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止めてくれたよ、お医者さん。50年前に医師から言われた言葉

予防注射は受けないように

 50年前、私は10歳、小学校5年生でした。夏休みのできごとです。半世紀前のことで、詳しいことはもうわかりません。覚えているのは、とてもしんどかったこと。からだがだるくて力が入らず、歩くこともできなかった。父親におぶられていくつかの小児科医で診てもらいましたが、病名はわからなかった。寝ているしかありませんでした。私の記憶があるのはそこまでです。
 その後、私は夜中にひきつけを起こしました。隣に寝ていた妹によると、相当、妹に恐怖を与える様態だったそうです。祖母が「わりばし持ってきて!」と叫びながら、舌をかみきらないようにと自分の指を口に突っ込んだとききました。救急車で病院に運ばれ、意識不明の状態になりました。命が危ないと言われたそうで、近所の幼稚園のシスターも祈ってくれたそうです。昏睡状態から目覚めるまでどのくらいの時間が経過したのか、もう昔すぎてわかりません。ともかく命は助かりました。その次には、命は助かったけれども、脳に障害が残るかもしれないと言われたそうです。
 自分の意識がいつもどったのか、その後しばらくのことも、全く記憶がありませんでした。自分というものが再びもどった時には、自分が入院しているという状態を理解をして受け入れていました。自分がぐったりしたところまでは憶えていたので、たぶん、その後のことを説明されて、了解したのだと思います。
 病名は日本脳炎でした。付き添っていた祖母は、意識がもどった私に計算問題をさせてみたそうです。計算はできている、頭は大丈夫みたいと首をかしげたそうです。祖母の手帳には確かに計算問題が残されていました。しかし、当時の私には計算問題を出されて解いたという記憶もありませんでした。
 入院していたのは、隔離された伝染病病棟でした。病棟の入り口は檻のようになっていた記憶があります。しばらくしてそこを出て、小児の一般病棟に移り、入院生活を送ってから退院しました。入院期間は数週間くらい?どのような治療がされたのかも、よくわかりません。
 退院後、私には、いくつかの禁止事項がありました。覚えているのは、2学期の授業でプールには入らないように。刺激物(子どもの私の趣向の中ではチョコレートくらい)を食べないように、ということでした。
 何回か、病院に検査に通って、頭にたくさん電極をつけられて脳波をとりました。後遺症はないということで、もう、病院にも来なくていいということになりました。プールも来年からはOK。生活上の禁止事項はなくなりました。私に唯一、残されたお医者さんからの禁止事項は、「今後、予防注射は打たないように」ということだけでした。その理由は? 当時の私は、刺激物をとらないことの延長線上に、予防注射があるように理解していたと思います。
 私は、それを忠実に守ってきました。10歳になっていた私には、もう、打たなくてはいけない予防注射は特になく、インフルエンザの予防注射を打たなかったくらいで、困ったことは何もありませんでした。 
 最終的についた病名は「疑似日本脳炎」でした。日本脳炎を疑う、似ている。だけど、日本脳炎とは言えない。当時、「疑似」の意味を深く考えるよりも、「日本脳炎になった」ということの方が、子どもの私には重かったです。私が日本脳炎になったことは、周囲にはけっこう知られ、新聞にも載ったし、このあたりで日本脳炎が発生しましたと消毒にも来たそうです。
 私の日本脳炎は家族の大事件だったので、命が助かったことで、家族は喜んでいました。親からは、日本脳炎の予防注射を打っていたから、軽くすんだのだと言われました。親はそう説明を受けたのでしょうか? コロナでも聞くセリフですね。私自身は、予防注射を打ったことも覚えておらず、そのくらい予防注射のことを気にしていませんでした。そして年を重ねるにつれて、もう、10歳の時の疑似日本脳炎はどうでもいいかと、問診票に書かなくなっていました。 

もしかしたら、予防注射の副作用?

 もしかしたら、あれは日本脳炎ではなくて、予防注射の副作用だったのではないか? そういう思いが頭によぎったのは、私が30代半ばで母親となってからです。私は子どもの予防注射は打つものと疑わず、スケジュール通りにまじめに打っていました。毛利子来さんや山田真さんの本が好きだったので、育児雑誌「ちいさい・おおきい」を読むようになり、予防注射で後遺症が残る子どもがいたり、中止になった予防注射があったりしたことを知りました。そもそも、住宅街にコガタアカイエ蚊が飛んできて、私一人だけ、突如日本脳炎が発生するものでしょうか??
 しかし、もう、真実を追及するには昔すぎました。入院の時に私に付き添ってくれた祖母はとうに亡くなり、詳細は誰も覚えていません。
 育児をする中で、野菜は無農薬、子どもには予防注射を打たないという選択をしているお母さんたちと知り合い、衝撃を受けました。子どもが2歳の頃です。玄米の炊き方、梅干し作り、精製された砂糖ではない甘味、小麦粉の代わりに米粉を使えることなど、多くのことを習いました。そのお母さんたちは、無農薬野菜が高くても医療費を払うことに比べれば安い、と言っていました。そのライフスタイルと、幼稚園や保育所から何かを言われてもめげない精神を知るにつれ、私にはできないと思い、そっち側にいくことができませんでした。その友人とのつきあいはとっくに途切れ、気にしながらも食生活は安売りスーパーメイン。そもそもどんな予防注射も子どもに打っていないあの人たちが、コロナのワクチンを打たないことは確かだと思うので、そんな人とのつきあいを失っていたということが、気づけなかったことにつながっているのだと今は実感します。 
 ちょうど、私の子どもの世代で、いったん、日本脳炎のワクチンは中止になり、その後、再開されるということがありました。再開されてまもなく、私は子どもに日本脳炎ワクチンを打ちました。
 ワクチンに関して、否定的な情報を知っていても、子どもにワクチンを打ってしまう。なぜか? 玉にあたる確率は、あたらない確率より低いのだからと、ロシアンルーレットの引き金をひいてしまう。あたらなければセーフで終わってしまう。反ワク界では、愚民、毒親、親ガチャと言われる。自分のこととしてよくよく考えてみないといけないと思います。これは宿題。

新型コロナの予防接種を打とうと決める

 時は経ち、こどもは成人をすぎ、育児雑誌も育児本も読むことがなくなり、もう私も還暦手前。月日が経つのは早いものです。
 私は子ども時代から朝日新聞とNHK好きの家で大きくなり、家を巣立った後も、朝日新聞とNHK好きで生きてきました。Eテレには子育てからずっとお世話になり、NHKスペシャル他、お気に入りは録画予約して見ていて、NHK党が一体何を言ってるのかも、全然興味がありませんでした。今ではよくわかりますが、そのくらい、NHKを見ていました。新型コロナが出てきた時も、毎日まじめに新聞を読み、テレビで情報をチェックしていました。そして、「コロナにかかりたくない、かかったら最悪だ」と思っていました。コロナ脳でした。
 しかし、それでも、予防注射に関して疑う気持ちがあったのは、育児時代の情報があったからだと思います。また、少し前に子宮頸がんワクチンの問題がありました。うちは息子だったため、私事として真剣に悩みませんでしたが、娘のいるお母さんたちにとっては大問題でした。当時、薬剤師のお母さんに薬と子宮頸がんワクチンについての勉強会をしてもらいました。成分がずっと子宮に残り続けること、薬でもワクチンでも添付文書を読んだ方がいいことを学びました。
 だけど、コロナの時は、もう、お母さん同士が会って情報を交換しあうというような、それまではあたりまえだった機会が緊急事態宣言以降、失われていました。それが、子宮頸がんワクチンの時と大きく違うことでした。そしてもう一つ違うのは、子宮頸がんワクチンの被害をNHKも新聞も報道していたのに、コロナワクチンの被害をNHKと新聞が報道しないということです。
 私は本屋さんに行って、本を6、7冊買いました。ワクチンについて賛成の本と、反対の本。両方買いました。今思えば、せっかく、反対の本も読んでいたのに、反対の本が怖い、やばすぎる内容だったので、非常に気になったものの、それを避ける認知バイアス?が働いてしまったのだと思います。こわくない方(本当はこわい)に流れ、山中伸弥教授とカタリン・カリコさんが対談したNHKの番組と、「打たないという選択肢はない」といった免疫学の権威という宮坂昌之さんの本を読んだのが決定打で、そちらの意見の方を採用してしまいました。ここにも、私自身の浅はかさがありました(=結局、権威のある方を採用している)。本を読んでも、本に書いてある知識を整理して比べたり、自分で疑問点を調べて考えたりして追求するということをしていないのです。
 デルタ株が流行していた時期、やっぱりかかったらやばそうだなあ、回りにも迷惑をかける、という気持ちが強くなってきました。まわりで予防接種を打った人も出てきて、副反応でどのくらい熱が出たかがワイワイ話題になっていました。まだ簡単に予約は取れませんでしたが、大規模接種会場なら予約が取れそうだという話をきいて、そろそろ打とうと決意をしました。

私は新型コロナの予防接種を打てるのか? 

 打つと決めた時、やっと、自分は打てるのか?という疑問が頭をよぎりました。50年前に私を診てくれた医師は誰なのかも、生きているかもわからない。私が医者にかかるのはインフルエンザの時くらいで、かかりつけ医がありません。そこで、厚生労働省に電話してみました。50年前、10歳の時に「疑似日本脳炎」になり、ひきつけを起こして意識不明になった。後遺症なく回復したが、医師に「今後、予防注射を打たないように」と言われ、打ってこなかった。予防注射が原因と当時は言われなかった。どうしたらよいかと聞くと、予防接種会場に医師がいるので、医師にきいてください、ということでした。
 さて、いよいよ、予約がとれて接種会場に着き、順番がきて、問診表を見せて、厚生労働省に電話したことも説明。医師の問診にまわされました。「それだけ大きい反応を起こしているなら、打たない方がいいですね。いや・・・、打てません」と医師は言いました。厚生労働省からのプリントを見せながら、「日本脳炎のワクチンと同じ物質が今回のワクチンにも入っています」と。それは50年前の日本脳炎のワクチンでも同じなのかな?と疑問に思いつつ、「どうしたら、いいんでしょうか?」とたずねると、「もし、どうしても打ちたいなら、いちかばちかなので、接種会場ではなくて、救急対応ができる入院施設のあるところに行ってください」と。いちかばちかで打ちたいとは思わなかったので、「ワクチンを打たなかったらどうしたらいいんですか?」とたずねると、「かからないように気をつけることと、今後、違うタイプのワクチンが出てくると思うので、その時にうったらどうですか」とのことでした。係員の人が「お気の毒でした」と私に声をかけ、私を会場の出口に誘導しました。私は茫然としつつ、「ワクチンを打てなかった」と早退してきた職場に電話を入れました。
 ショックを受けつつも、「打てない」ことで、打つべきか打たないべきかの迷いは消え、自分はこれでいいやと正直安堵の気持ちはありました。家族で打っていないのは私だけ。世の中は、ワクチン打たなければ、コロナにかかって死ぬかも、くらいの感じだったので、家族は私を「どうするの?」と心配していました。

止めてくれたよ、お医者さん

 その後、ワクチンを打てなかった私はどうしたらいいのか?調べ始める中で、ワクチンについての情報と知識が増えていきました。50年前に子どもの私に「予防接種は受けないように」と伝えてくれたお医者さん(生きておられますか?)、大規模接種会場の問診で「打てません」ととめてくれたお医者さん、どちらのドクターも名前がわかりませんが、感謝します。
 息子は2回目を打って8時間後に嘔吐と体の震えが1時間くらい止まらず、怖い思いをしましたが、幸い大事にはいたりませんでした。子どもに打ってしまったこと。これは、残念なことに、自分自身が本当に情報を受け取っていなかったことを私に知らしめました。コロナの前から、一部の医師は、予防接種に警戒メッセージを出してくれていたのに。自分を馬鹿だと思うと同時に、コロナ禍で声をあげてくれているお医者さんには敬意と感謝を、そして、コロナになるずっと前から、母親たちにメッセージを送ってくれていたドクターには、きちんと受け止められなかったこと、申し訳なかったです。

遺伝子ワクチンに気を取られていたけれど

 新型コロナワクチンはmRNAを使った新しいワクチン。私はそのことを理解しようとして、本を読んだり、ネットで情報収集をしていたと思います。なぜなら、私の周りでは、多くの人がそのことに関心がありませんでした。そもそも今までの予防注射とどう違うのか、仕組みには関心がない。
 治験中であるということが、よく、ワクチンについて慎重に考えるように説得する第1の理由にあげられていますが、治験中であることや、被害者の数、遺伝子ワクチンの仕組みは、説得するうえでなかなかストッパーにならないと感じています。
 ネットのURLを送っても、別に怖くなかったとか、洗脳しようとしているとか、いろいろな意見があって迷いますね程度でかわされたり。この本読んだら、さすがに打たないやろうと思って貸しても打った、ということを体験した私は、さすがに考えるようになりました。。。。
 私はやめた方がいいと思う、と言って、相手が聴く耳をもってくれるのは、理屈じゃなくて、人としての信頼感とその人自身がもってる勘?
 何が、その人の勘にささるのか?
 身近の知人や、自分にとって大切だと思える人を止めるには、いろんな情報を送るよりも、私自身はこんなふうに考えたよ、っていうことをどっかに書いて、それを見てね、って言えるようにした方が効果的なのかもしれない。そう思って、NOTEを書き始めることにしました。幸い、NOTEには、まとまった情報を発信してくれている人が多くおられるので。。

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