相手にされて「キモい行動」を、自分が行うのを許せるか

意外と多いのだ。

「○○をする人が苦手」「ありえない」と大きな声で主張する割に
自分が該当することに気付いていないケースが。

この手の主張をする人を見てどう思う訳ではないし一向に構わないが、自分の自由を規制する理由の一つとなるので、オススメはできない。
性格が悪くて申し訳ないのだが、「以前言ってた話と違うよね?」とすぐにつっつきたくなってしまう。

一般的にこの手の主張は自己の価値を高める為のアプローチであり、
「その主張をすることで得られる素敵な自分」を自他に得るための瞬間的なアピールなのだ。セミがミンミン鳴くのと大差のない本能的な行動であり、声がでかいのは許してあげようと思う。

本当に信念や拘り等があるとすれば、意外と表に出ることはなく無意識のうちに行動に表れている物なのだ。
口にすればするほど軽く思えてならない。

また、こんなにも否定的な入り方をしておいて何だが、俺はこの行為について肯定的に考えている。
この発言には、見えない「自分以外の」という言葉が頭についている。
一般的に考えれば、自分は他人よりも可愛く、特別な存在だ。
「自分の」行動は意外と許せてしまうのだ。一番わかりやすく優しい自己愛だと思う。

故に、特別な意思を持たない軽い気持ちで発言した「許せない何か」は、
意外と許せてしまう自分を肯定してるのだと思う。

また、人間の考えとは日々変化していくもので、過去の自分と今の自分では考えが異なるのが自然だ。
明日からも胸を張って「嫌いな何か」を主張してほしい。
明日からも胸を張って「自分が嫌だ」と思うことを他の人にしてほしい。
「以前言ってた話と違うよね?」とつっつかせてほしい。

そんな奴が可愛くて、愚かで、人間っぽくて好きだ。


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