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境界線ってなんだろう?(第30回ダイヤモンドの知恵)

みほです。

引っ越し前日ですが、
しかも”構ってちゃん”を発揮して
「明後日引っ越しなのーーー」と
騒いだ翌日でしたが、

毎月参加している

ダイヤモンドの知恵

という勉強会に行ってきました。

「ダイヤモンドの知恵」という本に書かれた
チベット仏教の教えを
みんなでゆるく楽しく考える場。

わたしは第20回の頃から
出張以外のときは参加しているので
8回目か9回目(のはず)なんだけど
ダイヤモンドの知恵はまだ読んでいない←
(何か催眠とかおまじないとか
 疑うレベルで眠くなるw)

しかし今日は初参加の方が
読破していらっしゃって

境界線


というキーワードを
提示してくれた



『境界線』って聞くと
何を感じますか?

いいもの?
悪いもの?
当たり前にあるもの?
もしくは、ない?



わたしは・・・
普段エゴまみれで
生きているけれど

たまに
所属している組織や
会社で

自分だけのエゴや損得じゃなく
”組織の”、”会社”の
視点で動いたり考えたり
できたとき
境界線がうやむやになって
一体感を感じて
気持ちいいと思うときがある。

大自然に囲まれたり
ものすごく嬉しい経験が
あったとき
あーーーーー
この世界で生きられて
嬉しいなーーー
と思うとき
やっぱりちょっと
境界線はぼやけている気がする。



でも・・・
境界線がなかったら?
最初から1つだったら?

今日ずっと頭の中で
響いていた19の「すべてへ」の歌詞

「たとえどんなきつく
抱いたってひとつになど
なれないよ...なれないの...」
そんな君にいつか
云ったよね?
「だからキスができる」って

境界線があるから
ひとつじゃないから

相手が「わからない」経験
それでも「わかろうとする」経験
気持ちが通い合ったのを感じて
あったかくなること
傷つくこと傷つけること
それらを体験する喜び
自分や相手を愛おしく思うこと

わたしも
ひとつの一部だったとして
だけど、ただのひとつじゃ
できなかったことを
感じられるって
すごいことだと思う

ちょっと変かもしれないけれど
次の瞬間
息をしていることすら
保証されていないと
わたしは思っていて

だから
今息をしていること
確かに【わたしが】
思い、考え、感じること
って奇跡だと思う

この奇跡を
日々日々忘れて
悩んでみたり
苦しんでみたり
するけれど

それすらも
”体験”。

あぁ、引越し準備で
ちょっと眠くて
日本語が怪しくなってきました。

でも、こういうこと、
言葉以上のことを
言葉にして考える
分かち合うって
すっごい楽しい

境界線

分離と一体感について。

もっともっと
いろんな視点から
いろんな角度から
掘って深めて広げていけたら
と思いました


みほ

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