かなぐり捨てた後に残るもの

今、新幹線に乗って、一人暮らしのアパートに帰ろうとしている。

遠くにいる妹に、半年ぶりに会いに行った。
物心ついた頃から身の回りの世話をしていた妹が、遠く離れた土地で健康的に暮らしていることが分かって心から安心したが、相対的に自分の不甲斐なさが加速していた。


多分、後先考えずに過ごせる人生でも少ない期間だろうと思い、余りにもパワフルな予定の入れ方をしてそれを遂行している最中。1ヶ月の間に色んな場所に行って思ったことは、結局日本を出ないと違う景色は見れないということ。
ここには不気味な程に人間が住んでいること。

新幹線に乗って帰っている途中、同じような景色ばかりで少しばかり気持ちが悪くなってしまった。おびただしい家々、扉の数だけ、人の生活があること。それのほとんど全てを知らずに死んでいくこと。なんだかとても怖くなった。

私は今まであまり電車の類に触れてこなかった。地元はただ同じ線路を行ったり来たりするだけのローカル鉄道しか走っていなかったし、地元を離れてからは優しい両親のお陰で、大学生だけれど車を所有できていた。

交通系ICを作ったのも丁度1年程前で、全然慣れていない。この1ヶ月で、ようやく知らない土地で間違えずに電車に乗れるようになってきた(私からしたら電車の乗り換えって、言葉と数字が入り乱れていて、ハードルが高い)。

電車、よくよく考えたらおかしい。
決まった時間にホームに、するりと当然のように入ってきて、知らない人達が一斉に乗り込む。
みんな当然みたいな顔で、慣性の法則に従わないように涼し気な顔で踏ん張って、目的地で降りていく。年齢も性別も生い立ちも地位も年収もバラバラ。それなのに不思議な顔をひとつもしないで、みんなまねっこ遊びをしているみたいに俯いている。

怖い。ふと気がついたらキョロキョロしているのは私だけ。私だけずっと迷子みたいに緊張している。これにもいつか慣れるのだろうか。私もいつかまねっこ遊びの一員になれるのだろうか。

もし、電車に意思があるのなら、私たちをどこに連れていってくれるのだろう。全員がギョッとして思わず顔を上げてしまうような場所に、連れて行ってくれたりするだろうか。

無敵な気がする夜「世界を変えたい」とかほざいていたけれど、私の一夜の想像なんて遥かに超えるほど(今の私の財力で行ける)世界は広く、そして飽き飽きするくらいにどこも似たような形をしていた(ただ私の財力がないだけだという意見は受け入れます)。


車窓の外に視線を投げながら、たまにトンネルに入って真っ暗闇に映る自分に驚きながら、あれこれ妄想を繰り広げていても、私も目的地についたら電車を降りなければならない。
この時、電車の扉から吐き出されているように見えた人たちは、自分の足で歩いていたのだと気づく。

自分の足で、歩かなければならない。
自分の目的地は、自分で大事に持っておかなければならない。
電車には意思がないから、自分の目的地を忘れてはいけない。

一人暮らしのアパートに帰る途中、地元の近くを通過した。大きな山に雲が覆いかぶさっていて、私は雪が降っているのだと分かる。
この土地だけは、他とは違う色に見えた。
でも、もう多分、帰ることはないだろう。
お土産を買って帰る可愛らしさが、まだ自分に残っていて良かったと、思ったりしていた。

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