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『こうもり』1話/7話

最近の僕は、変な夢ばかり見ている。この前は自分が動物園の動物になっていた。視界の端に僕のものであろう羽根が見えたので、おそらく鳥の類のなにかだったのだろう。僕は檻の内側から、幼稚園児やカップルが僕のほうを見ているのを、とても嫌な気持ちで見ていた。時折飼育係の女性が入ってきて、僕の気持ちを一切汲み取ろうともせず、「私はこんなにも動物に愛情を持って接しています」と言わんばかりに、一方的な慈愛をこれでもかと見せびらかしていた。動物と人間のコミュニケーションなんて所詮はこんなものか、と半ば諦め、向きを変えたところで目が覚めた。そんなことを思い返しながら僕は、彼女がやってくるのを、コーヒーと小説を片手に待っていた。

「お待たせ。どのくらい待った?」
「コーヒー1杯分。」と僕は嘘をついた。本当は1杯も飲み干してはいないし、小説も2ページしか読み進めていない。
「はいはい。じゃあ、待ってる間に読んだ内容を聞かせて。たいして進展してないんでしょ?」
「そうですね。ガラスの靴を履いたプリンセスが12時を過ぎても帰ってこない、そんなところです」
「新しい視点の物語ね。続きは?」
「まだ読んでいないんです。また今度聞かせますよ」
「そうね。ちゃんと本の形にして私にちょうだい。で、何の本を読んでいたの?」
「漫画ですよ。表向きは小説を読んでいるように見せかけて、実は漫画。授業中に教科書を立てかけて、その裏で漫画を読んだりしません?あんな感じです。」
「なんていう漫画?」
「どうしてそんなに聞きたがるんですか。どこにでもある、普通の漫画ですよ。ええと、そうですね。『表島太郎』なんてどうですか?」
「つまんない」

 僕らはお互いの空いた時間に、こうして無駄な時間を過ごす。表通りから一本裏に入ったところにある小さな喫茶店で、お互いの時間が許すまでずっとくだらない話をする。ときには日が暮れてしまうこともあるし、ほんの数分だけのときもある。でも、こうして少しずつ重ねていく二人だけの時間が僕にはとてもいとおしく、秒単位で噛みしめていたい、そんなひとときだった。



 彼女との出会いもこの喫茶店だった。学校帰りに見つけ、たまたま入ったこの喫茶店で、僕は窓際の席に座った。店の中でもあまり目立たないこの席は、店の外からもあまり目に入らず、それでいて外からの明かりはほどよく差し込んでいた。すぐに僕の一番お気に入りの席となった。授業の合間や、学校帰りにゆっくりしたいときなど、僕は時間があるときにはしょっちゅうこの店に通っていた。ある雨の日、いつものように僕がこの喫茶店のお気に入りの席に向かうと、そこにはすでに女性が掛けていた。雨に濡れた長い黒髪を時折タオルで拭きながら、カップを片手に外を眺めていた。僕がその隣の席に背中合わせに座ると、彼女が僕に声をかけてきた。
「あなた、いつもこの席座ってる子でしょ」
僕は少し驚いて間をあけたあと、静かに「はい」と答えた。
「この席私のお気に入りでね、たまに来るんだけど、いつもあなたが座ってるのよ。だからいつも別の席に座るか、別のお店に行くの。でも今日は私が早かったわね」
「すいません」としか返しようがなかった。
「他の席に座るとね、なんか落ち着かないの。あなたも今そんな気がしてるんじゃない?よかったらこっちに来てもいいわよ」
「いや、大丈夫です。そこ以外の席は初めてなので。しばらくここにいてみます」
「そう。嫌になったら遠慮なくどうぞ」
 頭から僕を年下と決め付けて話し掛けてきたようだったが、彼女はいくつくらいなのだろうか。僕と同じくらいか、それとも本当に年上なのだろうか。僕は鞄から小説を取り出し、コーヒーを注文して読み始めた。窓には時折強い風とともに、大量の雨粒がぶつかってきていた。後ろの席に座る彼女が気にかかりながらも、僕はいかにも居心地がよさそうに小説に目を落としていた。
 一時間ほどして、彼女が席を立ち、「じゃあ、またね。」と僕に声をかけた。そして、手に持っていたタオルを店員に返し、お会計を済ませて店を出て行った。彼女が店を出たときには、いつの間にか雨は止んでいて、空には灰色の雲が覆いかぶさっていた。僕は読んでいた小説をきりのいいところまで読み、店を出ようとすると、また小雨が降り始めていた。傘は持っていたが使わずに、駆け足でバイトに向かった。



 それからは、この喫茶店で彼女を見かける機会が増えた。僕がいつもの席に座っていると、彼女は僕のいる席にやってくる。彼女が先に席についているときは、僕もその席に座るようになった。お互いの年齢や職業、学生かそうでないのかなど、そういった類のことは一切話題にせず、いつも本の話や、音楽の話や、くだらない冗談など、なんの意味も持たないような、どうでもいい話でお互いの空き時間を潰した。それは僕にとっては、バイトと学校しかない、くだらない毎日に潤いを持たせてくれる時間であったし、ここ最近では僕が一番活き活きする時間だった。名前も、年齢も、何をしているのかも知らない女性と、お気に入りの喫茶店のお気に入りの席で、いつもくだらない話題で盛り上がっている。これが僕の日常だった。

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