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やる気ゼロの『四畳半神話大系』シリーズまとめ

 フリーハンドで丸眼鏡描けるわけないだろ。

 はい、こんにちは。最近ちょっとずつ森見登美彦作品を読んでいるへどにです。サークルに入ってるわけでもなく小津のような悪友がいるパラレルワールドの存在も知りませんので、真に大きなカステラが似合う大学三年生かもしれません。数日前『四畳半タイムマシンブルース』を一読したので、簡単にアニメも含めたシリーズ全体の感想など書こうと思います。普通に重大なネタバレを含むので、未読未試聴の方はブラウザバック(初めて使ったぞ)を推奨します。あと、先日『黒牢城』で直木賞を受賞された米澤穂信先生の著作についてもちょっとだけネタバレがありますのでご注意を。
 ではさっそく本題に参りましょう。

1.アニメと小説の構成について

 小説『四畳半神話大系』では、1回生の「私」が所属団体を選択することによって分岐した4つの並行世界が描かれます。内訳はそれぞれ、映画サークル「みそぎ」、樋口師匠の弟子、ソフトボールサークル「ほんわか」、実態不明の団体「福猫飯店」です。対してアニメでは、団体に所属する世界を9パターン描いたのち、10話,最終回では無所属のまま2年を過ごす世界を描きます。最終話にかけて膨大な四畳半世界(パラレルワールド)が収束して「私」の前に現れるのは両媒体で変わりません。が、アニメの方がより連続的というか有機的なつくりになっています。小説ではどの世界でも、「私」はなんだかんだで小津と出会い、もちぐまを介して明石さんとも結ばれ、「成就した恋ほど語るに値しないものはない。」を含む一節が挿入されます。「私」が生み出す四畳半世界は、それぞれ無意義な学生生活を謳歌するものであり、言ってしまえば成功の積み重ねでした。対してアニメで明石さんとの恋が成就するのは最終話だけです。「私」は失敗と再試行を繰り返すことで膨大な四畳半世界を構築します。ここが小説とアニメとの大きな違いです。すげえ適当に図解します。

図A:小説の四畳半世界


 いかにも描き慣れてない文系っぽい図なのはご容赦ください。小説の方では並行世界がマジで並行しているので、横軸を時間、恋の成就をゴールとすると以上のような図になる、と思います。もっといい描き方があったら教えてください。


図B:アニメの四畳半世界

 対してアニメの方では、上述の通り失敗と再試行を繰り返した先にゴールである恋の成就が描かれます。「私」が占い料金の倍増や小津との会話のデジャヴに言及していることからも、アニメは並行世界でありながら、裏には「大きな時間」とでもいうような流れがあることがわかります。たぶん。10話までは時計を巻き戻す演出があることからも、大きく的を外れてはいないと思います。
 並行世界はそれぞれ完全に独立しているわけではなく、小説よりもつながりが明確です。毎週放送のテレビアニメという媒体を意識したのでしょうが、最終回の盛り上がりやオチも美しく、めっちゃ面白い再構成です。リゼロの死に戻りとかまどマギのほむらちゃんを彷彿させますね。
 大きな時間の流れがある以上、ゴールである恋の成就に至るにはなにかしらの転機が必要にもなります。何かが変わらないとまた再試行することになりますからね。この転機が無限の四畳半世界で、無為な学生生活を謳歌する「私」の無数の可能性を見ることでした。「責任者はどこか」といっても2年間四畳半にこもりきりの「私」には責任を擦り付けることのできる悪友すらいません。そこで四畳半世界の可能性から、別の「私」のそばにはどうやらいつも「小津」という人物の影があり、彼が「私」の学生生活を良くも悪くも豊かにしていることを読み取ります。まあ、責任者は他でもない「私」であることを自覚して、世界に向き直ることが鍵だったんですね。たぶん……。そのあとは小津や占い師の顔もリアル調に書き換わります。明らかに見え方がフェアになっていることがわかりますね。これは「聲の形」なんかに似ているなと思ったのでした。

 ちょっと脱線しますが、米澤穂信『ボトルネック』はパラレルワールドで違う可能性を目撃し、すんごい端的に言うと嫌気がさしちゃうお話だったので、起こっていることは似ている(あれは自分のいない世界を見るので同じではない)のに主人公の受け取り方は真逆です。おもしろい。

2.『四畳半タイムマシンブルース』と四畳半世界

 さて、手短ですが最新作『四畳半タイムマシンブルース』に話を移します。本作は『四畳半神話大系』が春であるのとは違って夏という季節設定ですが、四畳半世界の可能性のひとつであることは間違いありません。下鴨幽水荘の住人である樋口師匠を介してか、小津や明石さんと知り合っているのは小説『四畳半神話大系』と変わりありません。で、なんだかんだで明石さんと結ばれ、「成就した恋ほど~」の一節が挟まれるのも小説と同じで、だいたい上記の図Aに位置付けることができそうです。作中に「四畳半神話大系」が言及されていわゆるタイトル回収がはかられるのも、小説の正統な続編として粋な演出でした。
 が、アニメ化に際してはどのように位置づけられるのでしょうか。上記図Bの通り、アニメでは失敗と再試行が繰り返され、恋の成就に至ったのは最終回の「私」だけでした。ですから、四畳半世界に閉じ込められるでもなく恋を成就させた『四畳半タイムマシンブルース』を同じ軸で表すことはできません。以上のことをふまえて上記図A,Bを描き直すなら、以下のようになるでしょうか。

図A':小説の四畳半世界と『四畳半タイムマシンブルース』
図B':アニメの四畳半世界と『四畳半タイムマシンブルース』

 そんなこんなで考えていくと、a<bかつb<cならばa<c、みたいな要領で、『四畳半タイムマシンブルース』という項を使えば、図Aと図Bを一括して描き表し、四畳半世界の総体をうまく図にできる気がしてきます。以下のように。

図C:四畳半世界の総体

 どうでしょうか。矢印の一本が一つの可能性を表しています。「私」が80日間旅したのは、図示できなかったものまで含んだ無数の可能性が、四畳半間の形をとって現れたものだったのでしょう。
 アニメ4話なんかでは、四畳半世界を旅した「私」が残したと思しき千円札の山入りのリュックか出てきますが、これは11話の「私」とは別の「私」が残したものでしょう。11話の「私」はリュックを無くしていませんし、かき集めた資金を小津の手助けのために使おうとしていますから。たぶん図Cに描ききれなかった無数の可能性のなかには、四畳半世界を旅するもなんらかの形で千円札リュックを放棄した(あるいはせざるを得なかった)私がいたはずです。これこそ「でも、いささか、見るに堪えない。」って感じですね。

おわりに

 はい。というわけで、劇場公開も近い『四畳半タイムマシンブルース』のアニメ版ですが、テレビアニメ版とはまったく違う作りになりそうです。登場人物の振る舞いに小説との違いが出るかどうか、楽しみですね。力尽きたのでこの辺で筆を置こうと思います。今日読もうと思ってた小説がまだ4割くらい残ってる。


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