではなく自分のスキルも足りなかったので誰よりも影のような存在でした。
自己紹介の拍手などは誰よりも少なかったです。

OCHA NORMAオフィシャルブログ「メジャーデビュー! 窪田七海」より

これはメジャーデビュー日に綴られた彼女の想いである。

私は研修生時代の彼女のことは正直わからない(私は去年の夏に彼女と出会ったから)。だが、これを読んで、絶対に私は彼女の名前を一番大きく叫びたいと思った。貴女のことを好きでたまらない、一番に応援したいと思っているオタクが少なくとも一人ここにいるということをわかってほしかった。もちろん、その想いは今でも変わらずにいる。嬉しいことに、これは本人談であるが、七海もその想いをちゃんと受け止めてくれている。この話は、後ほど詳細に語ることにしよう。

ライブの話に戻ろう。

この日のライブは大熱狂と表現すべきものとなった。本当に3年間声出しを禁止されていたとは信じられないほどの「ウ-ッ!オイ!」が聞こえてきたり、°C-uteのカバー曲が披露されたときは、イントロが鳴った瞬間にマサイするオタクが発生したり、非常に濃密な30分であった。

何よりオタクの声を聞いて満足そうなメンバーの表情がそこにはあった。言葉を選ばずに言えば、どのメンバーもニヤニヤしていた。この日のメンバーのブログからは、かつてなかったほどの感動と興奮がはっきりと感じ取れる。ぜひ読んでみてほしい。参考までに七海ブログのリンクを貼り付けておく。


そして、これ以降、どんどん現場での声出しが解禁されていくのである。

私はライブの度、特に、開演前やメンバーが自己紹介するときなど、精一杯の声で、七海の名前を叫ぶようになった。それが彼女の力になると信じているから。


ここからは、さらに対バン・フェスが続き、また2ndツアーを経るなか、OCHA NORMAの3rdシングルのリリースが決定した。以下では、3rdシングルリリースイベント期間についての出来事について語っていく。

●貴女に送るラブレター

3rdシングルのリリイベは、驚いたことに鹿児島からスタートとなった。いきなりの遠征、しかもリリイベ前日の夜には東京で対バンイベントがあり、そこに参戦していたメンバー・オタクたちは、時間的な制約のために、前日に現地入りすることはできなかった。当日の早朝、空港に顔見知りのオタク達が集結していたのは記憶に新しい。

その翌週は新潟・幕張でのリリイベが控えていた。

新潟のリリイベは、イベントを取り仕切っているアップフロントワークスのスタッフ(※)による熱い前説が聞けたり、会場すぐ近くで美味しいカレーを食べることができたりして、楽しい思い出が詰まった現場となった。

※ このスタッフさんは新潟アルビレックスのシャツを着ていること多い。オタクからは通称「アルビ」と呼ばれている。


実は新潟の会場は、昨秋の2ndリリイベでも使用する予定だったのだが、当日の朝、メンバーのコロナ感染が確認されたため、中止となってしまった。今回は、そのリベンジを果たすこともできて、個人的にはかなりアツい現場であったと思っている。

そして、新潟リリイベの翌日が幕張(千葉県)でのリリイベであった。千葉県は、七海の出身地であり、彼女にとっては凱旋リリイベとなった。七海オタクの私としては特別な気合いを込めて臨んだのである。

実は、この日に向けて、私は一つの決心をしていた。それは

七海に手紙で気持ちを伝えたい

ということだ。そして、それを実行した。以下では、この日の出来事・私の感情の揺れ動きについて詳細に記していく。

幕張に着いたのは、朝の8時くらいだったろうか。イオン幕張新都心の前には、既に優先エリア入場券・お見送り会参加券を買い求めるオタク達で、大行列ができていた。前日の新潟リリイベには来ていなかったオタクたちも、たくさん来てくれていた。

この日のリリイベは三部構成であったが、私はいずれの部の券も無事に購入することができた。そして、券を入手した後は、シャワー・ロッカーが使える施設に移動し、日課のランニングをこなしたのである。

私はいつものように10キロを走り終え、シャワーを済ませたところで会場に戻り、イベント開始を待っていた。第一部については、優先エリア入場券の整理番号が悪かったため、後方の広々としたスペースで仲の良いオタクと集まって、全力振りコピを楽しんでいたのである。こういった楽しみ方ができるのも現場の醍醐味である。

ミニライブが終わり、ついにお見送り会が始まった。このお見送り会、通常であれば、オタクがメンバーの前を通り過ぎながら一言声かけをするくらいのイベントとなっている。しかしながら、ある程度の枚数のCDを「積む」ことによって、まとまった時間でメンバーと会話をすることができるのだ。

私はこの仕組みを使って、七海に想いを伝える時間を確保した。

お見送り会のラスト、私はメンバーの前で手紙を取り出した(※)。会場では、少しどよめきが聞こえたし、メンバーたちからも驚いたような声が聞こえた気もしたが、そこまで気にならなかった。私の意識は七海に向いていたからだ。

※ 前週の鹿児島リリイベの際、メンバーに手紙を読んでいいか、上で説明したアップフロントワークスのスタッフさんに確認し許可をもらっていた。


そして、七海に手紙を読んだ。彼女は私の方を見つめ、ものすごく集中して聞いてくれた(他のメンバーもしっかり聞いてくれた)。途中、私は緊張してしまったり、想いが溢れてしまったりして、涙が出そうになったが、彼女に伝えたい想いをどうにか伝えきった。

私が彼女に伝えたのは次のような内容である。

・とにかく好きである
・会うたびに好きが増していく
・幸せな時間をくれて感謝している
・七海をきっかけに色々な人たちと出会えた
・七海の応援をしている今が一番楽しい
・七海がいま過ごしている時間を宝物にしてほしい
・七海や七海の周りの人たちに幸せになってほしい
・七海に出会えて本当に良かったと思っている

そして、七海の方からは、返事という形で以下のような言葉をもらった。

・どんなときも現場に来てくれて感謝している
・いつも私(七海)の名前を大きな声で呼んでくれて嬉しい
・その声がアイドル活動を続ける力になっている

非常に誉れ高い、オタク冥利に尽きることを言ってもらえた。本当に嬉しかった。

お見送り会の場で手紙を読んだことに対して、色々な意見も目にした。だが、私は自分のやったことに自信を持っている。七海に全身全霊で愛を伝えられたし、七海は喜んでくれたと、あの日一番近くで彼女を見ていた私は確信している。

この日の最後、私は七海に「今日は幸せだった、ありがとう」と伝えた。彼女も笑顔で「私も幸せだった、ありがとう」と返してくれた。

本当に幸せだった。大好きな七海に全ての想いをぶつけることができて、心が満たされた。私はこの日の出来事を決して忘れることはないだろう。

その後、私は3rdリリイベを全通することになる。今回のリリイベも過去と同様に、平日に連続でリリイベが入り、地方での開催も組み込まれていた。私は一応、一般企業に勤めるサラリーマンである。ゆえに色々と無理をした場面もあったが、七海との時間が愛おしいから、大切にしたいと思ったからこそ、彼女の元へ駆けつけることを優先した。正直、社会人として色々なものを犠牲にしてしまった。だが、後悔は全くしていない。

そして、大宮ステラタウンのリリイベをもって、3rdシングルのリリイベは幕を閉じた。

だが、物語はこれで終わりではない。ステラタウンリリイベの翌日には、自分がオタクになって以来、一番感情を爆発させることになる現場が待っていた。

それは七海にとって初めてのバースデーイベントであった。


以下では、そのバースデーイベントから現在に至るまでの私の気持ち、そして、これから七海とどのように向き合っていきたいのか、語っていくことにしよう。

■大好きな窪田七海ちゃん

●世界一のアイドル

さて、ここから七海のバーイベについての内容となるが、ここは話が長くなるうえに個人的な感情がダダ漏れになるので、覚悟して読んでほしい。

去る7月31日、この日は七海にとって初めてのバースデーイベントが開催された。これほどまでに愛してしまった推しのバースデーイベント、当日の朝からソワソワしてしまい、全くもって仕事が手につかなかった。

この日は夕方前くらいに仕事を早退して参加する予定だったが、気持ち的に、とても働けるような状態ではなかったので、午前中だけ仕事をこなして、午後は思い切って休みを取ってしまった。

家を飛び出し、日課のランニングを済ませた後は、バーイベ会場(有楽町)に向かい、悶々と開場時刻を待っていた。

席に着く。この日、私は4列目の真ん中あたりの座席だった。とても見やすい。ステージにいる演者と同じくらいの目線の高さになる。

開演前のアナウンスは、七海本人によるものであった。かなり緊張しているようで、声が上擦っている様子が伝わってきた。私は「七海、頑張れ〜」と手に汗を握りながら聞いていた。

アナウンスが終わり、私は立ち上がった。そしていつものアレをやった。

七海ィイイイイイ!七海ィイイイイイ!窪田七海ィイイイイイ!
愛してるぞおおおおお!

この日より大きな声はいまだに出せていない。それほどまでに私の気合いは十分だった。今までに入ったどの現場と比べても、バーイベの日の気合いに勝ることはない。

そして会場の照明が消えて、開演となった。バースデー衣装を身に纏った七海がステージに現れる。とてつもなく可愛い衣装だった。以下写真を参考。

まず、いきなり驚かされたのは、彼女が一曲目でギターボーカルに挑戦したことであった(披露したのは「泣き虫少年(Buono! / 2008年)」)。常に忙しいアイドル活動、特に七海のバーイベ直前週は、いわゆるリリース週であったために、上で書いたように、リリイベが何日も連続してスケジューリングされていた期間であった。凄まじくタフなスケジュールの中、普段のパフォーマンスでは絶対に披露しないようなことをやってみせたのである。

彼女は弾き語りを終えたのち、今回の挑戦について、次のように言った。

今日見に来てくれた方達の特権になるものをお見せしたかった

なんというファン想いなアイドルなんだと思った。月並みな言葉だが、どんなときも一生懸命に頑張ってくれる、挑戦し続けてくれる七海のことが、やっぱり大好きだし、かっこいいなと思った。

トークコーナーでは、あざといセリフに挑戦したり、あざとい写真を撮影したり、彼女の魅力が伝わる企画を準備してくれていた。笑顔で、楽しそうにコーナーを進める七海の姿がとても輝いて、ときどきおかしくて、私は多分ずっと笑っていたと思う。

ライブコーナーでは、楽しく盛り上がる曲を多めに用意してくれていて、そして当然のことながら、七海のバーイベなので、七海がひたすら歌い続けるわけである。アツい曲で、ステージで輝く七海を見つめ続けるのが、楽しくて幸せで仕方がなかった。

楽しい、幸せという感情で終わったバーイベ一部公演。しかしながら、二部公演で事件が起こった。

二部公演のラスト、七海と斉藤円香さん(MCとして参加)によるトーク場面にて、イベントを締める流れとなった時に、七海の表情が急に曇ったのである。何事かと思ったが、その後、彼女は泣き出してしまう。そして「足を攣ってしまった」と彼女の口から聞かされた。

私はボロボロの彼女の姿を見て涙が止まらなくなってしまった(しかしながら、それでいて彼女は輝いているのだ)。もはや号泣だった。この数年間で一番涙を流してしまった気がする。

先にも記した通り、七海のバーイベ前週はリリース週であり、怒涛の現場ラッシュであった。そして、リリース週の前週もたくさんのイベント・ライブが組み込まれていた。7月下旬からの現場スケジュールは下記の通りであった。

・7/19 大阪トークイベント
・7/22 関ヶ原フェス
・7/23 西武園リリイベ
・7/25 ダイバーシティ東京リリイベ
・7/26 神戸ハーバーランドリリイベ
・7/27 赤池プライムツリーリリイベ
・7/28 昭島モリタウンリリイベ
・7/29 個別イベント(渋谷)
・7/30 大宮ステラタウンリリイベ
・7/31 七海バースデーイベント

異常なスケジュールである。特に、ダイバーシティのリリイベからは、まさかの7連勤である。私は、この日程を全て彼女と共にしたからこそ、より強く疑問に思うことがあった。一体、彼女はいつどこでバーイベに向けた練習をしていたんだろうかと。そして、薄々察しはついていたが、夜遅くまで起きて黙々と準備をしていたというのが答えであった。そのことについては、次のブログに記載がある。

正直ココ最近とても忙しくて家についてから夜の3時くらいまで部屋にひきこもって練習してたんです(> <。)
むりかも。。。とか思ってたのですが皆さんが来てくれるの考えたら頑張れて!!!!

OCHA NORMA オフィシャルブログ「バースデーイベント!窪田七海」より

私は、七海が無理を押して頑張る姿を美談にしたくはない。もし七海が体調を崩してしまって会えなくなってしまったら、私はもはや耐えられないからである。そして、何より彼女が不幸になってしまうと思う。そんなのは嫌だ。

それでも、身を粉にして、我々オタク達のために一生懸命アイドル活動に取り組むその姿勢に私の心は揺さぶられた。

七海が私の心を捉えて離さないのは、彼女が可愛いからという理由だけでは決してない。彼女が持ち合わせるプロとしての精神・行動すべてがリスペクトできる。私にとって、七海は世界一のアイドルなのだ。いつも私たちのために頑張ってくれてありがとう。

二部終演後、子供のように泣いてしまった私は、色々なオタクの方々から笑われてしまった。そして、その日の夜ご飯に、泣きながら食べたカツカレーが美味しかったことをよく覚えている。

私には七海しかいない、改めて確信させてくれた一日となった。本当に幸せで大切な時間を過ごすことができた。

これまで入ったどんな現場よりも、七海のバースデーイベントが一番楽しくて、幸せで、魂が震えた。今から来年が楽しみでならない。


さて、最後に書く内容は、今年の10月から始まった47都道府県ツアーについてである。本記事を執筆した時点では、まだ数少ない公演数しか終えていないが、今の時点で感じていること、そしてこの先、私がどんな気持ちで七海と向き合っていこうと思っているか、その想いを綴らせてもらう。

●貴女と共に

まず、都道府県ツアーの話に入る前に、そこに至るまでの過程について振り返ってみたい。

バースデーイベントが終わると、すぐに今度は大きなアイドルフェスが待っていた。そう、東京アイドルフェスティバル(通称TIF)である。

少し話が脱線するが、このフェスで初お披露目となったメンバーカラーをモチーフにした衣装が、私のお気に入りだ。

ピンク色が世界一似合う女の子、それが七海である。おさげスタイルも可愛い。

この日のOCHA NORMAは、つばきファクトリーの代打(※)も含めて、4ステージを回すというタフなタイムテーブルであった。

※ つばきファクトリーは、直前でメンバーのコロナ感染が確認され、残念ながら出演辞退となってしまった。空いてしまった枠をOCHA NORMAとBEYOOOOONDSで埋めることになった。


この日の4ステージめ、MCコーナーにて、47都道府県ツアーの開催が発表された。ハロプロの先輩グループたちが経験してきた全国ツアー。OCHA NORMAもついに仲間入りするのかと、私は嬉しい気持ちでいっぱいになった。当然、会場にいたオタク達は全員沸き上がった。

何よりたくさんライブが組まれるということは、それだけ七海に会える機会が増えるということである。それが私にとって一番幸せなことだった。楽しいライブと嬉しいお知らせのおかげで、この日は充実した気持ちで一日を終えることができた。

その後は、追加のツアーやアイドルフェスが組まれていた。間に個別イベントやオンラインお話会も挟み、ライブの感想はもちろん、私が七海について日々思うことを、七海本人とシェアできる、私にとっては嬉しい期間であった。

その中で私が七海に伝えたことは、今年の夏が人生で一番楽しかったということである。七海をがむしゃらに追いかけ、全国各地を回ることで、たくさん七海がパフォーマンスするところを見ることができたし、各地で様々な出会いにも恵まれた。いずれの思い出も輝きに満ちている。素晴らしい2ヶ月半(鹿児島リリイベ〜3rd個別最終回)をくれてありがとう。そんな想いを彼女本人に伝え続けた。

それを伝えると、彼女はいつも笑顔になり、そして「私もこの夏はプライドくん(筆者)と一緒にたくさんの時間が過ごせて嬉しかった、楽しかった」と言ってくれた。大好きな人にそんなことを言ってもらえて、私は本当に嬉しく思った。

来年も絶対に七海と一緒に最高の夏を過ごすと決めている。


さて、ここからは10月から始まった47都道府県ツアーについて、執筆時点(2023年10月時点)までに書けることを語っていきたいと思う。

今回のツアーは横浜から始まった。会場はKT Zepp Yokohamaであり、大型のライブハウスである。この日、私の整理番号はかなり後の方であり、前方で見ることは全く考えていなかった。そのせいか、ゆったりと落ち着いた気持ちで会場入りすることができた(逆に、整理番号が良いとと早く入らなきゃと焦ってしまうものだ)。

自分の場所を取り、今か今かとライブ開始を待つ。どんな衣装だろうか、どんなセットリストだろうか、ソロコーナーはあるんだろうか、色々なことを考えていた。

そして照明が落ち、ライブが始まる。メンバーがステージに入ってくる。そして、私は自分の大好きな七海を目に留めた。とても驚いた。なぜなら、彼女がツインテールでスタイリングしていたからである。

昨年4月に、バッサリとショートカットに髪型を変えた彼女。それまでトレードマークとしていたロングツインテールとは別れを告げることになったのである。当時、私は「ショートの窪田さん可愛いな」と思っていたのだが、本人としては相当の葛藤があり、いざ髪を切るときは泣きながら切ったようである(とあるラジオ番組での談話より)。なんだか、10年以上前にも聞いたことがあるような話だ…ス●イレージ

そんな彼女が、ロングとは言わないまでも、ツインテールで再びステージに上がることになった。私は、彼女がやっぱりツインテールに愛着を持っていたということを知ったから、彼女のその姿を見ることができて、すごく嬉しかった。

そして何より…可愛い。もう、めちゃくちゃ可愛かった。衣装のデザインも可愛さとかっこよさを兼ね備えていて、まさに美少女戦士と呼ぶに相応しいビジュアルなのである。

美少女戦士ナナミン爆誕


ライブハウスということで、こんなに可愛い七海を近い距離で見ることができるわけだ。もし、最前に行けるような整理番号を引いてしまったら、私は幸せで天に昇ってしまうだろう。そのときはどうか私の骨をかき集めておいてほしい。そして幕張のどこかに埋めておいてくれ。


47都道府県を巡り、2公演/日ということで、公演数はトータルで94公演にもなる。したがい、この先は長い旅となる。間違いなくメンバーもオタクも体力的にタフであろう。今のところ、私は可能な限り全ての公演に行こうと考えている。私も体調管理に気をつけたいし、何よりメンバーには健やかであってほしい。

最後まで笑顔の七海を見ていたいと強く願っている。一緒に駆け抜けたい、大好きな貴女と共に。

■おわりに

冒頭に記した通り、七海に対する想いを初めて記事に起こしてから、約一年の時が経過した。私は当時より七海のことをもっとずっと好きになった。自信を持ってそう言える。

さて、ここからは私が七海に今伝えたいことを感情の赴くままに書いていくことにする。内容は多分まとまっていないが許してほしい。

これは何度も私が(七海本人にも)口にしていることなのだが、私は七海に出会えてからの人生が一番楽しくて幸せだと思っている。七海を見つめている時間が愛おしいし、七海をきっかけに出会えた人たちと過ごす時間も愛おしい。

七海に出会わなければ、しなかったこと・できなかったことがたくさんあって、そのどれもが私とって新鮮で楽しい出来事なのだ。

悲しい話をしたいわけではないけれど、いま私たちが一緒に過ごしている時間は永遠ではない。だからこそ、私はいま七海と過ごせる一瞬一瞬を大切にしたいと思っている。

少し前に送った七海へのバースデーメッセージに、私は次のことを書かせてもらった:生まれてきてくれてありがとう、アイドルになってくれてありがとう、私と出会ってくれてありがとう。そのように想いを綴った。今もその想いのままだ。

いつかのブログで、貴女は生まれ変わってもアイドルになりたいと言ってくれた。私は、生まれ変わっても七海と出会って、また好きになりたいと思っている。本当に愛してる、いつもありがとう。

貴女がこれを読んでいるかはわからないけど、この想いが届けばいい、そう願っている。

最後に真野恵里菜さんの「My Days for You」から、次の歌詞を引用して本記事を締めくくりたい。

これからも どうぞ よろしくね

七海、大好きだよ💓💓💓


読者の皆様へ、ここまで長文を読んでいただきありがとう。「愛情が伝わった」「気持ち悪かった」等、感想は人それぞれあるだろう。だが、そもそもこのような記事を読んでくれたこと自体に対して、厚く感謝申し上げたい。貴重な時間を割いていただきありがとう。

それではまた、次の記事で。

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