見出し画像

私たちは障害者にアールブリュットという「職業」を作りたい。

九度山の〈家〉アーキテクチャーの挑戦
ArTU『ケッソン・シューレ』

私たちは障害者にアールブリュットという「職業」を作りたい。


禅の中に、「用意ができたときに師は現われる」という教えがある。自分に準備がなければ、すべては無意味な存在でしかないということの意味である。

「復興の家」ー蒲生三丁目の家において、被災者、高齢者、障害者たちの手により、そのインスタレーションとしての作品のコンセクエンスが達成された。そして、次なる新たな風景として、「九度山」という地区が私たちの目の前に現れてきた。
私たちに用意が出来たことにより、新たな師が現れたのである。

それは、身体障害者の心の母と呼ばれている
「大石順教尼」という尼僧のことである。

日本のマザー・テレーザ、日本のヘレンケラーと呼ばれるこの無手の芸術家は一体どのような人間なのだろうか?今までその名前くらいしか知らなかったこの人物の凄まじい生き様に触発されて、私たちの新たな家と地区のインスタレーションによる芸術形象が始まった。


両腕を失った舞妓が絵師にー
順教にとっての「無手」、「無学」、「無財」


明治38年、養父中川萬次郎の狂刃により六人斬り事件に巻き込まれ、17歳の身で両腕を切り落とされ、筆を口にくわえ書画の世界へと入り、苦難の道を乗り越えて尼僧を志す。高野山での出家を目指してこの地へ来るも、当時の高野山へ入ることがなかなか許されなかった。その後、旧不動院・萱野夫婦が菩提親となり高野山天徳金山大僧正を師として得度した。その縁でしばしば九度山萱野邸にて過ごし、多くの書画をこの館に書き残している。
旧萱野家(大石順教尼の記念館)は、建物も非常に古く、貴重な九度山アーキテクチャーである。

記念館では、激烈な不運にもめげずに自分と障害者のために芸術の道を切り開いた芸術人生や、口に筆を加えて描いたとは思えないほど上手な雀や伊勢海老の墨絵の作品に感動する。
口で筆をくわえて文字を書くことを習得、身体障害者の社会進出の扉を開いたという。九度山町の旧萱野家の当主らの支援を受けながら高野山で出家得度、身体障害者の自立支援に生涯を捧げ、独特の書画を描いたという。


九度山を愛した、日本のマザー・テレーザ 
大石順教尼


大石順教尼の最後の肉声が、本人の葬儀で流された。

「人に甘えて「私にはできない、やれない」と言っている人は、体は健全であり成長していても、心の障害者である。体の障害はいたし方ないけれども、心の障害者になってはならない。

障害の人たちに、どうぞ明るく、楽しく、強く、そして自分に与えられた職業だけを、
全うして頂きたいと思います。

私は両方の手がなくなったことが非常な幸せになりました。では、さようなら。」
と、淡々とした言葉で結んだ。

生前、順教尼は自分を育んでくれた三つの宝として、「無手」、「無学」、「無財」であると言っている。「落されし腕は高野の霧の中」、高野山奥の院には順教尼のお墓と腕を失った人の腕を祀る腕塚がある。

旧萱野家(大石順教尼の記念館)は、建物も非常に古く、貴重な九度山アーキテクチャーである。記念館では、激烈な不運にもめげずに自分と障害者のために芸術の道を切り開いた順教の芸術人生や、口に筆を加えて描いたとは思えないほど上手な雀や伊勢海老の墨絵の作品に感動する。

口で筆をくわえて文字を書くことを習得、身体障害者の社会進出の扉を開いたという。九度山町の旧萱野家の当主らの支援を受けながら高野山で出家得度、身体障害者の自立支援に生涯を捧げ、独特の書画を描いた。


ArTU『ケッソン・シューレ』ー
障害者と一緒に『新しい日本の美しさ』を作り出していく


私たちは障害者にアートという「職業」を作りたい。

この国では、あたかも現代アートがアール・ブリュットよりも高位にあるような錯覚の中で、技術偏重の意味のない教育サポートが行われている。しかし、残念ながら日本の社会においては、西欧のような現代アートのマーケットは将来に見渡しても存在することはない。

現代アートでは、高く売るためだったり、伝えたいメッセージだったり、意図的なものや恣意的なものがどこかに必ず入ってくる。予定調和的なコラボレーションにおいては、意図されたもの、作為的なものにしてしまうことが多いように思える。こういうとき一旦、意図的に、スタートとゴールの部分をばっさりと切り取り、プロセスを自律的に浮かび上がらせそしてプロセスの中にある偶然性、即興性、意外性を受け止めることにより無意識に隠蔽している大切なものが浮上させる。

現在行われている自立支援に向けてのアート活動の在り方は、極めて教条主義での形式的で硬直的な取り組みが続いている。行政などにおいて現在展開されているアートを活かした障害者の就労支援に向けた取組みは、圏内に多く存在する優れた才能を発掘して、「現代アート」としての評価を行い、広く一般の方に作品を知ってもらうため、公募展や企画展などだが、行政の支援を得るためにはその活動内容は表層的な形式主義の似たりよったりの活動にならざるを得ないのである。

重要なのは、日常的な「生産」とどう関わるかである。つまり、コモディティの存在である。
障害者の自立支援やインキュベーションを考えるとき、一点30万円の作品のアート作家を目指すことは、決して無謀であるとも悪いことだとも言えない。しかし、重要なのは1日5000円の収入を持続可能にする職業としてのアートとコモディティの統合された生産活動である。

ケッソンシューレにおける造形活動の終局目的は「雑貨=コモディティ」の生産である。「雑貨」とは、生活コモディティ表現の〝断片〟であり、小芸術、小建築、小工芸の概念である。

「雑貨」というコンテクストにおいては、熟練の匠の技による工芸も、子供の工作も芸術の可能性においては全く同じ、だれでも勝つ可能性があるっていうのが、「雑貨」の面白さなのである。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?