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笠原弘子「遠い夏の休日」は寝ながら泣いていたのです

笠原弘子「遠い夏の休日」(作詞作曲:保立稔)は同名ミニアルバムの収録曲なのです。

黄昏時の西風が すがすがしい街で
もう君とキスもしなくなった デートの約束もしてない

君と話をしなくなって 淋しくなったけど
深呼吸をしたら天井が 高くなった気がした

さわやかな少年ぶって 髪も短く切って涼しげ
パイナップル模様のシャツも着た

Baby, Baby 二度と
ここへは戻ってこない
Baby, Baby 君の
においが残っているから
でもここを一番 好きな場所にする

思えば僕らが遠出を するときにはいつも
雨に降られてばかりだった 遠い夏の休日

ひとつの傘で歩いたり 信号待ち頬にキスしたり
思い出が雨にも 流れない

Baby, Baby 二度と
ここへは戻ってこない
Baby, Baby 君の
においが残っているから

乾ききらないTシャツを着て
約束の場所へ駆け出して
それでも遅れて 頬をつねられたりもした

Baby, Baby 君は
まるでにわか雨のように
Baby, Baby 僕の
心少し湿らせて
心地よいほどに 淋しくさせてく

Baby, Baby 二度と
ここへは戻ってこない
Baby, Baby 君の
においが残ってるから
でもここを一番 好きな場所にする

💛

上から順に見ていくのです。

黄昏時の西風が すがすがしい街で

西風がすがすがしいのだから、雨は降っていないのです。

もう君とキスもしなくなった デートの約束もしてない

あとで出てくるが、自分は「僕」なのでたぶん男の子、「君」は女の子なのです。二人はつきあっていたのです。

君と話をしなくなって 淋しくなったけど

しかしどうやら別れたようなのです。

深呼吸をしたら天井が 高くなった気がした

仰向けに寝ていたのです。深呼吸で落ち着き、立体感が増すのは科学的事実なのです。ということは深呼吸するまでは落ち着いていなかったのです。

さわやかな少年ぶって 髪も短く切って涼しげ
パイナップル模様のシャツも着た

あとでわかるが「僕」が来ていたのは「Tシャツ」なので、これは「君」の姿のなのです。「さわやかな少年ぶって」だから「さわやか」か「少年」のどちらかは事実ではないのです。「君」は「少年」ではないが、おそらく「さわやか」でもないでしょう。女の子には珍しいくらいのベリーショートでしょうか。パイナップル模様のシャツもおそらく男性向けを着ていたのです。これも立派な「だまし」なのです。

Baby, Baby 二度と
ここへは戻ってこない
Baby, Baby 君の
においが残っているから
でもここを一番 好きな場所にする

「ここ」は最初の「街」でしょう。何度もデートした場所なのです。「戻ってこない」だから復縁するつもりもないのです。「街」が「西風がすがすがしい」ことを知っているのだから、物理的には戻ったことがあるのです。
「におい」は後述なのです。

思えば僕らが遠出を するときにはいつも
雨に降られてばかりだった 遠い夏の休日

「雨」はケンカの隠喩なのです。デートのたびに二人はケンカしていたのです。「遠い夏の休日」の「遠い」は遠い過去のことではないのです。暑さがひいて「すがすがし」くなった、つまり秋なのです。「夏」からはそう経っていないのです。「遠い」は心理的なものなのです。

ひとつの傘で歩いたり 信号待ち頬にキスしたり
思い出が雨にも 流れない

アツアツだったのです。「ひとつの傘で歩いたり」は、一緒に雨=ケンカをしのぐのだから、仲直りなのです。「雨」はの隠喩でもあるのです。ケンカしても別れても、「思い出」は流れないのです。あえて思い出とことわるほどだから、キスしたのは「僕」ではなく「君」なのです。やっぱり「情熱的な女の子」であり「さわやかな少年」ではないのです。

Baby, Baby 二度と
ここへは戻ってこない
Baby, Baby 君の
においが残っているから

「におい」は普通は雨で流れるのです。なのでこれは隠喩なのですが、「におい」はしばしばくっきりとした記憶を呼び起こすのです。街に本物のにおいが残っているわけがないので、比喩的に「ここに戻ると現実感が呼び起こされる」という意味なのです。

乾ききらないTシャツを着て
約束の場所へ駆け出して
それでも遅れて 頬をつねられたりもした

「僕」は「シャツ」ではなく「Tシャツ」なのです。「乾ききらない」「駆け出して」だから、ケンカしたのでデートをさぼろうと思っていたが、やはり行くことにしたのです。「君」は「僕」よりケロッと機嫌を直していたということでしょう。

Baby, Baby 君は
まるでにわか雨のように
Baby, Baby 僕の
心少し湿らせて
心地よいほどに 淋しくさせてく

「にわか雨」は激しいがすぐに止むのです。フラれてベッドで泣いていたが泣き止んだという話なのです。「遠い夏の休日」もなにも、涼しくなった頃に別れ、その直後なのです。

💛

結局この歌は

深呼吸をしたら天井が 高くなった気がした

深呼吸して泣き止んで、「君」のことを嫌ったり忘れたりするかわりに思い出にしたのです。

君と話をしなくなって 淋しくなったけど

心地よいほどに 淋しくさせてく

ケンカばかりしていた気分屋の彼女も、今となっては愛着だけが残ったのです。「僕」は「ここ」をノスタルジーの対象にしたのでしょう。失った祖国や戻れない場所ほどノスタルジーを感じるものですが、その代償が「淋しく」なのです。

ひとつの傘で歩いたり 信号待ち頬にキスしたり

でもここを一番 好きな場所にする

もとは「君=愛着+行為」だったのですが、行為が「心」の「思い出=イメージ」と「場所」の「におい=現実感」に分割されてしまい、「君=愛着+イメージ」「場所=愛着+現実感」になったのです。「君」がいるのが「場所」という現実から「心」という夢の中になったのですが、現実感は夢には持ち込めないから「場所」に置いてこざるをえず、それが「淋しく」の原因なのです。「君」が去ったのが原因ではないのです。また愛着=「一番好き」なので、最初に戻すと「一番好きな女の子と行為をした」になるのです。「休日」のデートがキス止まりのわけがないのです。「心地よいほどに 淋しくさせてく」「でもここを一番 好きな場所にする」とかいろいろあるけど、もういいよね?

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