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【仏教女神解説】鬼子母神

この記事はこちらの解説動画と同内容です。


「鬼子母神」と聞いて、どんなイメージを持たれるでしょうか。
日本国内にお住みの方であれば、詳しくは知らずとも一度位はその名を聞いたことがあるかもしれません。
別名「訶利帝母」「歓喜母」とも呼ばれる、天部の一尊です。
まずは、鬼子母神がなぜ人食い夜叉から人々を守る女神となったのか からお話しましょう。

鬼子母神が生まれた理由

鬼子母神はかつて、マガダ国の夜叉のもとに産まれた美しい女の子でした。
彼女の誕生を全ての夜叉達が大変喜んだため、「歓喜(かんぎ)」と名付けられました。
歓喜はすくすくと成長していきましたが、
大きくなるにつれて「人間の肉を食べたい」と願うようになりました。
その衝動は、彼女を強く捉えて放しません。
そんな中、年頃になった彼女は結婚する事となりました。
相手は半支迦(はんしか)という夜叉の青年です。
夫婦仲は睦まじく、二人の間には500人もの子供が生まれます。
その一番下の子供「プリヤンカラ」を歓喜はことのほか可愛がりました。
しかし、沢山の我が子を産んだ歓喜はそれまで堪えてきた欲望をついに抑えきれなくなり、
屋敷の外に出て人間達をむさぼり食うようになってしまったのです。
特に妊婦や子供達まで食い殺す有様でした。
これを見た人々は「彼女の名が『歓喜』だなんて信じられない。
もはやあの女は『訶利帝夜叉女だ」と恐れ、
釈迦に調伏を懇願したのです。
それを受けた釈迦が歓喜の屋敷へ向かうと、ちょうど主は不在でした。
その上、プリヤンカラが一人で留守番をしていましたので、
釈迦は自らの鉢にその子を隠しました。
そうとも知らず屋敷に戻った歓喜はすぐにプリヤンカラが居ない事に気付きます。ところが、
他の子供達にその居所を尋ねても皆その姿を見ていないと言うのです。
歓喜は必死でプリヤンカラを探しました。しかしどんなに探しても我が子は見つかりません。彼女は嘆き悲しみ、取り乱して、
その姿を求めて国中や別の大陸、さらには地獄を巡りました。
それでもプリヤンカラの姿はありません。
ついには須弥山へと至ると山頂へと辿り着き、
その最奥の帝釈天の宮殿に入ろうします。
しかしその警備をしていた金剛大神に見つかり、山頂から蹴り落とされてしまいました。
歓喜の身体は、山の中腹の多聞天宮まで落ち、
そこにあった大岩に 打ち付けられてしまいました。
絶望し、慟哭する歓喜。彼女を見つけた多聞天は語りかけました。
「歓喜よ、泣くのはやめて自らの屋敷をみてごらんなさい」
歓喜がそこから我が家を見ると、そこには釈迦がいる事に気付きます。
彼女は急いで屋敷へ戻り、我が子を返してくれるように願いました。
釈迦は彼女にプリヤンカラを返すと、こう尋ねました。
「歓喜よ、そなたはそんなにも我が子が愛しいのか」
歓喜は強く頷きます。
「もちろんです。この子は私の命よりも大切な子です」
「だが、そなたには500人もの子供がいる。
 たった一人失ったところで、そんなにも悲しむ必要はないのではないか」
「いいえ、両手あわせて10本ある指でもその一本を折れば痛い。
何万も生えている髪の毛でも、たった一本を抜けば痛いのです」
と、それはそれは大切そうに我が子を抱きしめて訴える歓喜。
彼女に、釈迦は諭します。
「そなたは人々の子供達を無惨にも食い殺した。
500人の内のたった一人がいなくなっただけでも悲しむその心でもって、
そなたが殺した人々の、嘆き悲しむ親の心を想像してみるのだ。
私はそなたにこれを気付かせるために、幼いプリヤンカラを隠した」
これによって漸く自らの悪行に気付いた歓喜は深く悔やみ、釈迦に尋ねました。
「ああ、なんという事をしてしまったのでしょう。
私はこれからどうすればよろしいのでしょうか」
「歓喜よ、自らの子に対する愛をもって、人の子を愛せ。
そして今世後世、未来に至っても、長く人々の子供を守るのだ」
こうして歓喜は釈迦の教えを守ることを誓い、子供を守る鬼子母神となったのです。

ここまでは多くの経典にも出てくるほぼ共通の物語ですが、一つ気になる事があるのではないでしょうか。
歓喜がなぜ、あんなにも子供の肉を食べたがったのか。
「根本説一切有部毘奈那雑事」では、
その前世の因縁が語られます。

歓喜の前世は牛飼いの妻でした。
彼女のお腹には臨月間近の子供がいます。
そんな折、彼女が暮らす町で聖者が法要を開きました。
それに参加しようと集まってきた500人の人々。
彼らはその法要に牛飼いの妻も誘います。彼女は喜び、踊りを披露しました。
ですが、これによってそのお腹の子を流産してしまったのです。
500人の人々は彼女を助ける事もせず、法要へと行ってしまいました。
嘆き悲しみ、怒った彼女は500個のマンゴーの実を買うとそれを聖者にお布施します。
そして「来世は夜叉女となり、500人の子を産み、人々の肉をむさぼり食いたい」と
願ってしまいます。
この宿願が叶い、歓喜は人々を恐れさせる人食い夜叉女になってしまったのです。


果実を手にした女神


では、次はその姿をご紹介します。
例えば「訶利帝母真言経」には
「身に天衣を着け、頭冠瓔珞あり、宣台の上に坐して
両足を垂下し、垂れたる足の両辺に於いてこの孩を画き……右手の中に於いて吉祥果を持つ」
とあります。
要約すると、天女姿で冠とアクセサリーをつけており、台に腰掛け、右手には吉祥果を持ち、赤ちゃんを抱いている姿、という事です。

鬼子母神といえば、その手に持つ吉祥果。日本の鬼子母神は殆どの場合、石榴を持ちます。
釈迦に諭され改心した鬼子母神が
「私はこれから、人肉の代わりになにを食べて飢えをしのげば良いのですか」
と尋ね、
それに対して釈迦が
「石榴を食べなさい」
と答えた、というお話を聞いた方もいることでしょう。
しかし、鬼子母神がその手に石榴を持っているのは、
何も自らの飢えを満たすためではないのです。
そもそも、鬼子母神が持つ果物は石榴と決められている訳では無く、
先程もご紹介したように経典では「吉祥果」と記されているだけで、
これが何の果物を指しているのかは諸説あります。
実際、南アジアの鬼子母神は石榴に限らず、例えば葡萄の房や、
「コルヌコピア」「豊饒の角」と呼ばれる果物や食べ物を束ねたものを持っています。
                                                                                      日本で石榴が鬼子母神の事物になったのは唐代の中国の影響で、
吉祥果というと石榴を示すようになりました。
といっても、理由も無く翻訳者の都合で解釈が変わってしまった、という訳ではありません。
鬼子母神の元となった女神ハーリーティも石榴を持つ姿があり、
石榴はまさに多産を表すシンボル。
実際の所、インドや中国に限らず、様々な地域で石榴は
豊饒や生殖の力に関連付けられる果物です。
その沢山実る赤い実自体が多産のイメージに繋がりますし、
熟して割れた果実は女性の成熟した生殖能力を想起させます。
つぶつぶした種子から流れる赤い果汁は、まるで血液のようです。

また それ故に、石榴は繁栄のイメージと同時に死のイメージまでも併せ持ちます。
例えば、ギリシャ神話のペルセフォネは冥界の王ハデスに攫われますが、
助け出されて地上に戻る際にハデスに渡された石榴の実を食べてしまった事で、
その食べた数の分だけ冥界で暮らさねばならなくなりました。
また、その果汁の色から磔刑の流血へと繋がり、
「救世主の受難」のモチーフであると共に、
その厚い皮から聖母マリアの純潔をも表すものとして絵画に描かれているのは有名です。
このアトリビュートはボッティチェリの作品に多く見られます。
何より、釈迦が石榴の実を食べるよう鬼子母神に言った際、
「石榴の実は人肉の味に似ているから」という理由で勧めている、
という話も聞くほど、この果実は血を流す人体と重ね合わせられて来ました。

沢山の子を産み育て慈しむ 母の姿と、人肉を喰らい死を振りまく悪鬼の姿を
併せ持つ鬼子母神にとって
石榴が事物となるのは、きっと、当然の成り行きだったのでしょう。

「鬼」の姿と「女神」の姿


鬼子母神といえば、やはりその二面性。
先程もお話しましたが、鬼子母神、訶利帝母は元々はハーリーティという女神です。
前回お話した緑多羅菩薩のモデルの可能性としても上げられているこの女神は、
本来鬼の姿とは無関係でした。
その名前も植物の緑色を語源とする説がある事から、
元々は植物の繁殖力を司り、
そこから人間の子孫繁栄を関連付けた神格と言われています。
他にも子供を病魔から守る女神として信仰されていますが、
これにはガンダーラ西方で活動したハーリタ族という種族が
関係していたともされています。
ハーリタ族は古代医術に長け、その能力が女神信仰として伝わったのではないか、
という説です。
しかし、これらの説は有力に思えますが、やはり仮説に過ぎません。
歴史が古い分、不明瞭な点も多くあると言えます。

植物や医療の力で恩恵を与えてくれる女神。
それがどうして、子供を食い殺す夜叉の側面を持つに至ったのか。
それにはまず、ハーリーティが持つ別側面からお話していきましょう。
もう一つの顔、それはブータ。
ハーリーティ・ブータ・マーターとも呼ばれます。
ブータとはこの場合、子供に災いを齎す悪霊の事で、
マーターとは母なる神を表します。
仏教に取り入れられた際、ここから
鬼子母神の二面性が強調されていく事となったのです。

このブータという神格、サンスクリット語では幽霊などの意味となり、
その名で呼ばれる対象も様々。
広義では、特に民間に信仰される比較的低位の神の事。
身近な動物や、非業の死を遂げた人々を神格化してブータと呼んでいる場合もあり、
共通した特定の神を示す訳ではないようです。
ブータは主に現世利益を齎す神ですが、その反面、懲罰を与える相手には凶暴になります。
ハーリーティの側面であるブータもまた、こういった姿が取り入れられたものと考えられます。

また、ハーリーティという名称は「連れ去る」を表す言葉「フリ(hr)」からの派生語とも解釈され、これが子供を攫って食い殺す姿と結びつけられるとも考えられますが、
一方「心を『奪う』絶世の美女」とも解釈でき、
ここから歓喜の名が付けられたのかもしれません。

鬼子母神はその姿を伝える書物の多くで「慈愛を感じさせる天女」として表現されており、
鬼とはほど遠いもの。特に鬼女のイメージは、日本特有と言えます。

鬼子母神は夜叉ですが、歓喜が暮らしていたマガダ国の夜叉達は
人間達に友好的だったようです。
歓喜が弟や夫に人の肉を喰らいたいと伝えた時、
どちらも彼女に思いとどまるよう諫めています。

夜叉が人肉を食べる起源は、
インドで神に祈る際、食べ物を捧げる風習があった所から
連想して生まれた形のようです。
肉を好む神に祈願する際には、大地に血を注ぐ儀式などもあり、
その姿は夜叉だけでなく今日のインドの神々にも見受けられる要素です。

また、中国と日本で「鬼」の意味が違う事も注目すべき点と言えます。
日本のそれは能における鬼女など、強い怨念によって生まれ、
人々に害を与える恐ろしいもの、といったイメージがありますが、
中国で「鬼」という字が指すのは悪霊や幽霊の事。
ちょうど、ブータに近いものです。
インドから入ってきた経典が中国で訳され、それが日本に持ち込まれ、
独自の解釈が付与されて生まれたもの、それが私たちの目にする鬼子母神の姿なのです。

「鬼」の顔を持つ母なる女神


日本の鬼子母神を語る上で外せないのは、
やはり「鬼」の面が特に強調された姿の方でしょう。
有名なのは法華経寺で見られる姿でしょうか。
天女形で表される鬼子母神が多い中、
こちらは鬼と呼ぶに相応しい恐ろしい顔を持つ女神で、
日蓮宗の守護神として信仰を集めています。
とはいえ、その根本経典である法華経の陀羅尼品では
鬼子母神が登場するのはたった一箇所だけ。

そこで、菩薩達は法華経の教えを語る人々に対し、
夜叉、羅刹、餓鬼等様々なものから身を守る呪文を贈ります。
すると、鬼子母神と共に十羅刹女達も現れ、
「私たちも法華経の教えを守る人々を守護します」と名乗り出るのです。
夜叉・羅刹である彼女達が自らここに加わる姿は、非常に興味深い所です。
この十羅刹女のメンバー、元々はインドの女神や人食い羅刹も含まれており、
あらゆる女神が持つその多面性を 垣間見れる部分なのではないでしょうか。

日蓮宗で鬼子母神は 彼女達 十羅刹女の母・
そして羅刹女代表と考えられるようになります。
鬼の顔をした鬼子母神は穏やかな天女の姿とは一変し、
悪鬼を退ける調伏者の側面が強く出されます。
守り育むだけではなく、教えに反する者や悪事を働く者を懲らしめる、
苛烈な女神でもあるのです。

日本での鬼子母神信仰の形


ここまで長くなりましたが、最後に、
日本における鬼子母神の御利益について触れましょう。
子供の安全・子宝祈願に広く御利益があると言われる鬼子母神。
他にも様々な力を持つとされ、恋愛や夫婦円満、
病気に対しても力を貸してくれ、人々にとっては切っても切れない
これらの願いを受け入れてくれる、身近な存在と言えるでしょう。

ところで、鬼子母神像を祀る有名なお寺の一つに真成寺がありますが、
ここの鬼子母神様には特徴的なものがお供えされています。
それは、「底のないひしゃく」。
これは、この場合では「妊娠しませんように」という願いを表します。
現代のように避妊が行えなかった時代。
様々な理由で子供を望まない人達がそれを鬼子母神に願いました。
子宝を望む人々だけでなく、妊娠する事がリスクとなる人々にとっても、
鬼子母神は救いの手を差し伸べてくれる母なのです。



優しく我が子を見守る慈愛に満ちた眼差しと、鬼の形相で魔を払う姿。
「母は強し」とは良く言ったものですが、
鬼子母神のこの二面性は、まさに
女性が持つ優しさと強かさを表しているように思えます。

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