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『無色のしあわせ』⑳/⑳

「一人一人は小さな存在だ。
俺も、アンタも、そしてコロルも。
取るに足らないちっぽけな存在だ。
しかし社会で生きている以上、誰しもが社会の歯車の一部になることを決して避けることはできない。

俺の商売はお客がいないと成り立たないが、
コロルの役割には、他人の存在は必要ない。
善意の死んだこの街では、むしろコロルの役割に他人の存在は不要だ。
人との関わりによって生まれる複雑な感情は、コロルにとって日々の生活の妨げになる。
アイツは孤独で良い。孤独だから良い。

センセイはそこに目を付けたんだ。
あの人はよく見てるよ。そしてよくコロルと出会えた。
これが運命ってやつなんだろうな。

この街が〝そうであること〟を維持できて、
かつ街中の誰もが個人の幸せを追求できるこの世界に、コロルの存在は不可欠だ。
アイツはそうして、この街の歯車になっている。」

「つまり、コロルのおかげでこの街は維持できている。
そして、それを無意識に行っているコロル自身は、何も知らないからこそ、最低限でも最大の幸せを感じながら生きている。」

「うん、まぁ大袈裟に言うとそういうところか。
自分がすることはパンを食べること。
そのために与えられた仕事をする。
そうしてアイツは、他人から見たら貧しく見えるかもしれないが、
どこまでも、誰よりも清らかに生きているんだ。
多くを求めることはしない。俺はアイツが不幸だとは思わない。
アイツはパンがあればそれだけで充分幸せだからな。

俺みたいなやつが、そして俺の話を聞いたお嬢さんにできることは、
コロルのささやかな、でも実は大きな貢献に対して
ひそやかに敬意を表してやるだけで良いんだ。
コロルは賞賛なんか求めてはいない。
そんなもの、ただ酸っぱいだけのトマトと一緒さ。
俺たちの敬意も、それは俺たち自身の心に温かな感情をもたらしてくれる、その効果だけで十分なんだ。

そうして俺たちは、いや、アンタがどうだかは知らないが、俺は十分満たされている。
俺はそれだけで幸せなんだよ。」

占い師の男は空を見上げた。雨はいつしか止んでいた。
この街をどこまでも覆っていた分厚い鈍色の雲は
風に流されて少しずつ西に流されて薄くなっていく。

「さて、お嬢さんのご注文はなんだったか。
明日の自分に何ができるか知りたいんだっけ?
それじゃあ俺の本業、カードで占ってあげよう。
これだけ前段をしゃべったんだ。チップは弾んでくれよ?」
そう言って男は、目の前にカードをバラバラに広げ、大きく手を動かして混ぜはじめた。

彼女は「私の明日は、晴れますか。」と言った。
「俺は天気予報士じゃない。ただのしがない占い師さ。」
「このろくでもない世界には、降り続けて止まない雨もあるんだって誰かが言ってた。でも今は。」

男がカードを混ぜ終えて、無秩序に広がったカードの中から1枚に目をつけ、
すっと手を伸ばしそのカードに指を乗せたまま祈るように言った。
「この街の明日は晴れるかしら。天気でも占ってみようか。」
そしてそのカードを取り、彼女の前に裏返しのまま置いた。

彼女がそっと手を伸ばし表に返そうとした時、
突然突風が吹いてカードは宙に巻き上げられた。
「ほう、そう出ましたか」男はローブの下で、ニヤッと微笑んだ。

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