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人生最初の記憶は母の悲鳴でした 知遅れエピ②

今回は②ということでですね、ぴちゃんお待ちかねの私の「人生最初の記憶」を紐解いて逝きたいと思います!

シャバ僧も赤子だった

 

残っている一番古い記憶は、母の悲鳴です。
ちょうど母乳をいただいていたときでした。場所はリビングと台所の境です。敷居に座って私を抱いてました母。なんでそこで授乳するん?という感じですね。なんで。
私は母の乳首(右か左かは思い出せない)を吸っていました。

すると急に母が私を引き剥がし、その場にうずくまったのでした。

「痛ーーーっ!!」

(何!?!? !?)

めちゃくちゃ焦りました。母の表情を伺おうとその顔を覗き込むワケですが母は身を折り曲げてうずくまっているから見えません。

(えどこが痛いの?)

(自分、悪いことした? もしかして乳首とれちゃった笑笑? 笑えないだが笑笑(笑うな笑(笑うな(笑(笑うな笑……(以下無限ループ))))))

私は訳も分からずただ母の周りをうろついていました。母はうずくまったまま「痛い、痛い・・・!」と繰り返しうめくだけ

記憶はそこで終わっているなのだが


心配することはありません。シャバ母は元気です。

それは、断乳です。

そう、断乳《ことわりちち》です。
みなさん断乳《ことわりちち》をご存知ですか?
広辞苑はこう定義しています。

だん-にゅう【断乳】
乳児が成長した段階で、母乳を与えるのを断つこと。

断乳《だんにゅう》でしたね。オツだ

断乳のオーソドックスな方法は、3日~1ヶ月かけて段階的に母乳を与えなくするやり方らしいのですが、間黒男(シャバ僧)母の場合は「痛いよ、怪我しちゃったからもうおっぱい出ないよ」と演技することによって断乳を果たしたのだそうです!

そっか~

本当に間黒男が母の乳首を食いちぎったわけではなかったのです。よかった~~
トカゲの尻尾と違って人間の乳首に再生機能はないですからね。大変なことです。

当時は悲痛に聞こえていた母の
「痛いッ、痛い・・・!」
も実際には
「いたーい(笑)、いたーい(棒)」
だったのだでしょう。

とはいえあの断乳は、幼い子供にはかなりのインパクトを持つものでした。自分の親が訳もわからず痛みを訴え悶え続ける……子供にとってこれより恐ろしいことってあるのでしょうか?

断乳から年月が経った今でもその記憶は鮮明で、忘れがたい幼少の記憶の一つになっています。
その時の母が着ていた、茶色とピンクと緑の柄生地がパッチワークされた「ゲロで作った縷〇夢兎」みたいな前開きのカーディガンを特によく覚えています……っていうか 今も母はそれを着ている(物持ちが良すぎる)のでその服を見るたびに断乳の記憶がよみがえるワケで、なんとも言えない気持ち😾

断乳のほかの方法としては、絆創膏で乳首に貼ったり、おっぱいにマジックでアンパンマンやドラえもんをでかでかと描いたりして、『これはもうおっぱいじゃないのwwwあなたの知っているおっぱいはもう消えたのよwww?』とおっぱい消失幻覚を見せる断乳方法もあるのだそう。

いずれの方法にせよ、そうして、断乳された赤ちゃんは
『しょか…おっぱい消えたのか…シュン』
と現実を受け止め、離乳食を、やがては大人の食事を食べられるようになるのです

 


 
今回のサムネは激マブ碇シンジの赤ちゃん時代のアルバムから拝借いたしました! 愛しすぎ。
さよなら!
 
 
 

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