アレガ デネブ アルタイル ベガ

東京で深夜アニメ実況にいそしんでた頃、
「アレガ サガット バルログ ベガ」とか
「タカタ イチオシ ソニーの ベガ」とか書き込んでたな…

今日は七夕。

永さんの命日。

6年前の2016年7月7日、永六輔さんが旅立たれた。

永さんといえば「遠くへ行きたい」の旅する人、
もしくは「咳 声 のどに 浅田飴」のCMの人、
以前はそれくらいの認識でした。

のちにテレビ黎明期を作家として支えた人、
テレビからラジオへと活躍の場を変え、巧みな話術と
豊富な知識で人々を魅了させた人、
「明日があるさ」「遠くへ行きたい」など、
数々のヒット曲の作詞を手掛けてきた人… と知りました。
テレビっ子の私は直接的ではなくとも、数々のテレビ番組を通じて
永さんの影響を少なからず受けている、と実感しております。

「土曜ワイドラジオTOKYO」を聴き始めたのは2010年、
当時既に永さんはパーキンソン病を患い、かつてのような
活舌のいいおしゃべりはままならず、TBSアナの外山さんや
番組アシスタントのはぶ三太郎さんなどに支えられながら、
体調の悪いときは絞り出すように声を発している状態でした。

そのような中、永さんは当時を生きる人々に対して、
世間に対して、時には権力のある人たちに対して、
何か訴え掛けようと、自分の言葉を世の中に残そうと
懸命に励んでいらっしゃいました。

私自身、番組とのお付き合いは6年くらいとそう長くは
ないのですが、その間に耳にした永さんの教えのうちのいくらかは
私の体内の深いところに根付いていると思います。
ただ、私は記憶力がイマイチ芳しくなく、その具体的な内容を
訊ねられても挙げることができません。あかんなぁ…

永さんが旅立ってから5日後の2016年7月12日、
永さんを追うかのごとく大橋巨泉さんも旅立たれました。
「クイズダービー」「世界まるごとHOWマッチ」など、
改めて語る必要のないくらいテレビでご活躍された人。

晩年は文化放送「大竹まことゴールデンラジオ」
「吉田照美飛べ!サルバドール」、TBSラジオ「爆笑問題日曜サンデー」、
そして「土曜ワイドラジオTOKYO」に春・秋の年2回、決まって
ゲストで出演されていました。夏はカナダ、冬はオーストラリア、
その間の春と秋の日本に滞在しているタイミングで。
大橋巨泉さんも永さん同様、これらの番組で世の中に対して
色々と訴え掛けられていました。

永さんが旅立ったのち、文化放送でさだまさしさんによる
永さんの追悼番組が放送されました。そこで掛かった曲が、
さださんが歌う「遠くへ行きたい」。
憂い漂う独特のムード、一節ひとふしが心にしみわたる。

それをもとに編集したMAD動画が
どこか遠くへ行きたい果南さん」なのです。
どうやら再生回数に応じて、YouTubeからさださんの事務所へ
曲の使用料が支払われているようです。ごくわずかの額でしょうが、
MAD動画に楽曲を使わせてもらえるのはとてもありがたいです。

南の空の天の川を眺めながら、今年も永さん、巨泉さん両人を偲び、
このあと手を合わせ一礼しようと思います。

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