平安と和気に関する詩篇

第一章 大和への信仰(公平原理への信仰)

1:1 我らを司る知性への信仰において

1:2 知性の源流、全体である大和にこそ我らの称讃あれ

1:3 慈悲と敬愛を司る大いなる和よ

1:4 最後のその日まで我らを加護したまえ。

1:5 我らは大いなる和にのみ仕え、大いなる和にのみ御助けを請い願う。

1:6 大いなる和よ、我らを正しき道に導きたまえ

1:7 悪徳たる傲慢と嫉妬に迷える人々を、善良なる慈悲と敬愛へと正しく導きたまえ

1:8 我らは大いなる和にのみ信仰する

1:9 我らの信仰は自由なり、信ずる存在を信ぜよ

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第二章 公平を愛する者、平等を愛する者

2:1 大いなる和、それは公平原理である

2:2 公平原理こそは、疑いの余地のない真理である。公平原理の中には、心の平安と共同体の和気を讃える者たちへの導きがある

2:3 心の平安と共同体の和気を讃える者たちとは、魂の実在性を信じ、己の使命を務め守り、また大和から流れ出る知恵を実践する者なり

2:4 また大いなる和が我々に指し示した正道だと信じ、また大いなる和が先人に指し示した正道だと信じ、また大いなる和が後世を指し示めす正道なりと堅く信じる者たちである。

2:5 心の平安と共同体の和気を讃える者たちは、大いなる和から正しく導かれた者であり、また大地の幸福と繁栄を享受する者なり

2:6 大和つまり公平原理への信仰を心から拒絶する者は、我々が警句を与えても、また我々が警句を与えてなくても同じで、大和を頑固に信じようとはしないであろう。なんと愚かな生き方よ

2:7 大和に対する無知なる者は、平等原理から導かれた者であり、傲慢と嫉妬に堅く囚われ、また大地の不幸と衰退を享受する者なり。なんと愚かな生き方よ

2:8 また平等原理を崇める者の中には「我々は大いなる和を信じ、心の平安と共同体の和気を信じ讃える」と言う者がいる。だが彼ら偽善者は大和への信徒ではない。なんと愚かな生き方よ

2:9 平等原理を崇める偽善者は、大和を信仰する者たちを欺こうとしている。実際は自分自身の魂を欺いているのに過ぎないのだが、傲慢と嫉妬に囚われた彼らはそれに気付くことは決して無い。なんと愚かな生き方よ

2:10 平等原理を崇める者の心には病が宿っている。公平原理は、その心の病を重くする。偽りの信仰のために、平等原理を崇める者には最後の日に手痛い理不尽が下されよう。なんと愚かな生き方よ

2:11 「放縦を崇める者よ、社会と共同体を退廃させてはならない。秩序と節度を求めよ」と我々が警告を与えても、彼ら平等原理を崇める者は「俺たちは社会と共同体をより良く矯正するだけだ」と言う。なんと愚かな生き方よ

2:12 本当に彼ら平等と放縦を崇める者たちは、軽薄に社会と共同体を退廃へと導く者たちである。だが傲慢と嫉妬に堅く囚われた彼らはそれに気付くことは決して無い。なんと愚かな生き方よ

2:13 「心に平安と共同体に和気が訪れるように、大和から流れ出る知恵を実践しなさい」と我々が警句を与えても、平等を崇める者は「賢者たる俺たちが愚か者の知恵を実践して幸福になれると、なぜ信じられようか?」と言う。本当に彼らは傲慢と嫉妬に堅く囚われた愚か者である。だが彼らはそれに気付くことは決して無い。なんと愚かな生き方よ

2:14 偽善者は大和を讃える者に会えば「俺たちも大和を信仰している」と言う。だが偽善者たちが仲間である平等原理を崇める者たちだけになると「俺たちは本当はお前たちと一緒なのだ。俺たちは只、大和を讃える愚か者を愚弄していただけだ」と言う。なんと愚かな生き方よ

2:15 だが公平原理は、このような軽薄な連中の人生を理不尽に裁き、慈悲と敬愛に対して不信心のままに放置し、傲慢と嫉妬の迷宮へと彷徨わさせる。なんと愚かな生き方よ

2:16 平等を崇める者は人生の導きの代わりに迷宮で彷徨うことになり、また傲慢と嫉妬に彩られた人生に価値など無く、また最後の日が近付くにつれ生きた証は無となり、また決して善良なる慈悲と敬愛に至る正しい道へと導かれることは決して無い。なんと愚かな生き方よ

2:17 平等を崇める者を譬えれば、世界は光で溢れているのにも関わらず、自ら底無しの暗闇の迷宮へと赴き、自らの手で火を灯し、偽りの光を己の誇りと崇める者である。しかしながら公平原理は時と共に偽りの光を消し去り、平等を崇める者たちを暗闇の迷宮へと取り残す。平等を崇める者には光が無く、何か価値あるモノを見ることは決して無い。なんと愚かな生き方よ

2:18 導きの光無き暗闇の迷宮の中では、平等を崇める者たちは光ある世界へ引き返すことすらも出来ないであろう。なんと愚かな生き方よ

2:19 また譬えば暗闇の迷宮の中では、傲慢と嫉妬に囚われた囚人たちが互いに対立し、不信と不信の中で喧騒し、心は常に荒れ狂い、共同体は無秩序に引き裂かれ、終焉の無が徐々に近付いてくる。終焉の無を恐れ、目を閉じ、耳を塞ぎ、口を噤もうが、暗闇の迷宮の中では導きの光が訪れることは無い。平等を崇める者たちは暗闇の迷宮を理不尽に取り囲んでいる公平原理に気が付くことは決して無い。なんと愚かな生き方よ

2:20 欲望は平等を崇める者たちの視覚を奪わんばかりである。平等を崇める者は欲望が疼く度に暗闇の迷宮で歩みを進めるが、欲望に満足し飽きれば直ぐに立ち止まり、己が目的の方向を見失う。もしも平等原理を望むのならば、平等を崇める者たち同様に聴覚も視覚も生きる目的すらも必ず奪われる。暗闇の迷宮で欲望に従い彷徨い歩くことが平等を崇める者たちの幸福ゆえに。なんと愚かな生き方よ


2:21 思慮深く知恵ある民衆たちよ。そちたちは世界から祝福を与えられて生まれてきたのだ。またそちたちの祖先も世界から祝福されて生まれてきたのだ。またそちたちの子孫も世界から祝福されて生まれてくるのだ。大いなる和に仕えよ。さすれば迷妄なる平等から生まれる傲慢と嫉妬からその身を守るであろう

2:22 この世界は大いなる和により成り立っており、我々人類に大地を臥所とし、また大空を天蓋とし、また天から雨を降らせ、また人類のための糧として種々の果実を実らせ、また血と肉の糧である種々の動物を育む。全ては循環している。だから我々は公平原理という大いなる真理を知った上で、唯一なる原理である大和の外に同じような偉大なる原理があるなどと信じてはならない。平等原理は、叡知を持って断ち切るべき迷妄である。

2:23 もし貴方が大いなる和と公平原理を疑うならば、大和と公平原理以外の原理原則でも作ってみなさい。もし貴方の作った原理原則が正しければ、社会と共同体は繁栄するだろう。しかし社会と共同体が衰退しているなら、貴方の原理原則は軽薄で傲慢な偽善でしか無い。我々は真理と共に思慮深く生きる。貴方は傲慢と嫉妬そして衰退を招く暗闇の迷宮で生きなさい。我々も貴方も自由だ。公平原理により理不尽に結果は下される。

2:24 もし貴方が繁栄に導く原理原則を作れないなら、もちろん作れるはずもないのだが、それならば傲慢と嫉妬を原動力とする平等の迷宮を理解しなさい。それは大いなる和を理解できない軽薄で傲慢なる人間のために用意されている。我々の人生では無い。貴方の人生だ。好きに生きなさい。

2:25 大いなる和を理解し、そして公平原理から流れ出る知恵を実践する者たちには、心の平安と共同体の和気が訪れる祝福を伝えなさい。我々は大いなる和による楽園にて、日々の新たに創生される成果物を得られる度に「これは我々共同体が成し遂げた成果である。傲慢と嫉妬に囚われた個人の成果物では無い。思慮深く生きた我々の成果物だ」と言う。魂は輪廻する。輪廻の永遠の中で、我々は生きている。死を恐れるな。我々はまた祝福された世界に生まれて来るのだ。

2:26 大いなる和も公平原理も、我々人類が知性により導き出した言語的比喩にしか過ぎない。言の葉の深遠を理解する者はそれが真理を現した言葉であることを知る。だが平等を崇める者は「大いなる和は妄想でしか無い。単なる言葉、文字や音、いや迷妄でしか無い。大いなる和なり公平原理なりが存在するなら、俺の目の前に出してみろ。経験と実験だけが真実だ」と言う。平等を崇める者は、このように知性で判断せず、肉体のみで判断する。平等を崇める者は、多くの者を傲慢と嫉妬、そして欲望に任せ、また多くの者を暗闇の迷宮へと導く。平等を崇める者は魂の実在性を否定し、ゆえに肉体で捉えられる存在だけが真実である。ゆえに快楽と不快だけが平等を崇める者の真実となる。それは知性を否定した動物そのモノの姿である。なんと愚かな生き方よ

2:27 大いなる和を理解しておきながら、公平原理から流れ出る知恵を実践しない者は、公平原理により理不尽に結果が下される。公平原理は偽善を決して許さない。大いなる和を愛する我々を騙せても、公平原理そのモノを騙すことは決して出来ない。天下で悪と偽善を行う者は等しく公平原理により理不尽に結果を下され、衰退を享受する。驕れる盛者は必衰する。それが真理であり公平原理である。

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