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「稼ぐ」ってなんだろう?その1

みほです。

「お金ほしい・・・!」

ってずっとずっと思ってたんだけどね

もう夜行バスで帰省するのも
誰かと食事に行って
「今割り勘でいくら?」って
気にしながら食べるのも
電車代浮かせるために
周り道するのも
買いたい本を先送りにするのも
プレゼント代をけちるのも
全部全部嫌だ

って思ってた
はずだったんだけど

わたしのなかの何が
稼ぐのを止めてるんだろう?
わたしのなかに
どんな前提があるんだろう?

というのを
掘り掘りする機会を
いただきました

ざっくり言うと2つ見つかって

1つは
「お金は苦労して稼ぐもの」
だという前提。

いただくお給料は
汗水流してはたらいた対価。
我慢代。
時間の切り売り。

どこかで
自分でも意識できないくらい
深いところで
そんなふうに捉えていたから

まー稼がないよね。

稼ぐ=辛い、苦しい

なんだもん。
じゃあ、稼がなくていっか
ってなる。
辛い、苦しいくらいなら
稼げない方がマシ。

そんな前提があったからか
前職で、周りより負担の
少ない部署にいたとき

「みんなと同じ給料をもらって
 いいのだろうか」
(いや、よくない)
「みんなと同じくらい頑張らなければ」
「みんなと同じくらい苦労しなければ」
「みんな以上に成長しなければ」
(もらう価値が、ない)

気づいたら
「わたしは役立たずだ」
「わたしは無能だ」
「わたしは期待されていない」
と思い込んで
勝手に病んでた

周りより負担が少なくたって
楽だって
「ラッキー♪」で
よかったのに。

負担が少ないのではなく、
自分の適性にあった部署に
置いてもらっていたのに。

もう1つは
「わたしが無邪気に経済活動をすると
 誰かが困ってしまう」

小さい頃から
好奇心が旺盛で
なんでもやってみたかった
なんでもやってみたがった

今でもそう
物欲はそんなにないけれど
経験欲が強くて
良くも悪くも
「面白そう!」って思ったものに
直感で飛び込むのが得意

小さい頃はできる範囲で
親は挑戦させてくれたけど

大きくなるにつれて
そのために親が
我慢してくれていたこと
はらってくれていた犠牲
に気がついて

親の愛よりも
申し訳なさを感じると同時に
自分の浅慮や無邪気さに
嫌気がさした

社会人3年目くらいに
親の年収を超えてしまったとき

「え、この金額で養ってくれてたの?」
「わたしまだまだぺーぺーなのに」
「こんなにもらっていいはずがない」
「親より全然頑張ってない」

稼ぐ=罪悪感

じゃあ、稼がなくていっか
ってなる。
罪悪感を抱くくらいなら
稼げない方がマシ。

結果、「ちゃんと」
親の年収より低い会社に転職。笑

まとめると
わたしにとって

稼ぐ=辛い、苦しい、罪悪感


そりゃあ、どれだけ
「お金ほしい・・・!」
って心から思ったふりをしても。
全力でブレーキ踏んでるんだから
稼げるわけがない。

「わたしは、こんなもんでいい」
「身の丈にあった生活を・・・」
「お金だけが幸せじゃない」
「お金がなくても幸せ」

なんて自分に言い聞かせて。

続く

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