「コロナ均衡」ー新型コロナは一つの「理念」である。❸新型コロナは一つの「理念」である。


画像1

         「コロナ均衡」ー新型コロナは一つの「理念」である。


❸新型コロナは一つの「理念」である。


人類は、大きさの存在しない「質点」に大きさを与えることにより、ウイルスの「理念」を勝手に膨らませ、自ら霧の中に迷い込んでしまっている。
新型コロナの「理念」は、人類社会に「均衡」を呼び起こすことにより、宿主との共存を図ろうとしている。
このウイルスはとても賢い。症状が出る二日くらい前からひっそりと人にうつすことができる。ほとんどの人間は、重症化せずに治っていく。新型コロナは、乗り物をうまく乗り継いで、生かさず殺さず、人類と共存する気が満々である。

ウイルスにボールを投げると、ボールは、また戻ってくる。人間は無意識のうちに、ウイルスのこの「返球」におけるエネルギーの動機の背後に、何かしらの「意思」の存在を求めて、ウイルス像を勝手に膨らませ、ウイルスの全体像を見失い、自ら霧の中に迷い込んでしまっている。        
ウイルスは自分の「意思」を持って、人間の体内で次から次へと細胞に侵入し、グループをつくっていくように感じるが、ウイルスは人間と違って、「意思」を持って行動しているわけではない。仲間を作ろうとか、他のウイルスとグループを作ろうとか、そもそも、自分を増やしていこうとも思っていない。ウイルスは、“増やす”ではなく、正確には環境を与えられたので、“増えられるから、増えている”と言う方が正しいのかも知れない。  


皮肉にも、新型コロナウイルスは、人類の未来に新たなオルタナティブ選択肢を突きつけた。新しい「生活様式」においては、人間のつながりや、家族、トライブ、共同体のあり方もドラスティックに転換されることになる。パラドキシカルに言えば、人類がこれを契機として、ほんとうの意味で、理念や問題意識を深く共有できる人間同士を結びつけることができるかも知れないとも言えるのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?