センチメンタルな社会主義者 『ウィリアム・モリス』



自分の未来像は「人には奇妙かもしれない」が、一人ひとりが自分なりの夢を持ちそれを渇望することが変革の鍵だとモリスは主張した 。


センチメンタルな社会主義者 『ウィリアム・モリス』


エンゲルスは「モリスは根深くもセンチメンタルな社会主義者」と言った。モリスの社会主義が、イデオロギーよりむしろ情熱的な基礎の上に立って、労働者たちに「人間であれ」と望んでいることは、モリスの政治的確信が、彼の出会った社会状態への反作用のうちに展開した、まるで「時代に対する十字軍、聖戦」そのものである。

モリスの政治活動は1868年のブルガリア問題でスタートしたようだが、彼はカーライル、ラスキン、ミル、マルクスと比較して独自の大思想家とは言えない。論理も強くなく、経済学者としても粗雑である。しかし彼はいろいろな人々からアイディアを捉えてきて、人間社会についての解釈を構築する。



アーツ・アンド・クラフト運動の理念


モリスの思想がいまだ新鮮さを失わないのは、この労働者の日常生活に深くコミットする労働観のゆえだ。この日常密着型の社会主義には、暴力革命など不要である。それは人間の意識の深層で進行する「静かなる革命」だ。ときにモリスは革命的社会主義者と呼ばれるが、それは彼がマルクス主義者だったとか、暴力革命を支持していたという意味ではない。私たちの意識と生活の質に根底的な変革を迫る思想の持ち主だったという意味である。それこそが、モリスの素晴らしさであり、また恐ろしさでもある。


「労働の人間化」と「生活の芸術化」


都市や資本における人間活動の「創造性」に関心を持った研究者の系譜を辿ると、ジョン・ラスキン、カール・マルクス、そして、ウイリアム・モリスに遡ることができる。ラスキンは、芸術作品に限らず、およそ財の価値は本来、機能性と芸術性を兼ね備え、消費者の生命を維持するとともに人間性を高める力を持っている。このような本来の価値(固有価値)を産み出すものは人間の自由な創造的活動である。
つまりそれは、仕事workであり、決して他人から強制された労働laborではない。

ラスキンの後継者を自認するモリスは、機械制大工業による大量生産=大量消費が労働疎外と生活の非人間化を促進すると批判し、ラスキンの提唱した職人の創造活動に基づく工芸(クラフト)的生産の再生により、「労働の人間化」と「生活の芸術化」をはかる美術工芸運動アーツアンドクラフツを指導し、その影響は食器、家具、インテリア、住宅等のデザインを通じて世界中に広がった。
また、マルクスの「共産主義」とは経済的、倫理的革命であると同時に「美的革命」でもあるのだ。「共産主義」社会のもとでは、産業主義的活動の「疎外された世界」は最後には芸術的世界に道を譲ることになり、そこではラスキンやモリスが言う「労働」が永遠の喜びとなる。純粋芸術に対し日常生活の身のまわりのものを美しくする、アートとコモディティのインティグリティを、つまり「生活の芸術化」における芸術総体をミニマル・アーツと定義する。


モリスが最も重視するのは、一言で言えば「労働」の尊厳である。


現代では、労働の至高状態として芸術というものが設定されている場合が多い。不自由な労働から開放された彼岸に、芸術が存在すると考えられがちである。つまり、日常と非日常ー労働の目的として、芸術が考えられている。ところが、モリスでは、この関係が逆転している。芸術の目的こそ、労働であり、クラフトマンシップという概念が成り立つのは、このような「労働の喜び」が職人芸の先に見ることができるからであるとする。

そして、機械時代においてのクラフトマンシップはアマチュアの世界での日常性が産業現場でいかされているのであり、日常を芸術的に生きる基礎であるのであり、教育や啓蒙の場面では倫理的に人間が自然と共存していくことについてのひとつの方向を内包し、来るべき人間の活力の源泉の在りかを指し示している。

ここには、人々の生き方を根本から問いなおそうとする意思がある。手工の世界の芸術性と機械技術とのバランスをどのようにとるのか、あるいは人間個々の自制は可能であろうか、モリスは社会改革の具体的実践としてクラフトマンシップの19世紀における復活を試みた。


そこではラスキンやモリスが言う「労働」が永遠の喜びとなる。


経済活動における「大きな工場」でのモノの生産が人間に幸福をあたえる万能のものとは、いまでは云えなくなった。省資源や環境汚染防止のための技術的研究が続けられている。このことは、再び、あるいは三たび科学技術による解決を目指すという循環の中にある。政府は、さまざまな法律を作り規制により、現状からの方向転換を図ろうとしている。科学技術や法による転換の方法は、個人の行動についてみるとき、間接的なものであって人間本来のありようを再認識させていく力はここでもまた、万能ではない。

「小さな仕事場」でのモノ作りは手工業であるため効率的ではなく、金銭的利益もないものである。しかし、現実に目をむけるとそこに依然として興味ある課題として残されているものは何か。現代文明への疑問を抱くときに、もうひとつの価値観、もうひとつの生活様式を認め合っていく社会、そのなかでなりたつ経済生活はどのようなものであるかについて、考えつつ実践していこうとする人びとへのクラフトマンシップのもつ「教育効果」は、人間の本性にたちかえって考えるものである。人間自身の五感の再開発を促し、体験を通して自然への畏敬や人間どうしの尊重や信頼を深めていこうとする態度が日常的に存在することが、たとえ機械時代にあって、分業の発達している時代においても、どうしても必要であろう。このようなことが次世代への贈り物であると思われる。


モリスは「建築」を「民衆の芸術」の総体として位置づけ、「民衆の芸術」=「工芸」のひとつである「家づくり」を「全ての始まり」とする。



ロセッティは〝レッドハウス〟をこう評した「一軒の家というより一遍の詩だ。」


「役に立たないものや、美しいとは思わないものを家に置いてはならない」。「芸術」の「権威」と「マーケット」の二極化は小芸術=コモディティが主題化されることは少ない。これに対し、モリスは「小芸術」こそが「芸術」の要であり、「小芸術」を顕在化させ、「芸術」を国家や都市計画のような「大芸術」と「家」という空間の中で展開される「小芸術」に二分しつつも、二者を分離できない「芸術全体」という枠組において把握していることが示される。分離した両者を「芸術全体」へと再融合すべく、日常生活の「小芸術」に足掛かりを求めるのである。

「小芸術」とは具体的には「家造り」「家具木工」「小物雑貨」などの工芸であり、日常生活において一般の民衆によって使用されるものの製作を意味する。民衆が「小芸術」の在り方を問い直し、「芸術」の理解が高まることで、「大芸術」も「民衆の芸術の威厳」を回復する。

全て人は、「労働」に携わり、他人の役に立ち、人類の一部としての自覚を持つことで人生に光を見出すのである。すなわち「労働」とは、人が価値ある人生を送るために必須の手段であり、またそれ自体「目的」でもあるものなのである。人間は生産を通じてしか付き合えない。やらねばならぬ仕事が無数にある。だからこそ、その数だけ人々の「労働」が必要とされ、誰にでも居場所が空けられているのである。社会の紐帯は「労働」を通じてしか生まれない。人が人を「必要」とする関係性こそが重要なのである。



モリス批判


モリスは多くの点で、矛盾があり、激越で混乱が見られる人物だった。心の中では、過去に、つまり不変の秩序に引かれていたが、頭の中では、新たな秩序を打ち立ってる必要があると確信し、社会革命の中にのみ未来への希望があると考えた。彼は今、この両方を向くヤヌス神のような姿をして立ち現れている。彼の仕事は伝統主義者の仕事であるが、一人の思想家としては、同時代の最も進歩的な諸運動家の先導者であった。

アーツ・アンド・クラフツ運動とは、特定の富裕階級のみが享受できる「大芸術(Arts)」だけを芸術とするのではなく、「小芸術(Lesseer Arts)」もしくは「工芸(Crafts)」も芸術である、という考え方だ。モリスは社会主義を信奉し、大衆の生活をよりよいものにすることを目指したが、実際には富裕階級にしか入手できない品物を生み出すことになった。


モリスーアーツアンドクラフツによる大量生産批判、そして、民藝運動、柳宗理「アノニマスデザイン」は商業主義批判


「良い社会をつくらないと、いいモノづくりができない」と言うのが共通認識であり、大衆の生活をよりよいものにすることを目指した、それぞれの理念は素晴らしいが、実際にはモリスのアーツアンドクラフツは、富裕階級にしか入手できない品物を生み出すことになり、
宗理がデザインしたものは、「柳宗理」というデザイナーのブランドが冠につくわけで、アノニマスという点ではおそらく意図に反する結果となった。80年には本物の「無印」が生まれ、宗理が提唱していたことは別のところで実現したのかもしれないが、逆に宗理自身は中途半端な存在になってしまった。

もっと重大なのが、美術職人としての彼の仕事の根本にある矛盾である。多くの講演で繰り返し彼は、芸術における美は、仕事における労働者の喜びの直接的帰結なのだと定義した。芸術は「作る人にとっても使う人にとっても喜びとなる」べきであるから、この喜びなしにはいかなる芸術もあり得ないと彼は言った。だが、彼の壁紙や織物のデザインの半分以上が、マートン・アビイで制作されたものではまったくなく、彼が直接監督して制作されたものでさえなく、外注で造られたものであることがわかっている。いかにマートンでの労働条件が「理想的」であったとしても、モリス・デザインを手押しの版木でプリントする作業に懸命に取り組んでいる無名の労働者たちが自分の仕事に幸福を感じていたかどうか、モリスにどうしてわかっただろうか。モリスが最も猛烈に非難し、中世職人の時代以後の全てのデザインの退廃の元凶だと断じた悪が、労働の分割ということなのだったが、彼はこの悪そのものにここで屈したわけである。いずれにせよ、版木を使って手押しで壁紙や織物を刷る事は、機械刷りよりもはるかに骨が折れる。だがこの方が色合いの点でずっと出来はよい。だから現在もサンダース社が元の梨材の版木を使ってモリスの全てのデザインを刷っているわけである。しかし実際の労役ということに関しては、常に機械の方が手仕事よりも利点を有するものであり、だから、モリス自身の言に従えば手押しで際限のない繰り返し模様を刷る作業に必然的に伴う退屈と倦怠感は、出来上がった製品にある種の生気の欠如という特徴で表れ出てくるはずである。

ところが、何とも奇妙なことに、それが表れていないのだ。モリスの最良の部類に属するパータン・デザインは、充溢した生命と新鮮さと、自然の成長の感覚が備わっており、それが私たちの目を楽しませてくれるのである。それでもやはり、フラットが「ウィリアム・モリスの矛盾」と題する講演の結論で述べたように「モリスの仕事は、他のどのデザイナーの仕事にも増して、機械な特別な強みでもあるあの一分の狂いもない無限の増殖に最も適応しているのであるが、そんな仕事をした人物が、同時代に機械生産に反対して手仕事を最も雄弁して擁護した主唱者であったと言うのは、何とも不思議な逆説である。

彼は自分の生きた時代を拒否し、自分をう育んだ社会に対して反抗したのであったけれど、それでも彼は、この時代特有の物の見方で自分を正当化する必要も感じていたのである。「多少詩を捻り出すからと言うだけで、連中は私を夢想家で非実際的だなどと言い放つ。」と彼は抗議した。「私は詩を書かずにはいられないんだ。どうしたって書かなくちゃ行けない。だがね、他の連中に負けずお劣らず、私は実業家でもあるんだよ。」と。

実業家の夢見る社会主義はどんなものだろう。理想と現実を使い分けているとしか私には思えない部分もない訳じゃないがそれにしても労働者に向かい人間でいて欲しいと願う彼の気持ちそして違う物を見て違うと言い続ける勇気、彼が持つ芸実の才能と彼が築いた多額の財産と作品。我々が知ってる共産革命家とはまるで違う一人のヒューマニストのモリスに、エンゲルスが言った「モリスは根深くもセンチメンタルな社会主義者」と言う言葉に共感を覚える。


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