立花孝志は国民主権の申し子である





エリートたちが住む都市からコミュニズム(共産主義)は発生し、自主独立を尊ぶ農村からポピュリズムは発生する。

by平安和気


①任侠政治
②国民主権
③直接民主制
④終わりに





①任侠政治


結論から言えば、立花孝志氏はポピュリストである。正統なるポピュリストである。


ポピュリズムは多義的な言葉と成り果てたが(左派ポピュリズムとか)、ポピュリズムとは本来「農村」から発生する。田舎と言っても良い。


田舎にある古き良き道徳的価値観を中心に、ポピュリズムは沸き起こる。そして都市に住む腐敗したエリートたちに対して怒りが徐々に民衆に伝播していく。

ポピュリズムが発生する時は都市に住む権力を握るエリートたちが腐敗した時だ。この時、いったい誰が体を張って権力を握る腐敗したエリートたちと対峙できるのであろうか?国民か?野党か?高学歴の坊っちゃんたちか?


任侠である。任侠に燃えた人間が腐敗したエリートたちに体を張って対峙する。


ポピュリズムを分かりやすく説明するなら、任侠政治だ。日本なら義理や人情や筋などの古き良き道徳的価値観を中心に政治活動をする。


ポピュリズムは、草の根やどぶ板選挙という言葉通り、泥臭さを肯定する思想だ。何処までも何処までも泥臭い思想だ。



任侠(ヤクザすれすれ)であるポピュリストは、敵対するエリートたちには口調が悪く下品で高圧的態度を示すが、善良な民衆には牙を向かない。

堅気を大切にする古き良き任侠が選挙によって選ばれたのがポピュリストです。選挙によって選ばれることが非常に重要です。


都市に住む高学歴の「坊ちゃん」たちは、ポピュリストとは肌が合わず大嫌いだろう。「純粋培養」された高学歴の「坊ちゃん」連中に、権力を握るエリートと対峙できる訳が無いし、むしろお仲間だろう。


日本は学歴社会であり学閥社会でもあるから、エリートたちによるお互い様により、権力の腐敗を招く。日本以外の国でも似たような話です。


任侠であるポピュリストは高学歴の坊ちゃん連中も含めて、腐敗した既得権益を破壊するだろう。人情と筋を通さないエリートたちこそ、民衆の敵だから。


だが、情と筋を通す高学歴の坊ちゃんには、たぶん優しくすると思う。反省もしているし、これ以上圧力をかけて虐めたら可哀想だ、的に。このバランス感覚こそがポピュリズムの神髄だ。義理人情です。



②国民主権


国民主権という「模範解答」は日本の多くの国民が共有しているだろうが、大半は「建前」でしか信じていない。


選挙での絶望的な得票率を見て、国民主権が機能していると考えている国民はもう居ないだろう。知的な人間だけが、念仏の様に「国民主権」「国民主権」と唱えるだけだ。


しかし、この国民主権を「妄信」している人間たちがいる。それがポピュリストだ。


本物のポピュリストは「筋」を大切にするから、本気で国民主権を妄信している。国民の信託を受けて代表になるのが政治家だと、本気で国民主権を妄信している。


もちろん国民の信託を受けなければ潔く政治家を辞めるのも、ポピュリストの特徴だ。


ポピュリストは、真面目に生きる善良な民衆の判断こそが、最も価値のある存在だと考えている。おそらく多数の専制すら恐れていないだろう。善良な民衆の判断に専制など存在しない、とすら考えていると思う。


人類の歴史上、少数の専制は存在したが、多数の専制は存在したことは無い。全てフィクションによる被害妄想か民衆蔑視つまりエリート主義でしか無い。


建前となった国民主権を、生きる国民主権に蘇らせるのがポピュリズムである。そもそも国民主権は民主制から生まれた訳ではなく、ポピュリズムから生まれた。


元々民主制は、主権者を選挙権がある市民が選ぶ「制度」論でしか無かった。その対となるのが神権制で、主権者は神が選ぶ「制度」論があった。王権神授説ね。


それがいつの間にか、国民という主権者が代表者を選ぶ「制度」の話になった。価値観が大きく変わった。

この価値観を大きく変えたのがポピュリズムつまり「人民こそが主権者である」という思想です。


国民主権とは言葉通り反エリート主権であり、ポピュリズムそのモノです。都市部でコミュニズムが発生したと同時期に、農村でポピュリズムが発生したんです。


農業奴隷だった農民たちが解放されたが、エリートに騙され資本家の労働奴隷の労働者になったことに怒った元農民奴隷たちが「我らこそが主権者である」と主張し始めたんです。ポピュリズムは、そこから始まったんです。



③直接民主制


ポピュリストは国民主権を妄信してますから、やっぱり直接民主制を主張するんですよね。


国民主権とは直接民主制なんですよ。もちろん程度問題やシステムの問題もありますけど、立花孝志氏が現在作っている直接民主制のシステムは、たぶん世界中で絶賛されると思いますよ。


ワン・イシュー以外は、議論を踏まえた上でネットのアンケートにより党議拘束をするシステム。立花孝志氏は制度論の天才だと思う。おそらく世界中の政治家が真似をするでしょうね。


なぜか?真似をしない政治家は、国民主権に反し選挙に勝てなくなります。主権者たちの声を無視する政治家は全滅するでしょうね。


ワン・イシューで思い出しましたが、おそらく立花孝志氏は二大政党制を否定していると思います。直接民主制だとキャスティング・ボード政治に成らざるを得ないと思いますし、野党はキャスティング・ボード政治で良いんですよ。


野党が二大政党制を目指して(政権交代)、自民党を真似て出来もしない政策をパッケージする政党なので、選挙で勝てないんですよ。劣化自民党でしか無いんです。


その点、N国党はワン・イシューで「政治家」が集まり、非常に結束力の高いのに柔軟な政党だと思いますね。野党の様な野合政党にはならないと思います。


おそらくN国党に集まる支持者たちは、国民主権の妄信者たちになるでしょうから、現在の野党の大半は消滅する可能性が高いですね。N国に吸収されると思います。


話が少し変わりますが、現在の日本の政治の弱点というか腐敗の原因は、様々なイシューに党議拘束をガチガチに固めて、議員の柔軟性を阻害している点だと思うんですよね。


昔の自民党の派閥政治の方が政治的柔軟性があったと思いますし、議員の自由性・自主性は現在よりも在ったと思います。


現在は党の執行部の権力が平議員よりも強すぎると思いますし、政治家の権力格差が広がった気がしますね。


④終わりに


本当は二瓶氏の問題を取り上げてたんですが、なんか立花氏と二瓶氏が和解しそうな雰囲気だったので、文章の大半を削除しました。


私が二瓶問題で立花氏に思ったの、立花氏は責任感が強すぎる、という点ですね。必要以上の責任感を背負い過ぎです。そこが立花氏の人間としての魅力だとは思いますが、逆に心配になりますね。



現在の立花氏の戦略は、知名度重視(炎上商法)で、そこから支持者を増やす戦略の様です。


ご本人も「知名度重視の炎上商法です」とハッキリと述べてますから、フンガー!してるTwitterの言論アカは「立花氏の掌の上で転がされている」ことは理解された方が良いかと思います。


立花氏に対する敵対的戦略は「徹底的な無視」ですよ。でも立花氏の方が何倍も上手でしょうから、炎上商法により知名度が上昇し、そこから支持者を増やして行くでしょうね。


炎上商法のクロージングが次の選挙の候補者たちでしょうし、ゆっくりと現代のキングメーカー(田中角栄の再来)である立花孝志氏を見守りたいと思います。

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