「コロナ均衡」ー新型コロナは一つの「理念」である。❷「コロナ均衡」のパレート最適状態

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         「コロナ均衡」ー新型コロナは一つの「理念」である。




❷「コロナ均衡」のパレート最適状態


新型コロナは、コントロール可能な「慢性疾患」であると言える。だが、問題の本質はそこではなく、新型コロナウイルスが、全体的社会的現象のフェーズに突入していることである。全体的社会的現象とは、社会集団の法的、倫理的、政治的、経済的な側面が一気に表れる現象で、いずれか1つには還元できない。
新型コロナに対する予防と対策は、医学や疫学、生物学だけの領域で対処できるものではなく、社会的、経済的、倫理的、そして、コミュニケーションのあり方までを人類に問うてきている。

私たちはこの状態を「コロナ均衡」と呼んでいる。

この国の経済活動自粛の全面解除を主張する人間は、現在の状態を、一人一人みんなが正しいと思って自粛する行為は、結局、マクロ経済を疲弊させる「合成の誤謬」だと思い込んでいる。だが、これは、自分が自粛をやめてしまうことで、みんなも自粛をやめるのが嫌だから、誰もが自分から自粛をやめないという均衡状態、つまり、「コロナ均衡」に陥っていると見るべきなのである。

こうした社会の均衡状態においては、誰もが「自粛する」という選択しかできないのは、医療崩壊という最悪の事態を避けるためにも、ある意味当然であるとも言える。

緊急事態宣言による外出の自粛やロックダウンの効果がどれほどの効果を及ぼしているかは不明である。だからといって、接触削減などの対策を行うことは無駄であり、経済などへの打撃を考えれば、やめたほうがよい、自粛を解除し、今すぐにでも経済活動を再開すべきという主張は、あまりにも短絡的である。
                                  そもそも、この国では新型コロナにおける検査が不十分なことにより、「数理モデル」が全く存在せず、具体的政策のための数値基準が示すことができない。それにより自分の選択を変えることで、利益が得られる展望が描けない状態、つまり、日本社会は「コロナ均衡」のパレート最適状態に陥っていると言える。                          

私たちは、今、感染の初期にいるのか、ピークにいるのか、終局にいるのか、一体どこに立っているのか、何もわからない不安と恐怖に怯えている。
経済活動を最優先して、最悪の事態想定を無視して、自粛解除行うことにより、「医療崩壊」を起こせば経済社会そのものが根底から崩壊することになる。つまり、「命」も「経済」も救われないという最悪の自体が想定される。
だからこそ、こうした短絡的な思考ではなく、私たちは、この「コロナ均衡」を打ち破るために、多元方程式を丁寧に解いていかねばならない。

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