『隣になった人』⑥/⑦

彼女は今でも、人に無償の優しさを捧げているのだろうか。
困っている人がいれば、何も言わずに手を差し伸べているのだろうか。
そして現在では夫に対して、その優しさにさらに愛を上乗せして注ぎ続けているのだろうか。
夫となった人が、高校時代から変わっているのだろうか。同じ彼なのだろうか。
相手がどこの誰でもいいが、その夫は彼女の無償の優しさに慣れてしまってはいないだろうか。

見返りを求めない優しさを与えられ続けていればいるほど
その状態が当たり前に感じてしまう。
決して当たり前のものでは無いはずなのに。
例えば、地上の生物にとって空気はあって当たり前ではないように。
標高が高い土地では空気は簡単に生物の(特に人間の)期待を裏切る。
例えば、太陽がいつか温度が下がるように。
例えば、コンビニが24時間営業ではなくなるように。
例えば、コーンスープがいつか冷めるように。

もし、夫となった人が彼女の優しさに慣れてしまっていても
彼女は変わらずに優しさを注ぎ続けていくのだろうか。
優しさを注ぎ続けていくことに疲れてしまってはいないだろうか。
もしそうなってしまっているとしたら、
僕の知っている彼女は、今はもうどこにもいないのかもしれない。
僕なら、彼女の優しさが有限のものだと分かってあげられる。
彼女がもし僕の隣にいたら、あの頃のままの彼女でいられたかもしれない。

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