街灯踊る夜海月

2022年12月16日
人生で初めてのツーマンライブをした。
大切な気持ちをつらつらと書き留めます。

静岡の飲み屋街を1人でふらついている時、あつやくんからLINEが入っていたので電話をかけた(私は酔っ払うと人に電話をかける習性がある、迷惑なのでやめたい)。そこで唐突にツーマンライブに誘われた。「やろやろ!」くらいのテンションだったのだが、店長さんにも話していると、、本当にやるんだ、、

あつやくんと出会ったのは、まだ私がライブ活動を始めたばかりの頃、オリジナル曲を作り初めて間もない頃だった。真っ暗闇をもがく様な日々を過ごしていた私を、どこからか見つけてくださった、とあるライブハウスの当時の店長さんが「村田篤哉って子のレコ発が今度あるんだけど、遠藤さんと合うと思うから出てみない?」と言ってくださった。

当時、世の中はコロナウイルスが猛威を振るい始めてまだ間もない頃、大学を休学したタイミングと重なり、私は身動きが取れずにいた。全てのチャンスを逃してはならないと思い、「出ます!」と即答した。

遠藤美月としての4回目のライブだった。当日は、私はカバーも交えながらおぼつかない演奏したのだが、トリのあつやくんの演奏をみて「レコ発ってそういうことか、、」とようやく理解し、震え上がった。演者さんも、私以外はみんなあつやくんが呼んでいた人だったのだが、みんなどこの馬の骨が分からない私にも温かくて優しくて、「これはきっと村田篤哉がすごい人だからだな」と思った。

それから、その年で1番多く対バンしたのがあつやくんだった。今同い年で音楽の趣味も近く、毎回絶対にいいライブをする。私は知らず知らずのうちに彼の背中を追っていたのかもしれない。

イベントのタイトル名を決める時、彼から「海月」というワードが出た。
私の「あの子のワルツ」という曲の中に「海に漂う月」という歌詞がある。これはクラゲのことを指しているのだがそこに言及されたことは無かった。彼もそれに気づいていないようだったが、いつの日かのライブの後、DAYTRIPのバーカウンターの所で「あのクラゲっぽい曲いいよね」的なことを言ってくれた。きっとそのことを覚えていたんだろうな、、覚えていないのかもしれないけど。嬉しかった。

イベント会場のDAYTRIPは、私がライブ活動を始めた1年目、恐らく1番出演していたライブハウスで、まだ下手くそだった頃から本当にお世話になった。店長の村田さんはいつも私の体調を気づかってくれる。音楽活動を続けようか迷っている時、「みづきちゃんのペースで続けて欲しい」と何度も言ってくれた人の1人である。
そんな場所でまたライブができたこと、恩返しができたような、今までが報われたような気持ちで胸がいっぱいになった。

あつやくんとこの日の為に作った曲、
「街灯踊る夜海月」の歌詞の中に

きずついていた
こわれそうな からだのまま
こうかいをしていた
ぷかぷかおよいでいたら たどりついていた

という歌詞がある(表記をしっかり決めていないので平仮名で記した)。
今まで何をすればいいか分からないまま、でも何か生きた証を残さなければと、命をすり減らすようにうたをうたってきた自分が、あの素敵な夜に辿り着いたことは、必然だったんだという気がしてならない。

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