見出し画像

旦那さんと2人で生きるという選択


前に付き合ってた人たちが子供を授かった。

そんな話を聞いた時なんだか頭に雷が落ちたような気分だった。

魔の巣窟、インスタグラムで証拠写真を見る。

幸せそうな笑顔の夫婦と赤ちゃんの写真に絶句する。

でも、なぜ絶句したんだろう?

自分でも不思議だった。

いろいろあれこれ考えた結果、たぶん父権社会が作り出した聖/娼婦でいったら、娼婦的な役割を押し付けてきたかつての恋人たちが最終的にはホームドラマみたいな幸せを選択したからなんだと思う。

自分はどちらかといえば、母性があって家庭的というよりは、酒やタバコ、映画、芸術を嗜み、”娼婦性”の強い人間の素養があったし、それを恋人たちに若い頃の付き合いで助長された様なところがあったので、自分から一番遠いような女性を選んだという事実に母性のない自分を全否定された気分になったんだと思う。

もちろん酷い扱いをされた数々の思い出がよぎったのもある。一瞬、マレフィセントの様に、呪いの儀式でも始めようかと思ったが、流石に良心が痛んだので。
逆にこれをきっかけに自身が子供を持たなくて本当にいいのか熟考することにした。

先に結論を言っておこう。

熟考することなんてなかった。

わたしは旦那さんと2人で生きていきたい。
願わくば2人だけの閉鎖的な世界ではなく自身が安心できるコミュニティや友人、人を助ける情熱の捧げられる仕事をしながら幸せに暮らしたい。

今思えば、最初からもう夫婦だけで生きるという選択は決まっていたんだけど、急に自分はこれでいいのか?と自問したのは、たぶん社会全体が、夫婦だけのカップルをまだ容認していないから自分が異常なのかと思い込んでいたのもそうだし、自分の中では子育ては人生の中で一度も心から望んだことがなかったから、親しい人が子供を持つことへの驚愕というか、驚きがどうしても隠せなかったんだと思う。

子供を産まない理由はたくさん挙げようと思えばある。ごまんとある。でも望んでないことの理由ばかり考えてると頭が痛くなるし、その理由を列挙するより、このかけがえのない人生で何がしたいのかを大事にしようと思った。

旦那さんとの人生、愛する友人や仕事関係の人々、そして自分の夢を全うすること。

実は、「自分のことばかりの人生なんて寂しいわよ」と心ない言葉を言われたばかりだったのもあって傷ついていたのかもしれない。

その人曰く、”自分より大切な”存在の子供を育てるのは何事にも代えがたい。自分の欲望ばかりの人生は、悲しい、とのこと。
もちろん子育ては大事だ。じゃないとわたしも今ここにいない。ただ、それを他の人に強要するのは、自分のことばかり考えている人の発言だ。欲望だらけではないか。ほんとうに、その方はその子のために生きてきたのか心配になる。

どんな仏の顔をしていても、みんなこの世はエゴイスティック。だから気にしちゃだめだよ。エゴイスティックだから美しいんだから。それに子供がいなくてもいくらでもセルフレスになれる。好きなこと追求したら結局みんな、人類のためになっちゃうのよ、不思議と。

だから、わたしはわたしを生きていく
強く、しなやかに。

素晴らしい哉、人生。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?