「コロナ均衡」ー新型コロナは一つの「理念」である。❼「寄生」を、「共生」という言葉に置き換えても、何の解決にもならない。

 

画像1

         「コロナ均衡」ー新型コロナは一つの「理念」である。


❼「寄生」を、「共生」という言葉に置き換えても、          何の解決にもならない。

                                   
ヒトは、1日で1兆個もの細胞を入れ替えている。不要になった細胞は死んで、その近辺の元気な細胞を細胞分裂させて2個にし、その一つを失った細胞に入れ替えて成長させる。人体の細胞の数は、約60兆個で、単純計算すれば、毎日1兆個の細胞が入れ替わり、1ヶ月で30兆個、2ヶ月で60兆個が新しい細胞になっていく。                       
目に見える運動があれば、見えない運動もある。つまり、このウイルスとの「戦争」という概念は明滅しながら、生まれ変わり死に変わり、色々な形に変化する。ありとあらゆる現象として現われながら、その〈生命〉がずっと動いていると考えるべきなのである。

人々は「共生」という言葉に心惹かれ、好意的な印象を抱いている。異なる主体がお互いを貪りあうのではなく、思いやりを持って共存するという、調和的、平和的、利他的な関係性のイメージが、理想的な雰囲気を醸し出しているからに違いない。
だが、「共生」というのは状況によって「相利」的になったり「寄生」的になったりすることがあり、「共生」と「寄生」は決して対立概念ではなく、前者が後者を含むものである。新型コロナウイルスの「寄生」を、「共生」という言葉に置き換えても、何の解決にもならない。一般的には、「共生」概念は、お互いが利益を得ているような関係をイメージしている。だが、その概念とはもっと広く、文字通り「共に生きている」関係をあらわす言葉であり、「共生」とは、統合されて1つの生命システムを構築することなのである。

きれいなフレーズを寄せ集めて、記憶するだけでは「概念」理解にはならない。それらの「概念」を使って「思考」が展開できたとき、はじめて「概念」理解が出来たと言えるのである。この「ウイルスと上手くつきあっていく」には、行動様式が含まれていない。それは、単なる「イメージ」であって、「概念」ではない。「概念」は、その中にどの様に行動したらよいかを言う「行動様式」を含んでいる。これにより、人はいちいち、結果をシミュレーションしなくても、自然に行動することが出来る。それに比べて、「イメージ」は「行動様式」を含まず、単なる感覚の段階なのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?