楽しむということ

チュソクなのに、明日、締め切りが…というなんだかスケジュールミスってしまったよね…アハハ、という状況だが、明日以降も連休はまだ続くのでよしとする。
体は疲れるのでちょこちょこ休むが、集中力はすごい。
かつてない集中力とひらめきで、自分でも驚く。
そんな中でも朝のコーヒータイムと散歩は死守すると決めている。
数年間は子育てでも人間関係でも仕事でも、何とか「こなす」ので必死で、「楽しむ」というよりはストレスを解消する日々、だったとしたら、今は完全に「どうやったら楽しめるか」ということしか考えていない。
そうか「どうやったら楽しめるか必死で考える」ということが人生を創造していく、第一歩やな、と今更ながら思う。
物質的な状況としては、数年前のほうがお金もたくさん稼いでいたし、マイホームもあったし、仕事もたくさんしていた。
でも、すべて自分で作り出している、自己責任ということを徹底的にふに落とし、余計なものをそぎ落としていくと、本当に必要なものだけが残り、本当に必要なものだけがある状態なので、今、必要なものは何か、ということが見えやすくなる。
人はたぶん、余計なたくさんのことをしすぎなのだ。
そこにエネルギーを注ぎすぎるから、人生の迷子になるのだ。
オールマイティーじゃなくてもいいのだ。
できることにオールインしてみればいいのだ。
本当にやりたければ、手に入れたければ、
なりふりかまわずやってみればよいのだ。
自分のために、捨てる、という選択もしれみればよいのだ。
その上で、何かを選び直しても、全然いいのだ。
なりふりかまわずやらなくていいや、と思うのなら、
今の人生でも幸せなのだから、
今いるところでできることを探せばよいのだ。

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