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『無色のしあわせ』⑲/⑳

「この街はな、いつの間にか〝そうであること〟には価値を見出せなくなってしまった。
もはや個人の問題じゃない。
この街を包む雰囲気すべての問題だ。

一人一人は、ふっと湧いて次の瞬間には消えてしまうほどのごく僅かな、
陳腐な欲を満たすために投資することを好む。
そうしないと幸せを得られないと考えているからだ。
一人一人のそうしたどうでもいい欲と、それを満たそうとする振る舞いがこの街を堕落させている。

〝そうであること〟なんて、大々的な投資をしなくたって叶えられるのに、だれもそれに気が付かない。
〝そうであること〟ってなんのことかわかるか?」
わからない、と彼女は言った。

「蛇口をひねれば水が出ること。道端のゴミが片付いていること。教会の椅子が綺麗であること。
川を渡るために橋がある事は当たり前だが、何かの不具合が橋に生じて通行止めになると途端に文句が出る。
橋が滞りなく通れる状態こそが〝そうであること〟だ。

その状態が維持されていることがとてつもなく大きな価値を持っているというのに、
そのことに誰も気が付いていない。
そして、その状態が欠損したとき初めて、
自分の幸せまでもが欠損させられたと憤り、誰かのせいにしたがる。

〝そうであること〟を維持するために注がれる善意には誰も目を向けない。
この街の善意は死んだ。
死の本質が誰からも完全に忘れられてしまうことであるならば、
善意はもうとっくに死に果てている。

困っている人を助けたい気持ちはわかる。
だが、事はそんなに小さい話じゃない。
もっと大きく、しかし誰にも変革できないような状態に陥っている。
俺が何を言ってるか、お嬢さんに理解できるかい。」彼女は何も言えずにいた。占い師は話を続ける。

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