偶然と想像について

想像することによって現実の認識は変わる。
他者と出会うこと(別の名を与えるならば偶然)によっても現実の認識は変わる。
ただ、偶然と想像では現実の認識の変更の様式がやや異なる。
一つは、偶然には他者が必要とされること。
一つは、偶然には他者という強制力が働くということ。
一つは、偶然には現実を明らかな形で変える力があること。
偶然からいくつかの要素を削ぎ落とせば想像になるのかもしれない。
だからと言って、要素を削ぎ落とせば内容が貧しくなる、というわけでもない。
想像にしか及ばない領域は存在するのだ。
例えば『ルックバック』の扉と床の間に滑り込んだ想像。
その想像には他者から生まれる直接的な力は存在しない。
それでもその想像に意味がなかったのかと問われれば、そうではなく、むしろ想像という形式のみが有効であっただろう。
対象が死者であったから。
過去を変更するには想像を経由する必要があったから。
死者と過去、どちらも死と切り離せない。
偶然は生を、想像は死を基にして主体の未来を変えるものなのだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?