見出し画像

究極のBE GIVEN

月に1回のペースで
GBGGという学びの場に参加している

GBGG(Give and be Given Group)は

①Take & Give
②Give & Take
③Give & be Given
④Give & Give

の④を目指していきたいけれど
わたしたち煩悩もあるし
いきなり④は
ちょっとハードル高いから
まずは③を目指してみませんか?
という場

今回は久しぶりに主催の織恵さんが
ファシリテーターを務めてくださって
(※最近は参加者の立候補制)
参加者さんもいつもの倍近く
にぎやかな会だった

③のGive and be Givenに
犠牲ベースではなく
喜びベースでいくには?

グループに分かれて話し合った

今回わたしにとって
特に印象的だったのは3つ

■時間は有限じゃない

わたしはよく(最近特によく)
「わたしの時間が奪われた!」
とぷんすか腹を立てているけれど

もし時間が有限じゃないとしたら?
命に終わりがないとしたら?
奪われることがないとしたら?

ある参加者さんが
「心の奥がふるえる時間、それだけでいい」
と言っていて

そっか、命に終わりがなくて
想いが回り続けるとしたら?

その前提で生きたら
心の奥がふるえる時間を
ただただ追い求めて生きられたら
すごく豊かじゃないか??
と思った

■傷つくのもわかっていれば大丈夫

手元にペットボトルの水があって。

自分がめちゃくちゃ喉渇いていたり
命がけで手に入れた水だったら
誰にもあげたくないけれど

近くにも自動販売機や水道があって
自由にそれらを使えるなら
誰かに水をあげるのは余裕

「このくらいなら大丈夫」
「このくらいならあげられる」
っていうのは
自分の余裕具合、満たされ具合に
よるのではないか。

そして、
だとしたら。

「これくらいなら
 傷ついても大丈夫」
って知ってたら。


傷ついても
あげられるんじゃないか。

というのが衝撃だった。

水は分かるけど。
そっか、たしかに。。。
傷つくのも
どれくらい痛いか
どれくらいならかすり傷か
知ってたら、あげられるのか。

お、おぉう(←抵抗)

■命だって、与えられてるものじゃん?

GBGGのことを反芻しながら
会社に向かって歩いていたとき
ふと

あれ?
この世に生まれてきたこと
それ自体が
ものすごーーーーーく
与えられているのでは??

『この世界をあげるから
 好きに使って
 好きに遊んでいいよー』

と、ディズニーのような
テーマパークとアトラクションを
をまるごとプレゼントされたような

感覚に
とらわれた


出会う人も
感じる気持ちも
経験することも
すべて
ある意味
暴力的なくらいにどーん!と
与えられている

究極のBE GIVEN

世界が用意されている
世界が与えられている

生まれた恩を
死ぬまでに返しきれるだろうか?
返すなんて考えが
おこがましいのだろうか?

まだ未熟だから
すぐに「会社ぽんこつーーー!」とか
きーーー!ってなっちゃうけど(笑)

無理やり与えられた世界で
息してるだけで辛かったのに
いきなり与えてもらった世界で
息してるだけで幸せだなんて

一瞬でも
体感できるなんて。

こんな喜びがあるから
どれだけ仕事が忙しくても
多少無理して休んででも
わたしはGBGGに行くんだなぁ・・・
と思ったのでした。

美保

次回のGBGGは2021年1月21日(木)10:30~@赤坂です
https://www.reservestock.jp/events/513579/MWJmZDg4MjlhZDE4ZjBhZGVjM/ZTk5YzQ4YWJhODNlY2EyYTdmN

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?