「日本ではロールプレイングアート「リボット・クエスト」が話題を呼んでいる。」


「Industrie 2.5」ROLEPLAYING ART
RE-bot Quest
ロボットを理解するには、まずは、作ること。



役立たずロボットのデフォルト
〝リボタ〟


リボタは生まれたばかりの何の機能も持たない赤ん坊である。しかし、可愛い。そして、モーターをつければ動き、タブレットやAIスピーカーを装着すれば、音楽も聞けるし、映画も観れる。時間や天気も何でも答えてくれる。プログラムを必要とするAIと同様に、人間に想像力があれば、どんなモノでもロボットに成長させることが出来る。

技術偏重の限られた「論理空間」から生まれるロボットは可愛くない。


仏教に「初心」という言葉がある。初心を持つのはすばらしいことだ。初心とは、物事を拒絶しない、貪欲に学ぶ、先入観を持たないということ。小さな子供のように人生と向き合うこと。好奇心と疑問、驚きに満ちていることを指す。
幼児にとって、足は「胴体の下にある棒のようなもの」「顔は丸くて、目と鼻と口がついている」といったレベルの単純なカテゴリーで見ているからだ。成長し、経験を積むことによって、カテゴリーは徐々に細分化される。「棒のような足」から、「丸い膝」・「ふっくらとした脹脛」などへと細分化されることで、私たちはロボットは近未来流線型という「ドグマ」にとらわれることなく、「ありのまま」に少しずつ近づいていくのである。

未来のロボットはテクノロジーのレベルの開発競争ではなく、環境や社会とのインテグリティを包摂したモノの形象を目指すべきである。


ロボットを理解するには、まずは、作ること。


リボット・クエストでは、アート探求を通して、子どもと大人の双方が創造性を発揮し、共に学び、「環境」・「アート」・ 「メカ」を命題とした、独創的な形象をアプローチしていく。将来の日本の家電エレクトロニクスの中枢を担うニューパワーを生み出すインキュベーターの機能も果たし、日本のエレクトロニクスの再興に大きく貢献することになる。私たちの役割はそうしたパブリックソフィアな教育環境を整えることに全力を挙げるべきであり、私たちが今の最も必要とする形象は果実ではなく種のそれなのである。


アートとしてのリボットのデフォルト


人間の目には顔は丸くて、目と鼻と口がついている3つの点が集まった図形を人の顔と見るようにプログラムされている。「シミュラクラ」と呼ばれる現象である。
リボットには、その完成した「作品」を見て、思わず「笑み」が噴きこぼれる瞬間がある。「こども」にとって、「顔は丸くて、目と鼻と口がついている」、足は「胴体の下にある棒のようなもの」といったレベルの単純なカテゴリーで見ているのである。これが、アール・ブリュットのデフォルトである。リボットの優位性は、「こども」がデフォルトであること。「こども」はリアルとイメージの違いなどわからないし、遊びと仕事の違いもわからない。

リボットは不完全な素材形状を不統一なアッセンブリを自由に動かし、組み替えることができる。この性質をふんだんに利用し、生み出されたのがあの奇妙な身体をもつリボットのその形象には、奇妙さはもちろんだが、ユーモラスな感じも与えられている。リボットの作品の数々は概して、「幼稚」で「プリミティブ」なものとして 消費されているようだが、それは作品の意図するところからは微妙にずれているとはいえない。それならば、この奇妙な「小芸術」=コモディティは「不完全」であることの正当性を表象している。「完全」という概念に対して、直接的には社会的有用性のない「不完全」なオブジェを生み出すという皮肉をきかせたものである。つまり、完全とは不完全を許容することであると主張しているのである。

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