性犯罪に関する新たな構成要件の提案

第6/強制性交等致死傷罪と性交等の要否

1 静岡地裁浜松支部平成31年3月19日判決

今回取り上げたいのは、平成31年3月19日に静岡地裁浜松支部で下された無罪判決だ。起訴された犯罪が「強制性交致傷罪」だったこともあり、裁判員裁判での判決だった。

この判決についての報道は、判決のあった日の翌日(3月20日)に産経新聞、中日新聞、静岡新聞でなされた。先に述べておくが、さすが地元ということもあり、静岡新聞の記事が、時間的にも早く、内容も詳しい。産経と中日の記事は、共同通信の取材に基づいたもののようだ。

まずは、各記事を読み比べてみよう。

中日新聞(2019年3⽉20⽇ 13時05分)
⼥性に乱暴の男性に無罪、静岡 「故意認められない」
静岡県磐⽥市で昨年、25歳だった⼥性に乱暴し、けがを負わせたとして強制性交致傷の罪に問われたメキシコ国籍の男性被告(45)の裁判員裁判で、静岡地裁浜松⽀部は20⽇までに、「故意が認められない」として無罪判決(求刑懲役7年)を⾔い渡した。判決は19⽇。

検察側は「被告の暴⾏で⼥性の反抗が著しく困難になることは明らか」と主張していたが、⼭⽥直之裁判⻑は、暴⾏が⼥性の反抗を困難にするものだったと認定した上で、⼥性が抵抗できなかった理由は、⼥性の「頭が真っ⽩になった」などの供述から精神的な理由によるものであると説明。

「被告からみて明らかにそれと分かる形での抵抗はなかった」として、「被告が加えた暴⾏が⼥性の反抗を困難にすると認識していたと認めるには、合理的な疑いが残る」と結論付けた。(共同)
産経新聞(2019.3.20 15:48)
⼥性に乱暴、無罪判決 男性被告の故意認めず

静岡県磐⽥市で昨年、25歳だった⼥性に乱暴し、けがを負わせたとして強制性交致傷の罪に問われたメキシコ国籍の男性被告(45)の裁判員裁判で、静岡地裁浜松⽀部は20⽇までに、「故意が認められない」として無罪判決(求刑懲役7年)を⾔い渡した。判決は19⽇。

検察側は「被告の暴⾏で⼥性の反抗が著しく困難になることは明らか」と主張していたが、⼭⽥直之裁判⻑は検察側の主張を認めた上で、⼥性が抵抗できなかった理由は、⼥性の「頭が真っ⽩になった」などの供述から精神的な理由によるものであると説明。

「被告からみて明らかにそれと分かる形での抵抗はなかった」として、「被告が加えた暴⾏が⼥性の反抗を困難にすると認識していたと認めるには、合理的な疑いが残る」と結論付けた。また「暴⾏について⼥性の消極的な承諾があった疑いも払拭できない」として、傷害罪も成⽴しないとした。

この2つの記事は、いずれも20日の午後に配信されている。内容的にもほぼ同じだ。ただ、産経の記事には、強制性交致傷罪だけでなく、傷害罪も成立しないとされた理由などが書かれている。

最後に、静岡新聞の記事である。これは20日の午前に配信されている。一番早く、かつ内容的にも上記の2つでは判らない重要な部分が拾われている。

静岡新聞NEWS(2019/3/20 07:50)
⼥性に乱暴しけが、無罪 メキシコ⼈男性に判決 地裁浜松⽀部

静岡県⻄部の⼥性(25)に乱暴し、けがを負わせたとして強制性交致傷の罪に問われたメキシコ国籍、浜松市中区の男性⼯員(44)の裁判員裁判判決公判で静岡地裁浜松⽀部は19⽇、無罪(求刑懲役7年)を⾔い渡した。

⼭⽥直之裁判⻑は「被告⼈が、⾃⾝の暴⾏が(⼥性の)反抗を著しく困難にする程度のものだと認識していたと認めるには合理的な疑いが残り、故意が認められない。犯罪の証明がない」などと判決理由を述べた。

⼭⽥裁判⻑は、男性の暴⾏が⼥性の反抗を著しく困難にする程度だったと認めた⼀⽅、⼥性が抵抗できなかった主な理由は、⼥性の「頭が真っ⽩になった」などとする供述などから「精神的な理由によるもの」と指摘した。男性からみると⼥性が明らかに分かるような形で抵抗を⽰すことができていなかったと認められると説明し、「被告⼈は相⼿の反応をうかがいながら⾏動をエスカレートさせ、拒絶意思を感じた段階で⾏為をやめたとも評価できる」と述べた。

無罪判決を受け、静岡地検浜松⽀部の中沢康夫⽀部⻑は「判決内容を検討の上、適切に対応したい」とコメントした。

2 記事から見えてくる事実

さて、みなさんは、この3つの記事を通じて、この事件がどのような案件だったと認識するだろうか? 記事から判る事実を列挙してみた。

・被告人は、メキシコ国籍の男性で44歳。
・被告人は、浜松市中区で工員をしている(静岡新聞)
・被害者は、女性で、事件当時25歳。
・被害者は、静岡県西部に住んでいる(静岡新聞)
・事件は、昨年(平成30年)、磐田市で起きた。
・被告人は、被害者に乱暴し、けがを負わせたとして強制性交致傷罪で起訴されていた。
・裁判員裁判で、平成31年3月19日、無罪が言い渡された。
・検察官の求刑は、懲役7年(産経新聞)
・裁判長は、山田直之裁判官。
・無罪の理由は、故意が認められなかったこと。
・被告人の暴行は、被害者の反抗を著しく困難にする程度のものだった。
・被害者が抵抗できなかった理由は(物理的な理由ではなく)、「頭が真っ白になった」という精神的な理由によるものだった。
・被告人から見て、被害者は「明らかにそれと分かる形での抵抗」をしていない。
・被告⼈は「⾃⾝の暴⾏が(⼥性の)反抗を著しく困難にする程度のものだと認識していた」と認めるには合理的な疑いが残る。
・被告人は「相⼿の反応をうかがいながら⾏動をエスカレートさせ、拒絶意思を感じた段階で⾏為をやめた」とも評価できる(静岡新聞)
・傷害罪も成立しない(産経新聞)
・傷害罪が成立しない理由は「暴⾏について⼥性の消極的な承諾があった疑いも払拭できない」から(産経新聞)

この事件は、強制性交致傷事件であるが、ところで、この事件において最終的に被告人の被害者に対する性交はなされたのか、なされていないのか? 上記の記事から、みなさんは、この点についてどういう認識をもつだろうか?

産経新聞、中日新聞の記事では、この点についてはまったく情報がない。そのため、この2つの新聞を読んだ人は、おそらく、被害者が被告人によって性交をされてしまった事件として、この事件を認識したのではないか。

これに対して、静岡新聞の記事では、この点について少し書かれている。被告人は「相⼿の反応をうかがいながら⾏動をエスカレートさせ、拒絶意思を感じた段階で⾏為をやめた」とも評価できる、という部分である。

これによると、どうやら、この被告人は、どこかの時点で自己の行為を自らの意思で中止しているらしい、ことが判る。それは「拒絶意思を感じた段階」である。ただ、それが性交の前なのか、性交の途中(没入後)なのかは、この記事では判然としない。

つまり、これらの記事を読む限りでは、この事件において被告人は被害者に対して性交をしてしまったのか、そうではなく、性交に至る前に拒絶の意思に気付き、行為を中止したのかが、どちらとも判別できない。

このように言うと「いや、この事件は、未遂で起訴されたわけではないのだから既遂である。つまり、性交には至っているのだ」と反論する人がいるかもしれない。しかし、必ずしもそうとは言えないのである。それがなぜかを知るためには、強制性交致傷罪の構成要件がどういう構造のものなのかということを知る必要がある。

3 強制性交致死傷罪の構成要件

(1)条文

まず、条文を確認してみよう。刑法第181条である。

(強制わいせつ等致死傷)
刑法第181条 第176条、第178条第1項若しくは第179条第1項の罪又はこれらの罪の未遂罪を犯し、よって人を死傷させた者は、無期又は3年以上の懲役に処する。
 第177条、第178条第2項若しくは第179条第2項の罪又はこれらの罪の未遂罪を犯し、よって人を死傷させた者は、無期又は6年以上の懲役に処する。

この刑法第181条のうち、第1項が規定するのが「強制わいせつ等致傷罪」であり、第2項が規定するのが「強制性交等致傷罪」である。前者の法定刑は「無期又は3年以上の懲役」であり、後者の法定刑は「無期又は6年以上の懲役」である。むろん、後者のほうが重い。

(2)結果的加重犯という犯罪

この条文のように「よって、人を死傷させた者」などと規定されている犯罪類型を「結果的加重犯」(けっかてきかちょうはん)という。この「結果的加重犯」という犯罪類型は、ちょっと変わったものだ。

第1に「結果的加重犯」とは、ある犯罪から予期せぬ重い結果が発生した場合に、行為者をより重く処罰する、という犯罪である。そしてこの「ある犯罪」を基本犯と呼ぶ。つまり、結果的加重犯には、必ず「基本犯」つまり「元になる犯罪」が存在する。

第2に、結果的加重犯は、この基本犯から「重い結果」が発生した場合に成立し、この基本犯の法定刑よりも重い法定刑が設定されている。つまり、基本犯に比べて加重処罰されるわけであり、これが「加重犯」と呼ばれるゆえんである。

第3に、「重い結果」は予期せず発生した場合でよい。つまり、行為者としては基本犯を犯すつもりだったが、たまたま重い結果が発生し、「結果的」にこの犯罪を成立させてしまうのである。それゆえ、結果的加重犯の場合は、行為者には、重い結果に対する故意(予見)が必要とされない。

この場合、判例は、重い結果が発生することにつき、行為者には過失すら必要でないと言う。しかし、多くの学説はこれに反対し、重い結果に対する過失(予見可能性)くらいは必要であると主張している。重い結果に対する過失すら要求しないのでは、古い時代の結果責任を認めることになり、近代刑法の大原則である責任主義に反するからである。

こうして、学説によると、結果的加重犯は「故意犯と過失犯との結合形態」ということになる。故意犯の後ろに過失犯が結合している、というワケだ。これに対し、判例ではそうではないのだが、いずれにせよ、故意責任の原則の例外であることは確かである。

第4に、基本犯は、ほとんどの場合、故意犯である。そのため、結果的加重犯が成立するためには、ふつうは、行為者には基本犯についての故意が必要だとされる。ただ、例外的に、基本犯自体が結果的加重犯である、という変種もある(例えば、傷害致死罪)。他方、基本犯が過失犯である、ということはない。

以上からすれば、結果的加重犯の構成要件は、図示すれば、一般的には、次のような構造をしていることになる。

若干説明しよう。オレンジ色の四角で囲まれた部分が、基本犯である。ここでは、①実行行為②結果③因果関係④構成要件的故意という4つの構成要件要素によって構成される最もシンプルなカタチの故意犯かつ結果犯の構成要件を置いてみた。

結果的加重犯の場合、これに3つの構成要件要素がプラスされる。

⑤重い結果
これは、加重結果とも呼ばれる。多くの場合は、人の死亡や人の負傷が重い結果として設定される。

⑥因果関係
重い結果は、基本犯から発生しなければならない。基本犯と無関係に発生したのでは結果的加重犯とはならない。ただ、基本犯の実行行為から発生しなければならないか、というと判例・学説に争いがある。判例は、基本犯の実行に付随する行為から発生した場合でもよいと解しており、これを支持する学説も少なくない。しかし、結果的加重犯の加重処罰の根拠が、基本犯の実行行為に本来的に含まれている危険性の実現であるということにあると解するならば、重い結果は基本犯の実行行為から発生しなければならない、というほうが筋が通る。この立場の違いが顕在化する事案は、それほど多くはないので、ここでは、理論的にシンプルな後者の立場で説明しておく。

⑦構成要件的過失(予見可能性)
主観的要件として、重い結果が発生することを予見できたことが必要であるとするのが学説の一般的な立場である。現在では定説といってもよいかもしれない。「予見」していれば構成要件的故意があることになってしまうことになるから、「予見」は必要ではない。「予見可能性」だから構成要件的過失である。もっとも、過失犯をめぐっては旧過失論新過失論という学説の対立があるため、ここでは過失という言葉を使わない人もいる。

以上のように、とてもシンプルな結果犯・故意犯を基本犯とした結果的加重犯のモデルと描くと、上記の図のようになる。例えば、建造物損壊致死傷罪(刑法第260条後段)などは、まさにこのタイプと言える。

(建造物等損壊及び同致死傷)
第260条 他人の建造物又は艦船を損壊した者は、5年以下の懲役に処する。よって人を死傷させた者は、傷害の罪と比較して、重い刑により処断する。

なお、ここで「傷害の罪と比較して、重い刑により処断する」という文言の意味も、ついでに説明しておこう。傷害罪(刑法第204条)の法定刑は「15年以下の懲役又は50万円以下の罰金」である。この法定刑は、建造物損壊罪(刑法第260条前段)の法定刑と比較すると、上限は傷害罪のほうが重く(15年の懲役)、下限は建造物損壊罪のほうが重い(1月の懲役で、罰金刑の選択はできないから。なお、有期懲役の下限は刑法第12条第1項に規定されている)。そこで、建造物損壊罪と傷害罪とを比べて上限・下限ともに重いほうの範囲で処断する、という意味である。つまり、建造物等損壊致死傷罪の場合は「(1月以上)15年以下の懲役」というのが法定刑ということになる。

なお、重い結果として、人が「負傷」したのではなく、人が「死亡」した場合は、傷害罪ではなく、傷害致死罪と比較する。傷害致死罪(刑法第205条)の法定刑は「3年以上の有期懲役」であるから、上限・下限ともに傷害致死罪のほうが重いので、こちらが用いられることになる。これが「傷害罪」ではなく「傷害の罪」と比較して、と規定されていることの意味である。

(3)強制性交致死傷罪の構成要件

強制性交等致死傷罪(刑法第181条)も、このような結果的加重犯である。では、強制性交致傷罪の場合、その構成要件はどのようなものか。以下のとおりである。

ゴチャゴチャとしていて目を覆いたくなるが、基本犯である強制性交罪自体が7つの構成要件要素をもつ複雑な構成要件なので仕方がない。その解説は前回にしているので省略する。

強制性交致死傷罪になると、この7つに、⑧重い結果⑨因果関係⑩構成要件的過失がプラスされる。

⑧重い結果
人の死傷、つまり、人の死亡または人の負傷である。どちらでもよい。

⑨因果関係
基本犯の実行行為と重い結果との間の因果関係である。強制性交罪の場合、最初の「暴行」または「脅迫」も、「性交の現実的危険のある行為」(図では「性交する行為」と書かれている)も、いずれも実行行為である。重い結果は、このいずれの実行行為を原因として発生してもよい。

例えば、行為者が相手方の反抗を著しく困難にしたうえで性交することを意図して、相手方を殴った際、相手方が怪我をしたという場合もある。また、相手方を脅迫したところ、相手方が逃げ出し、その途中で転んで怪我をした、という場合もある。また、性交を敢行したところ、相手方が処女であったため、処女膜が破れ出血した、という場合もある。いずれでもよい。

なお、前述したとおり、判例は、付随的な行為から重い結果が発生してもよいとする。実際にあった事例としては、行為者がある家に侵入し、その家の女性を強姦しようとしたが、女性に騒がれたため逃げようとしたが、これに気付いた息子が捕らえようとしたところ、その際、息子が足に怪我をした、というものだ。判例によればこの場合も強制性交致傷罪となる。

⑩構成要件的過失
行為者において、重い結果(人の死傷)を予見することが可能であった、ということである。予見している必要はない。

以上が、強制性交致死傷罪の構成要件である。そこで、今回取り上げている浜松支部の事件でも、検察官が間違いなく「強制性交致傷罪」で起訴しているのであれば、本件の被害者は被告人から性交を敢行されてしまっていることになる。しかし、本件の公訴事実は、本当に強制性交致傷罪だったのか?

(4)刑法第181条第2項は何を規定しているか?

もう一度、刑法第181条2項をよく見てもらいたい。

第181条 (1項省略)
 第177条、第178条第2項若しくは第179条第2項の罪又はこれらの罪の未遂罪を犯し、よって人を死傷させた者は、無期又は六年以上の懲役に処する。

強制性交等致死傷罪(第181条第2項の罪)の基本犯は、全部で6つあるのだ。

①強制性交等致死傷罪 = 強制性交等の罪 +人の死傷の結果

②準強制性交等致傷罪 = 準強制性交等の罪 +人の死傷の結果

③監護者性交等致死傷罪 = 監護者性交等の罪 +人の死傷の結果

④強制性交等未遂致死傷罪 = 強制性交等未遂罪 +人の死傷の結果

⑤準強制性交等未遂致傷罪 = 準強制性交等未遂罪 +人の死傷の結果

⑥監護者性交等未遂致死傷罪 = 監護者性交等未遂罪 +人の死傷の結果

そして、すべてをまとめて「強制性交等致死傷罪」と呼ぶわけだ。

本件の新聞記事では、被告人は「強制性交致傷罪」で起訴された、と報じられている。これを素直に読めば、本件は上記①の罪のうち、重い結果が「傷害」の場合として起訴されたことになる。しかし、静岡新聞の記事では

被告⼈は相⼿の反応をうかがいながら⾏動をエスカレートさせ、拒絶意思を感じた段階で⾏為をやめたとも評価できる

とも報じられている。「拒絶意思を感じた段階で行為をやめた?」そうだとすれば、本当に「強制性交致傷罪」だったのか、との疑問が湧く。「強制性交未遂致傷罪」なのではなかったのか? もし後者なら、性交には至っていないことになる。その可能性はないのか?

では、強制性交未遂致死傷罪とは、どのような構成要件か?

(5)強制性交等未遂罪の構成要件

まず、基本犯である強制性交等未遂罪を見てみよう。

少し解説しよう。

まず、未遂とは「犯罪の実行に着手してこれを遂げなかった」ことである(刑法第43条1項前段)。そこで、未遂の場合、まず「犯罪の実行に着手」する必要がある。これは、一般的には「実行行為を開始」することであると言われる。

強制性交等の罪(前段)で言えば、最初の実行行為は「暴行又は脅迫」であるから、そのいずれかを開始すれば足りる。

次に「これを遂げなかった」というのであるから、それ以外の客観的構成要件要素に該当する事実は、一切必要がない。もちろん、一部あってもよいが、要件ではない。もっとも、全部存在すれば「既遂」になってしまい、「未遂」ではなくなる。

最後に、主観的構成要件要素として、既遂罪の構成要件的故意が必要であると言われる。つまり、未遂というのは、当初に犯罪をやり遂げようと思っていて遂げなかった場合であり、最初から未遂に終わらせようと考えて実行行為を行うのは未遂ではない。

例えば、人に向けて拳銃を撃つ場合でも、相手に命中させて死亡させようと思っていたが、弾丸が外れた、という場合が殺人未遂罪である。もし、最初から命中させるつもりも殺すつもりもなく、弾丸が命中しなかった(=わざと外した)のであれば、それを未遂とは言わない。

そこで、未遂罪が成立するための主観的構成要件要素としては、既遂罪の構成要件的故意が必要、と一般に説明されるのだ。しかし、この説明は、実は正確ではない。

構成要件的故意は、構成要件に該当する客観的事実を認識・予見することであるが、この「予見」は、将来の事実を正しく知っていることを意味する。つまり、正しくなければ「予見」とは言えないのだ。

殺人既遂罪の場合、行為者は、相手方が死亡することを予期し、実際に相手方が死亡しているから「予見していた」と言える。しかし、未遂の場合は、相手方は死亡していない。行為者は「相手方が死ぬだろう」と予期あるいは予想していたが、実際にその事実が発生していない以上「予見」していたと言うことはできないのである。せいぜい「予期していた」とか「予想していた」ということができるだけである。

そこで、厳密に言えば、未遂罪において必要とされる主観的構成要件要素を既遂罪における構成要件的故意と呼ぶことはできない。

強いて言えば「既遂罪における構成要件的故意に相当する心理状態(主観的態様)」ということになる。

ただ、このような言い方はとても煩わしいので、日常的には「未遂罪においては、既遂罪の構成要件的故意が必要とされる」とやや雑に表現されているのである。

(6)強制性交未遂致死傷罪の構成要件

では、いよいよ強制性交未遂致死傷罪の構成要件を見てみよう。次の2つが考えられる。

第1はこれである。

これは、死傷の結果が、最初の実行行為である「暴行」または「脅迫」から発生した場合である。

もう1つ考えられる。第2は次のようなものである。

これは、最初の「暴行」「脅迫」からではなく、もう1つの実行行為である「性交の現実的危険のある行為」から人の死傷が発生したという場合である。この場合、すでに挙げた例のように、性交によって処女膜を破ってしまったという場合であれば、性交の結果を生じているから、基本犯は既遂であって未遂ではない。では、どのような場合が考えられるか。やや考えにくいが、「男性器を接触させたが、没入には至らず、しかしその段階で相手方に性病をうつした」というような場合はこれに該当するだろう。

いずれにしても、基本犯が「強制性交未遂罪」である場合、性交の結果自体は発生していないのである。ただ「人の死傷」の結果が発生しているために、刑法第181条第2項の強制性交未遂致死傷罪として、処罰されることになる。

4 なぜ無罪となったのか?

では、以上の知識と新聞記事から判る事件の概要を前提に、静岡地裁浜松支部平成31年3月19日の判決がなぜ無罪になったのかを検討してみよう。

仮に、強制性交未遂致傷罪で考えた場合、その構成要件要素は、
①実行行為(暴行または脅迫)
②重い結果(人の負傷)
③因果関係
④既遂罪の構成要件的故意(に相当する心理状態)
⑤重い結果に対する構成要件的過失
の5つである。

①実行行為(暴行・脅迫)
この暴行・脅迫は、相手方の反抗を著しく困難にする程度の強度をもったものでなければならないが、記事によれば、被告人の暴行は、この程度に達していたようだ。つまり、この要件は満たす。

そして、要件ではないが、実際に被害女性は、この暴行によって反抗が著しく困難な状態になった(結果、因果関係)。もっとも、反抗が困難になったのは、手足を押さえつけられたというような物理的な事情によるのではなく、頭が真っ白になったという心理的な事情が原因だったようだ。

②重い結果(人の負傷)
次に、重い結果である人の負傷も発生しているようである。

③因果関係
これも問題なく認められるようだ。被害者の負傷は「暴行」から発生したようである。なぜこれが判るかと言えば、産経新聞の記事に、傷害罪が成立しない理由が書かれているからだ。

また「暴⾏について⼥性の消極的な承諾があった疑いも払拭できない」として、傷害罪も成⽴しないとした。

つまり、暴行について承諾があったことで、傷害罪が成立しないならば、この傷害は、この暴行から発生したのだろう、と推察できる。いずれにしても「暴行」と「負傷」との間の因果関係も、問題なく認められるようだ。

④構成要件的故意
本件では、どうやら構成要件的故意が否定されたようだ。すでに確認したように、未遂罪の主観的構成要件要素としては、既遂罪の構成要件的故意(に相当する心理状態)が必要とされる。

その内容としては、自己の暴行・脅迫が相手方の反抗を著しく困難にする程度のものであり、これによって相手方が反抗が著しく困難な状態になり、その状態の下で、相手方と性交をするということの認識・予期である。

ところが、裁判所(裁判官および裁判員)は、行為当時、被告人がこのような認識を有していた、と認定するには合理的な疑いが残る、と考えたようだ。つまり、当時、被告人は、自己の暴行がそれほど強度なものではなく、これによって相手方の反抗が著しく困難な状態に至るほどのものではない、と誤認していた可能性がある、と言うのである。

そこで、5つ目の「構成要件的過失」ないし「予見可能性」について検討するまでもなく、被告人には強制性交未遂致傷罪は成立しないことになる。

もっとも、結果的加重犯についての判例の理解によれば、そもそも5つ目の要件は必要ではないのであるが。

5 一体どんな事件なのか?

一応、理屈のうえでは、④既遂罪の構成要件的故意(に相当する心理状態)が認められなかったため、被告人は無罪になったのだ、と判る。しかし、これは、理論的にはそうだ、というだけだ。

では、なぜ、自己の暴行が相手方の反抗を著しく困難にする程度に達していないと被告人が考えた可能性がある、と裁判官・裁判員は認定したのだろうか?

記事によれば、女性は、事実として「反抗が著しく困難な状態」になり、それは、被告人が加えた「暴行」によるものだった。だが、女性の反抗困難は精神的な理由によるもので、そのためもあって被告人にそれと判るような明確な抵抗が示されなかった。

反抗困難となった原因が、物理的な拘束などであれば、被告人も女性が反抗困難な状態であることは、見れば判るだろう。しかし、精神的なものだったため「見れば判る」とは言えなかったのだろう。そして、物理的な拘束を加えるような「暴行」でなかったがために、被告人自身、それほど強度なものとは考えていなかった可能性がある、と評価されたように思われる。

さらに、この事件で、この記事からではまったく判らないのは、これが一体どんな状況で起きた事件なのか、である。そもそも、この被告人と女性は、どのような関係だったのだろうか? この事件は、この女性がいきなり草むらに引き込まれたというような事件ではないようだ。そして、とても不可解なのが、被告人に傷害罪が成立しなかった理由である。

また「暴⾏について⼥性の消極的な承諾があった疑いも払拭できない」として、傷害罪も成⽴しないとした。

消極的な承諾? 暴行への? これは、一体どういうことなのか、この記事を読んで状況を想像できるだろうか? 暴行について「消極的ながら承諾があった」とは、一体どういう状況なのか? 

そもそも、被告人が女性に対してした「暴行」とは、どのようなものだったのか? 記事にはまったく書かれていない。殴るとか、蹴るとかではないように思われる。そんなことを「消極的ながら承諾」するとは考えにくいからだ。だとすれば、「暴行」とは、一体どんなことがなされたというのだろうか? 消極的ながら女性が承諾する(=受け入れる)ような有形力の行使である。

また、静岡新聞の記事によれば、次のように報じられている。

「被告⼈は相⼿の反応をうかがいながら⾏動をエスカレートさせ、拒絶意思を感じた段階で⾏為をやめたとも評価できる」

被告人と女性とは、知り合いだったのだろうか? もし見ず知らずの相手なら拒絶するのが当然で、相手方が拒絶していないなどと被告人が考える可能性などないはずだ。そうであれば、仮に初対面だったとしても、少し話をした後とか、何らかの関係性が出来ていたのではないかと推測される。あるいは、以前からの知り合いだったのかもしれない。

記事には、被告人の職業は書かれているが、女性の職業は書かれていない。本当に、2人がどんな関係性だったのか、この記事からはまったく判らないのである。

この事件が起きた場所は、どこだろうか? むろん「磐田市」であることは、記事から判る。しかし、磐田市の「どんな場所」なのか? もっと端的に言えば、ホテルのようなところなのか? もしそうなら、この事件に対して受ける印象は、随分と違ったものになるだろう。

つまり、言いたいことは、情報が少なすぎるということだ。上記の新聞記事だけでは、この事件が一体どんな事件なのかすら、その全体像を描くことさえできない。被告人が女性に対して何かをしたことは事実で、それによって女性が負傷したのも間違いないのだろうが、何をどうしようとしたのかが、まったく見えてこない。だから、怒りよりも何よりも、それ以前に不可解で、釈然としないのだ。

6 結びとして

この事件は、4件の無罪判決の中でも、どんな事件なのかということが最も把握しにくいもののように感じられる。記事にも、まったく周辺状況が書かれていない。書かれているのは、被告人がメキシコ国籍だとか、そんなことばかりだ。

性犯罪は、電車内での痴漢などを除けば、まったくの見ず知らずの男女間で起こることはまれだ。「レイプ」と聞くと、女性が夜道で突然背後から襲われ、暗がりに引きずり込まれ……という犯行態様を想像しがちだが、そういうものは、実はそれほど多くはない。性犯罪の事件は、程度の差こそあれ面識のある者の間で起こることが多い。

本件は「相手方の同意」を誤信した事案ではないが(むしろ、暴行に関しては消極的ながら相手方に承諾があったとされている)、このような性犯罪事案において、行為者に何らかの誤信・誤解が生じがちなのは、行為者と相手方とがまったく見ず知らずの関係ではないからだ。

もし見ず知らずの関係なら、相手方が同意していた(受け入れていた)などと言うことはおよそ考えられず、被告人がそんな弁解をしても、その可能性が真面目に取り上げられるはずもない。

強盗事案が知り合いとの間で起こることはまれだが、強制性交事案はむしろ知り合いとの間でこそ起こる。

強盗は日常的なものではあり得ないが、性交自体は、一定の関係性の中では日常的にあり得るものである。

ここに性生活に対する法規制の難しさがある。

いつも使っている判例データベースをみると、現在この事件は「本文収録準備中」とされている。今はまだ読むことができないが、もうすぐ読むことができるようになりそうだ。さて、事実は一体どんな事件だったのだろう?

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